三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2022.04.12

諦めないでやり続けるだけ

株式会社ヤプリ
代表取締役
庵原 保文さん
プログラミングなしでアプリを作れる


ONE MORNING「 The Starters 」。
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。

今週と来週のゲストは、 株式会社ヤプリ代表取締役の庵原保文さんです。
おはようございます!

庵原保文さんは大学卒業後、出版社に就職。
その後、ヤフーに転職、 さらにシティバンクを経てYappliを創業されています。


先週は主な事業内容を伺いました。
自分の会社でアプリを作ろうとした場合、
専門の技術者が必要で、時間と資金などがかかるのが一般的なんですが、
アプリプラットフォームのYappliを使えば、
専門知識がなくてもアプリをスピーディーに作れてしまうというサービスでした。


今週は庵原さんのこれまでについて伺っていきます。


まず大学を卒業された後に、出版社に就職と伺ったのですが、
出版業界で頑張ろうと思ったのですか?


「そうですね、漠然とメディアに行きたいなと思って、
情報を自分で作って発信する側、受け取る側よりも発信する方をやりたいなと思って、出版にしました。」

実際にやってみていかがでしたか?

「楽しかったですけど、忙しくて、もうこれやばいなと思いました。」


そこから転職されるんですけども、転職先がヤフー。
それはどういった経緯でヤフーに行かれることになったのですか?

「やっぱ紙メディアだったので、どうしても人気がなくなっていて、
発行部数も減ってる業界ではあったので、ネットのメディアが上がっていく船だったので、
今のうち上がる船に乗ったほうがいいなと思って、ネットメディアに移りました。」


ヤフーではどんなお仕事をされたんですか?


「ヤフーでは、いろんな人気のジャンル 、
ヤフースポーツとか、ヤフーファイナンスとか、そういった大きなカテゴリーのプロダクトマネージャー(サイトの企画者)として働いてました。」

「ネットの知識は全く持っていなかったので、すごく苦戦しました。
専門用語が何もわからなくて、メモとって先輩に聞きました。」


これ、無理かもとかならないですか?


「少しなった時もありましたが、そこは持ち前の根性で、なんとかなるだろうと思っていました。」

そしてヤフーの後、シティバンクに転職。
これはなぜ銀行だったんですか?


「ヤフーで働いていてネットについて詳しくなって、
ちょっと調子に乗って、もっと給料を上げたいなとか、一回ぐらい外資系行ってみたいなと、そういう軽い気持ちですね。」


ここでの経験はいかがでしたか?

「新しいジャンルを学びました。はじめてスーツで出社していました。」


銀行に勤めながら起業のタイミングっていうのはきたのですか?


「そうですね、銀行にいる間に、夜な夜なヤフーの時の仲間と一緒にYappliの原型をずっとひたすら作り込んでいました。」


そういう意味では銀行でお仕事をされてる時から、構想はあったんですか?


「もう完全にも諸々構想があって、作り始めました。」

構造が生まれたのはどのタイミングですか?

「ヤフーをやめた頃くらいに起業をしたいなと思い始めていて、
仲間を声をかけて3人で夜な夜な毎日毎日ひたすら作り続けてました。」


「アイディアのきっかけは、共同した創業者と1回趣味でアプリを作ってみたら、
すごく難しくて、これをものすごい簡単にしたら欲しがるんじゃないかっていうアイデアが浮かんだんですよ。」

それを形にして創業してから順調でしたか?


「いやもう全然ですね。
買ってくれる人がこれだけ居るっていう事も考えずにアイデアだけで起業したので、お客さんの方を向いてなかったです。
最初ビジネス化っていう意味では、
すごい製品はできたんだけど、誰に売ったらいいのかわからない、
どういう人が買うのかわからない、マーケティングも分かんないっていう状態で、
2年間全然だめで、マンションで3人でずっとやってましたね。」


最初に2年間開発にかけて、製品を発表してからもう2年間マンション、だいぶ苦労された期間が長かったのですね。

風向きが変わった瞬間はあったのですか?

「色々もう精神的にきつくなった時があったんですが、
2年経ったぐらいの時に、あるITベンチャーのピッチコンテストっていう、
他の国からも50社ぐらい集まって、英語でプレゼンするビジネスプレゼンみたいな会があって、そこで準優勝になって、
それで気持ち的に切り替わった、僕たちの製品はやっぱりイケてるんだ、分かってくれるんだっていう自信に繋がって、
そこからビジネスも徐々に立ち上がっていきました。良いきっかけになりましたね。」


何かご自身の中で創業をする上で大切にしてる事はありますか?


「スポーツも一緒だと思うんですけど、諦めない気持ちとかやり続ける気持ち。
腐らないように、弱音吐いたり言い訳するタイミングって、いくらであるし、ダメな理由もいくらでも並べられるし、
だけど毎日ひたすらコードを書き続ける、ひたすら売り続けるということを諦めないでやり続けるだけだと思います。」


これからの夢を教えてください。

「会社としてはYappliという素晴らしいサービスを国内だけではなく、世界でも通じるような製品、会社になっていくことです。」


株式会社ヤプリ代表取締役の庵原保文さんでした。
ありがとうございました。


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