柔らかな光に包まれる夕暮れから、夜の世界へと表情を変える特別な時間に素敵なお客様をお迎えするこの番組、
今回は、作詞家の松本隆さんをお迎えしました。
日本の音楽史に燦然と輝く数々の名曲を生み出してきた作詞家・松本隆さん。
今回は、創作の原点から現在に至るまで、言葉への想いと歌詞づくりの舞台裏を伺いました。
◆日本語ロックの原点は「自分たちで作ろう」という想い
作詞家としてのスタートは細野晴臣さんがきっかけだったという松本さん。「バンドを作って日本語のロックを作ろう、外国のマネじゃなくて自分たちで作ろうと始まったんです」と当時を振り返ります。
Aメロの一行目からその情景が眼に浮かぶ松本さんの楽曲ですが、「一行の中にある程度ストーリーの前触れがわかるように書いている」のだとか。
◆「映画のように」描かれる歌詞の世界
歌詞を書く際は、「写真じゃない、映画みたいな感じ。一行目を書く時から、この男女がどんな結末を迎えるのか、曲のラストまでなんとなくイメージが見えている」と語る松本さん。
ですが、「ルビーの指輪」などでは「二年後の話なんて全然考えてなかった。ずっと書いてたら、なんか二年後になっちゃった」と、予想外に展開していくこともあるのだとか。
◆想像の産物に込められる「1秒のリアル」
歌詞の多くは創作だという松本さんですが、「一行ぐらいリアルが入る時がある。自分しかわからないほんのひとエッセンス」と明かします。
そのインスピレーションの源は「それまでの人生の中で見た漫画、映画、小説、全部が富士山のように積み重なって、作詞する時にそれが整理されて出てくる」のだそう。
◆「ガラスの少年」誕生の瞬間
KinKi Kidsのデビュー曲「ガラスの少年」の制作秘話としては、二人の姿を知らずに楽曲を書いていた松本さんが、深夜に2階の書斎から1階のリビングに降りると、テレビで二人が別の曲を歌っている姿があったのだとか。
「この子たちはガラスだ」とインスピレーションを得たそう。「透明だけど、なんか壊れそうだけど、意外と強いんじゃないかなと思った」と当時を振り返ります。
◆70代でも「ピカピカのアンテナ」でいる秘訣
「18、19歳の頃はアンテナがピカピカで、何だってひっかかる。でもそのうち錆びてきて、今日は昨日の続き、明日は今日の続きみたいになると、だんだんアンテナが錆びて色んなものを受信しなくなっちゃう」
という松本さん。70代を迎えてもピカピカのアンテナでいる秘訣は「好奇心と、生きることを楽しむこと。あとは失敗を恐れないこと」。
また、創作において最も大切なことは「想像力と美意識」と即答された松本さん。「夕日が沈む時に『あーきれい』と感動する人がいる一方で、周りの景色が見えていない人もいる。やっぱり感動する人の方になりたい」
と話してくださいました。
本仮屋ユイカさんも出演する
松本隆、作詞活動55周年記念 オフィシャル・プロジェクト
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