三成愛NO.1の女性をリサーチせよ
田附 清子さん
滋賀県 彦根市
地元豪族の住居にルーツをもつ佐和山城は三成にとって初めての居城。関ヶ原の戦いに負けて斬首される5年前、36歳で秀吉に与えられました。今回、ルーシーは佐和山のふもとで田附さんに会って山頂まで色々な話を聞きながら登りました。息遣いで想像できたと思いますが、道のりは結構ハード。田附さんは佐和山ふもとに生まれ、母親に三成公や佐和山城の話を聴いて育ち、気がつけば三成LOVE❤。調べてみると実家があるのは餅木谷という三成の屋敷地だったそう。浅からぬ繋がりがあるのかもしれません。歴史のロマン。
田附さんによると三成は無私の人。秀吉のため、豊臣家のため、国のためを思って動いた人物。千利休の切腹も命令しましたが、それも豊臣家のため。「勝者が歴史をつくる」と言うように、悪者が必要な徳川幕府は、その役を三成に背負わせ、今のような扱いになってしまったと田附さんは言います。秀吉がこの世を去ってから関ヶ原の戦いまでの間、徳川方に擦り寄る豊臣武将は数多くいました。当時「強い者に諂うことを恥としない国民」と本国への手紙に書いた宣教師もいるとか。でも、田附さんが強く訴えたいのは「三成の生き方を見てください!」ということ。
そんな三成の人間性を彦根の人はよく知っているかというとそうではないそうです。彦根は三成亡き後、徳川四天王の1人、井伊直政によって栄えた町。400年後の現在、国宝に指定された彦根城には大勢の観光客が訪れます。一方の佐和山には城があったことを確認できる道や石はあるものの、田附さんのような人に話を聞かなければ、どんな場所だったかを知ることはできません。でも、山頂に向けて歩く途中、昨今の歴女ブームを示すように、ボランティアガイドと一緒に歩く若い女性グループと擦れ違ったのは、嬉しいシーンでした。
話題の滋賀県PRのテレビCMについて、どう思っているのか田附さんに伺うと「初めはちょっとショックだった」そうですが(笑)感銘も受けたようです。例えば第2弾CM「東軍メガネをはずしてごらん・・・関ケ原以降の作られた逸話で悪役のイメージが定着してしまったんだね!」にはよくぞ言ってくれました!と手を叩いたそう。山頂からは琵琶湖と彦根城も見渡せる佐和山城址。彦根にお出かけの際は少し勉強をした上で登ってみることをオススメします!
==================
佐和山城址への車のアクセス
彦根ICから約10分
国道306号線を彦根市内方面へ最初の信号のある交差点「外町」を右折
国道8号線を北上すぐ。
さまざまな写真や様子が見られるHonda Smile Mission 番組Facebookページはこちら
http://www.facebook.com/HondaSmileMission