日本で唯一のお化け屋敷プロデューサーをリサーチせよ
五味 弘文さん
東京都 文京区
お化け屋敷プロデューサーとは何をするのか?五味さん曰く「1から10まで全部」。プランを考えてからストーリーを考え、そこでお客さんは何をするか役割を考える。そう、五味さんのつくる作品のコワいところは訪れた観客がキャストとして物語に組み込まれているのです。そして、どういうことを体験するのか演出のプランを考え、図面におとし、いろんな業者に発注し、現場で工事、最終的には運営のレクチャートレーニングをする・・・と本当に全部。
かつてのお化け屋敷は内容づくりと運営は違う担当が担いました。でもお化け屋敷に携わって23年経つ五味さんの転機となった1996年「赤ん坊地獄」というお化け屋敷をやったときのこと、その「赤ん坊地獄」では観客は入り口で赤ん坊の人形を渡され出口で待っている母親に返してあげなければいけないというものでした。その仕組みを成立させるには、どうやって赤ん坊を渡すか、また出口にきた赤ん坊をどうやってまた入り口に戻すか、といった運営上のことを考える必要があります。この時に五味さんは内容づくりと運営を一緒にやることによって新しいものが生むことに成功したのです。
この夏、五味さんがプロデュースするお化け屋敷の全国公開数は秋田・新潟・富山・金沢・東京・名古屋・大阪・広島・福岡・沖縄のなんと10カ所!同じ夏に違う舞台演劇を10本やっているようなものです。ルーシーは五味さんに聞きました。どうして人はお金を払ってまで「お化け屋敷」に行くのか?五味さんの答えは恐怖のあとに楽しさがあるから。友だちと行く、恋人と行く、家族と行く、そこでギャーッっと叫び、ふだんは見せないような姿を見せたり見せられたりすることによって親密さが増す、それが楽しいんですとのこと。だから演出方法としては怖さをきちんとF.O.させずに断ち切るように終わらせることが大切なのだそうです。ぜひこの夏、五味さんのお化け屋敷ワールドを体験してみて下さい。
ちなみに東京と大阪で公開されている「恐怖のかくれんぼ屋敷」は・・・
十年前、お母さんと二人で暮らしていた小学3年生のようちゃんは、家に一人でいるのが寂しくて、いつも 友だちと遊んでいました。
ある日の夕方、空き家でかくれんぼをしていると、友だちのシンくんが言いました。
「"夕焼け小焼け"が鳴り終わるまで隠れていた人に、何でもほしいものをあげよう」
ようちゃんは、押入れに積まれた布団の間に体を忍ばせ、ずっと欲しかったもののことを考えていました。 ようちゃんが欲しかったもの、それは「お父さん」です。
オニになったシンくんに見つかった友だちは次々と帰っていき、残るはようちゃんだけになりました。
「ようちゃん・・・ようちゃん・・・」 シンくんは、ようちゃんの名前を呼びながら屋敷の中を歩き回りました。 すると、どこかで同じように「ようちゃん・・・ようちゃん・・・」と呼ぶ声が聞こえます。 誰かが戻ってきてくれたんだ。シンくんは、声のする部屋を開けました。
すると、そこには見たこともない男の人が立っていました。
「おじさん、もう何年もようちゃんを探してるんだ。お母さんはさっき見つけたんだけどな」
そう言うと、男の人はシンくんの目の前に右腕を差し出すと、その腕は真っ赤な血に染まっていました。 シンくんは恐ろしくてたまらず、小走りで玄関に向かいました。
ようちゃんは、押し入れの中に身を潜めて、自分を呼ぶ大人の声を聞いていました。 呼びかける声の合間に、乱暴に戸を開けたり何かを倒したりする音が聞こえてきます。
「もういいかい・・・?もういいかい・・・?」
恐怖で震える中、遠くで鳴る"夕焼け小焼け"を聞いて、ようちゃんは必死に願いました。 「お父さんがほしい・・・」 あのメロディーが終わるまで隠れていられたら、お父さんが助けてくれるかもしれない。
「もういいかい?」
その声が、すぐ近くで聞こえました。
「ようちゃん、みっけ・・・」
男の人の声が、すぐ耳元で聞こえたと思ったら、二度、三度と鋭い刃が突き立てられました。 "夕焼け小焼け"が鳴り終わるまで隠れていられたようちゃんは・・・、 願いどおり、お父さんに会うことができたのです――――。
この屋敷に入るあなたは、"夕焼け小焼け"が鳴り終わるまでに、ようちゃんを見つけなくてはなりません。 ようちゃんが、見捨てられた深い怨みを抱えながら隠れて待ち続けているのは、十年前に自分を見捨てたシンくんです。
そのシンくんとは・・・、あなたのことです!
ああ、コワい。。。。
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五味弘文さんが代表取締役をつとめる「OfficeBurn」のウェブサイト
HP:http://www.officeburn.jp/