三協フロンテア presents The Starters(ザ スターターズ)

パーソナリティ ユージ・吉田明世20代~30代の若手起業家をゲストに迎え、
彼らがどんな発想や未来への展望を持ってブレイクスルーを起こそうとしているのかお話を伺います。
高い意識とモチベーションで社会に風穴を開けようと取り組む彼らの話が、
「あなたも、世の中を変えられる!」という、
朝、仕事へ向かうビジネスパーソンのやる気のカンフル剤になることを目指してゆきます。

Guest ゲスト

2021.11.09

大学中退・病気・渡米・起業と波瀾万丈な人生

株式会社グッドパッチ
代表取締役社長
土屋尚史さん
デジタルのUI/UXの領域をデザインする会社


ONE MORNING「 The Starters 」。
火曜日のこの時間は社会に風穴を開けようと取り組む若き起業家をお迎えして そのアイデアの根っこにあるものや未来へ向けたビジョンを伺います。

今週と来週のゲストは株式会社グッドパッチ代表取締役社長の土屋尚史さんです。よろしくお願いします。

土屋尚史さんは長野県生まれ。
日本でWEBディレクター、アメリカ・サンフランシスコのデザイン会社で
インターンを経験後、2011年にグッドパッチを創業。
去年、デザイン会社として初めて東京証券取引所に株式上場しました。

先週はグッドパッチの事業内容を伺いましたが 、
Web やスマホアプリなどのデザインをされているということで、
非常に興味深い話たくさん聞けました。
今週は土屋さんのこれまでと、起業した時のお話を伺いたいなと思っております。
大学は中退されていると?


「出身は長野県なのですが、大学は関西大学というとこに入っておりまして、
普通に大学生活も頑張ろうと思って、1年生の時は第二外国語で中国語をとって、
一生懸命頑張って勉強してたんですけど、
前期の中国語のテストがあり、ぱっと起きたらテストが終わった時間だったんです。
めちゃくちゃ勉強して、気合い入れて行こうと思った結果起きたらテストが終わってまして、通期で取らなければいけない教科だったので、その時点で通期落とすことになりまして、もう2年目から大学に行かなくなりました。」


大学行かなくなっちゃったら年齢的にもまだ全然若いですし、
どうしたのですか?


「バイトに明け暮れまして、居酒屋とカラオケ屋でした。
大阪の梅田の中心地にあるジャンボカラオケ広場というジャンカラというカラオケ屋があるのですが、一番大きな梅田の店舗があるんですけども、
そこのオープニングスタッフで入って、3ヶ月でバイトリーダーになりました。
伝説のバイトリーダーと言われてまして、僕がいないと回らないみたいな感じでした。」

「大学は休学してて、カラオケ屋の社員になるつもりでした。」

そんな中、21歳の時に大きな病気にかかってしまったと。


「そうですね、病名は伏せているのですが、一般的には大ごとになるような病気ににかかりまして、21歳の冬に緊急入院となりました。
お医者さんには半年から1年ぐらいの入院が必要と言われ、
その病名を聞くと大体の人が死ぬなっていうような病気にかかりました。」

そうですか。。
人生がガラッと変わるわけじゃないですか、
その時のご自身の気持ちは覚えてますか?

「やってなかった後悔だとかいろんなものが出てきて、
たまたま、僕のなった病気の良い薬が発明されてて、
それを飲んで、半年〜1年ぐらいの入院が、2ヶ月で出てこれて、
17年間飲み続けているんですけど、それのおかげで今も生きています。
1回、自分の人生を考えて、まず、カラオケではないと思い、
休学していた大学に戻りました。
たまたま受けた授業が、
ベンチャー起業論という授業がありまして、
起業家のケーススタディを学ぶ授業でした。
ソフトバンクの孫さんとか楽天の三木谷さんとか堀江さんとかのケーススタディを学ぶ授業で、
孫さんも20代に大きな病気されていたり、
三木谷さんもハーバード出られて、普通だったらコンサルやゴールドマン・サックス行ったりするような人が何で起業したかっていうと、
当時三木谷さんは、阪神大震災に被災されて自分の親族の方が亡くなってしまっているのです、
三木谷さんは、”自分は明日死んだとしても後悔しない人生を送りたい”と本に書いてあり、
それを見て、自分と重なる部分があったので、
後どれくらい長く生きれるかどうかわからないけども、
自分が生きた証を作りたいと思い、起業家になろうと22歳で決めたっていう感じですね。」


ただ、そこを目指したいと思っても、何で起業しようかってのが一番最初にぶつかる壁だと思いますが、今のデザインの会社ってどうやって行き着くのですか?


