柔らかな光に包まれる夕暮れから、夜の世界へと表情を変える特別な時間に素敵なお客様をお迎えするこの番組、
今回は、フリーアナウンサー、文筆家の住吉美紀さんをお迎えしました。
# 14年半のラジオ人生と50歳の棚卸し
◆ブルーオーシャン14年半の日々
TOKYO FMの半蔵門スタジオで、午前中の帯番組「Blue Ocean」を担当して14年半というフリーアナウンサー・文筆家の住吉美紀さん、現在は、毎日半蔵門に通う日々ですが、小さな頃からラジオパーソナリティは夢だったそうで、FMラジオで曲紹介することに憧れていたそう。しかし、その夢を実現した当初は、思い通りにいかない日々が続きました。
◆シアトルで始まった"ラジオ番組"
このほど出版された著書『50歳の棚卸し』の冒頭に登場するのが、住吉さんとラジオの原点となるエピソード。
父親が商社マンだったため、小学校低学年時代を中心に4年半ほど、シアトルで過ごした住吉さん。当時は国際電話代が高く、祖母に電話するのも大変で、4人家族で3分以内に用事を済ませなければならなかったといいます。
「何秒ずつって時計見ながら電話してたんです。小さい頃からタイムキープしてたんですね」
それでは忙しすぎるということで、父親のアイデアで始まったのが、カセットにラジオ番組のようにみんなの声を吹き込んで祖母に送るという試みでした。
音楽が大好きに育った住吉さんは、NHK時代から音楽と関わる仕事がしたいという気持ちを持ち続けていました。FMラジオで流行っている曲やお勧めの曲を紹介することへの憧れは、NHKを辞めた時にやってみたい仕事の一つとして、おぼろげにあったそうです。
◆一人語りの壁とぬいぐるみ
タイミングよくTOKYO FMのBlue Oceanから声がかかり、念願のFM番組DJに。しかし最初は、思ったようにうまくいきませんでした。
「やったことがないことですもの。一人ぼっちで一人語り、誰に向けて話しているのって。誰も頷いてくれないし」
スタッフが猫のぬいぐるみを持ってきて、「住吉さん、これに話しかけてみましょう」と言われた時は、だいぶショックだったと『50歳の棚卸し』に綴られています。
「私、相当今ダメなんだなって。そこからは危機感を覚えて、逆にどうしたらいいかってすごく考えたり、ラジオスタッフに相談したりして、少しずつ開拓していった感じでした」
会社員としての働き方とフリーランスとしての働き方の違いも大きかったと振り返ります。
「NHKは組織を代表して放送に出るわけです。個人的な意見を発するってことはない。その真逆じゃないですか、個人的な私見のオンパレードっていう世界に入ってきた時に、体が抵抗するというか」
今朝何を食べたかなど、誰も興味があるわけがないと思っていた住吉さん。この壁を打破するのに、1年以上、2年近くかかったといいます。
◆アルバイトで見つけた自分
『50歳の棚卸し』には、大学時代に自分に合う職業を見つけるため、様々なアルバイトを試してデータ収集をしたエピソードが綴られています。
スーパーのレジをやった時、5時間のシフトでも暇な時間があり、何もせずただ待つことが苦痛だったという住吉さん。
「10分経ったかなって、まだ2分しか経ってない。時間がすごく長く感じたんです」
ところが同じスーパーでも、試食販売をした時には時間が早く過ぎたそう。
「私、人に話しかけて人を説得したり説明したりすることで、こんなに時間が早く過ぎる。一人に対応したら15分経った。そのことから、私やっぱり人と話しするのは好きなのかなっていう発見を積み上げてきましたね」
この方法は、就職活動の時に限らず、仕事を始めてからも有効だと住吉さんは語ります。
「自分がこれだと頑張れるけど、これだともう苦痛で周りにもご迷惑かけてるだけじゃないかって分かると、お互いの時間を無駄にせずに済む。ごめんなさい、そこは人様にお任せしますって言って、私はその代わりこちらで働きますって言えた方が、実は建設的かなと思うんです」
◆全力を出してしまう性格
「自分の出力の調整ができないんですよ。本当に何でもやるってなると全力を出してしまう。みんなが想像してないパワーがバンって出せちゃう。だからどの分野でも割と1回全力で試すっていうことをやってきました」
トライアンドエラーを全力で繰り返してきたという住吉さん。『50歳の棚卸し』は、男性女性関わらず、子育てしている人、介護している人、フリーランスや会社員など、様々な立場の社会で働く人が共感できる一冊となっています。
来週は、さらに、住吉さんのプライベートのお話も伺っていきます。
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