Sparkle Life

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Article -Sparkle Life-

28 Jun.2025

Vol.335 島袋寛子さん



柔らかな光に包まれる夕暮れから、夜の世界へと表情を変える特別な時間に素敵なお客様をお迎えするこの番組、
今回は、歌手の島袋寛子さんをお迎えしました。


実は小学校が一緒という本仮屋さんと島袋さん。
東京に上京して島袋さんが通った小学校が、本仮屋さんの母校だったのだとか。
そんなご縁があるお二人、久しぶりの再会で話が弾みます。

◆3歳で決めた道、10年越しのデビュー
島袋さんが、沖縄アクターズスクールへ入学したのは、わずか3歳の時。親の勧めではなく、自身の強い意志だったと言います。
「母がお手伝いで働いていたお店で、まだ日本語もちゃんとしゃべれない時に、鏡の前でずっと自分の作ったでたらめな歌を歌ってたんです」
その姿を見た周りの大人に勧められて見学に行くと、「私もこの中に入りたい」と強く思い、母親に懇願したという島袋さん。その際、「10年やってお声がかからなければやめましょう」という約束を交わし、芸能界への道を歩み始めたのだとか。
そして、デビューを果たしたのは11歳。 ギリギリ10年の約束の期限内での鮮烈なデビューでした。当時のことを「ものすごく楽しくて、夢が叶った、夢の世界だっていう感じだった」と振り返ります。

◆多忙を極めた日々「車の中では寝てはいけない」
デビュー後の生活は、想像を絶する多忙さ。午前中は学校へ行き、午後は夜まで仕事。 そこから宿題をこなす毎日。 新曲が出れば、歌番組のために振り付けや歌詞を完璧に覚えなければなりませんでした。
当時の女性マネージャーは、「スタジオに入ったら上着を脱ぎなさい」「マネージャーが運転している車の中では寝てはいけない」など、礼儀や社会のルールにも厳しかったそう。ですが、それは、周囲の大人たちが彼女たちを「一人の人間として育てよう」という、愛情と情熱の表れだったと、今では感じています。

◆解散の口火を切った最年少メンバーの胸中
絶頂期にあったSPEEDは、活動開始から3年半で一度活動を休止します。その話し合いの口火を切ったのが、当時最年少だった島袋さん自身でした。
「(当時は)自分を見失いそうだったんでしょうね。今振り返ると」
デビューしてから常にエネルギーを出し続ける一方で、新しいことを「吸収する時間も、その仕方も分からなかった」という島袋さん。その結果、「楽しいかどうかすらも分からなくなる感覚」に陥ってしまったそう。
その戸惑いが、大きな決断へと繋がっていきました。
「いまだに、あの当時(解散で)すごく泣いたとか、ライブに行けなかったとか、みんなの思いを聞くたびに胸が痛くなる」と語る島袋さん。 しかし、「それもすべて今受け止めて、ようやく自分の中で答え合わせができつつある」と、今の心境を話してくれました。

来週はさらに、現在の島袋さんについて、プライベートのお話も伺います。
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