「その後、すぐ大学を中退して、
いきなりデザインにたどり着いたわけではなくて、
営業2社経験し、25歳の時に Web デザインの会社のWebディレクターになってるんですけど、
そこでも別にこの領域で起業しようなんて全く思ってなかったです。
27歳の時に、突如ばあちゃんの遺産が見つかりまして、
僕の名義で、郵便局の定期預金が満期になったと通知が来ました。
ばあちゃんが僕が17歳の時に勝手に郵便局に口座作って、
そこに10年定期の預金を500万円入れて、それが10年経った27歳の時に当時の郵便局の利息すごく良かったので550万になってお手元に降ってきたっていう事件がありました。」

「それが降ってきた時に、これはやれって言ってるんだと思い、どういうビジネスで起業するか全く決めて無かったので、
いろんな企業家のイベントとか話を聞きに行って、
その中で DeNA という会社の南場社長の講演会をたまたま聞く機会があって、
南場さんが、当時日本とシリコンバレーを行き来しながら仕事していた時代で、
“シリコンバレーの会社はアメリカにあるけど、アメリカ人だけで起業する事例はほとんどないと、アメリカ人、中国人、インド人など、
移民がが集まって1個のチームを作ってると、だからこそ考えるマーケットが最初からグローバルだと。
これから起業する君たちは、日本人だけでチームを作っていてはだめだと、
国籍軍を作りなさい”と言っていて、その言葉を聞いて僕は胸を打たれてしまって、シリコンバレーに行こうとなりました。」


すごいですね!
おばあちゃんのありがたい遺産もあるし、少しの行動は起こせますから。

「ただ当時の状況で言うと、シリコンバレーに知り合い一人もいないですし、
英語も全然喋れなかったですし、初めての海外でシリコンバレーに行くためにパスポートを取り、嫁さんと産まれたばかりの娘がいるという状況で、
結果的には8ヶ月の娘を連れて行きました。」


ご結婚されていたのですね!!
土屋さんの行動力も凄いですが、ついていった奥さんもすごい。
実際にシリコンバレーに行かれて、何か変わることありましたか?


「InstagramやUberなどの向こうのスタートアップが、
ユーザーインターフェースに力を入れていたっていうのを見て、
その中で、それまでやっていた僕のウェブサイトを作る仕事だとか、
あと、僕ら25歳の時に iPhone が出てきて、
iPhone に関わるビジネスがいつかしたいっていうのとか、いろんなものがその時に掛け合って、
この領域だなと。
グラフィックだとか、広告ではなくて、
これからは、デジタルサービスだとかアプリのサービスを創るデザインこれが重要なるんだろうなっていうのを思って、この領域だと決めたっていう感じです。」


起業されたのは2011年ということで、10年経つのですけども、日本のデザインへの認識って変わってきてますか?


「この10年で、大きく変わってきているかなと思います。
僕が起業した時は、デザイナーというのはお絵かきをする仕事。
色んなプロセスの最終工程に出てきて、形を整える、グラフィックをきれいにする人っていう感じだったのが、
今のデジタル業界っていうのは、デザイナーが戦略だとか企画の上流フェーズから関わって、その上流の中でユーザーっていうのはこういうことを求めてる、
ユーザーが真に求めてることはこういうことだっていうことをデザイナーがちゃんと理解をして、それを経営層とディスカッションして、
プロダクトに落とし込んでいくことが今求められているし、
こういうデザイナーにならなきゃいけないという意識もだんだん高まってきてるっていうのが、この10年で大きく変わった事かなって思います。」


日本のデザイナーさんの地位が低いんじゃないかと感じてらっしゃると。


「そうですね、それがグッドパッチのビジョンとミッションなのですが、デザインの力証明するっていうミッションを掲げているのは、
このデザイナーという本当はもっと価値のある仕事なのに、
なかなか年収が上がらなかったりだとか、下流の仕事とに入るしか無かった。
これがアメリカでは、もっと認められてる仕事、リスペクトされていて。
もっと賞賛されてもいいポジションなのに行けない世の中の仕組みというか、
そこを変えて行きたいっていうのが、グッドパッチの存在価値でもあるというとこでございます。」


ということで2週に渡ってお話を伺ってきましたけども、
この判断力のある旦那さんについてくれる家族がいて、
会社も大きい会社ですから、リーダーですからそこについてくる会社の方々もいるので、何かすごいことを世界にやってくれると信じております。
ありがとうございました。

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