三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2019.06.11

失敗を生かしてビジネスに

IT起業家・プールサイド 代表取締役社長
関口舞
文学少女がIT企業家に

今週は【IT起業家・プールサイド代表取締役社長の関口舞さん】を
お迎えしました。

関口舞さんは、1990年生まれ。
23歳で起業し、SNSを活用したPRなどを多数仕掛け、
2015年に企画・リリースしたInstagramサービス
『#2015bestnine』はオバマ大統領夫人やドナルド・トランプ氏をはじめ、
世界で1500万人に利用され大ヒット。
最近では、会社員やフリーランス、ベンチャー起業、退任や挫折など
これまでの経験を活かし、キャリア支援事業をスタート。
そして、TOKYO FM「ホメラニアン」の水曜と木曜のパーソナリティも担当されています。

何でも中学生の頃の夢は、小説家・脚本家という文学少女だったとか?

「元々はビジネスには何の興味もなく
 子どもの頃から小説が好きだったので、小説家になれたらいいなと思っていました。
 高校ではシナリオや脚本の勉強のために自分で演じることも
 やってみようと演劇部に所属。
 大学でもビジネスについては何も分からないまま
 ひたすら文学を読んだり演劇に関わったりと
 浮世離れした暮らしをしていました。」

どこからビジネスの世界に入ることになったのでしょうか?

「演劇を続ける中で、企画をする仕事、
 どんな人たちがどうやって考えて世の中に出して行っているのか
 ということに興味が出てきたんです。
 それまでは純文学ばかり読んでいたのですが、
 大学3年の就職活動の時に社会人もやってみようかなという思いが
 出てきたんです。
 就職活動をしていくうちに、どうやら私は色んなことを考えて
 世の中に伝えていくことに興味があったのだなと。
 いますぐ小説家になれなかったとしても
 就職することで、広告業界・PR業界でも出来ると
 就活のギリギリの時期に気がつきました。」
 
では、最初は広告会社に入社されたんですね。
その会社にはどれくらいお勤めになられたんでしょうか?

「残念ながら半年で辞めてしまったんです。本当に悲しかったです。
 私が世間知らずだったのと、やる気がありすぎて
 会社に入ったら一刻も早く能力を身につけて
 スキルを磨いて戦力になりたい!という気持ちがすごく強かったんです。
 ちゃんとした会社だったので、当然新卒に色んなことをやらせないのが当たり前。
 ですが、学生時代もいい意味で変な人たちと関わっていて
 起業している子も周りにいたので
 そういう人たちに比べて全然成長出来てない!と
 初っぱなから焦り始めてしまったんです」

会社を辞めて、そこからどうやって起業することになったのでしょうか?

「最初は転職をしようと思って、色んな転職サイトに登録をしたりしたのですが
 新卒で半年しか経験のない人にはオファーも来ないしいい転職先が無いんです。
 しかもかろうじてご縁があったとしても、想像と違ったり
 上司とうまくいかなかったりしたらと考えると転職が怖くなってしまいました。」

そのナイーブさから起業に!
最初はどんな会社を起こされたんでしょうか?

「最初はピンチをチャンスに変えるしか無いと思いまして
 就職をしてあまり馴染めなかった経験を活かして
 就職や採用の失敗がないようなお手伝いをする仕事をしていたんです。
 ベンチャー起業など、就活のPRに困っている企業に対して
 失敗した私だからこそのお手伝いをしていました。」

そしてアプリも作られたと。

「そうなんです。やったこともないし、文学部出身で
 システムのことも何も分からなかったんですが
 流行っていたし、面白いかなと思い、駄目元で採用のPRで稼いだお金を使って
 両思い確認アプリというスーパーロマンチックアプリを作りました。
 好きな人が出来てもなかなか告白は出来ないということも
 あるということで、それが確認できたらいいなと。
 システムとしてはfacebookで好きな人を1人だけ登録して
 相手も自分を選んでくれていた時だけ、
 両思いだと教えてあげるというものです。」

専門的な技術などはどうされたんですか?

「ひたすら周りのシステムに詳しい人たちに
 こんなのやりたいんです!と言いまくって
 そのうちに意気投合して一緒にやってくれる方が現れました。
 仕様書の書き方も分からないので、手書きで紙に書いたり。
 当時言われたのは、分かっていないからこそ
 分かっている人には思いつかないことを思いつくと。」
 
最後にこれまで乗り越えてきたハードルとは何でしたか?

「私はあまり気が強くなくて、繊細なのに
 チャレンジングなことが好きという自分の中の相反する性格があり
 こんなことやりたい!ロマンを追いかけたい!という気持ちと
 怖い気持ち両方ある中で、怖がっている自分をなんとかなだめて
 チャレンジングなことに飛び込んでいくというのが
 ハードルだったかと思います。」

関口さんには来週もお話を伺います。
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