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番組スタッフ
漫画の一つのカテゴリーとして、少女漫画があるということを知ったのは「ちびまる子ちゃん」が初めてでした。
さくらももこ氏の突然の訃報を受けて、あちこちから悲しみの声が上がっています。
3年前に親戚からもらった乳幼児向けのおもちゃのピアノを見ると、デモ曲として「おどるポンポコリン」が収録されていました。楽曲も含めて「ちびまる子ちゃん」とは偉大な作品であることを思い知らされます。

さくらももこ氏の急逝が報じられた翌日、一般紙、スポーツ新聞を見てみると「お茶の間」という言葉が多く使われていたことに気付きました。

「お茶の間に幸せを届け続けた」
「お茶の間を楽しませる国民的アニメ」

アニメの「ちびまる子ちゃん」は30年近く続くだけあって、「国民的」と冠されるにふさわしい作品です。
ちびまる子ちゃんが放送されていた時間は日曜日の午後6時だけあって、多くの国民が夕飯前の「お茶の間」で視聴したことがあるのでしょう。
三省堂大辞林には、「茶の間」とは「住宅の中の、家族が食事をしたり談笑したりする部屋」とあります。
「お茶の間」となると、「家族が揃う場所」として使われる以外に、「家族で楽しめる」「一家団欒」と言った意味を持ち合わせます。

「家族が揃って」という条件が「お茶の間」という言葉に添えられるならば、「ちびまる子ちゃん」は間違いなく「お茶の間」で楽しまれた数少ないアニメの1つ。
しかし、本当に家族が揃った「お茶の間」で楽しまれているかはわかりません。

そして、「家族で楽しめる」「一家団欒」という意味合いでの「お茶の間」は滅びゆくように思われます。

様々な娯楽がある現代です。一家団欒の時間はテレビよりも別の何かで費やしたいと思う人も少なく無いかもしれません。
スマホという極めてパーソナルな環境で楽しむことに慣れ過ぎたこともあり、スマホの方が面白いということもあり、テレビの苦境をよく耳にすることから考えると、「一家団欒」で「お茶の間」でテレビ、ということは今後ますますなくなっていくのではないでしょうか。

お茶の間とは、「家族的な意味合い」を込めた大衆や世間の同義語にすぎません。
家族的な意味合いとは、テレビが三種の神器の1つと崇められ、その威光を拝むかのように食い入って見ていた昭和あるいは戦後の「古き良きあの頃」をモデルケースに抽出されたもののように思われます。
「お茶の間」という言葉が使われるとき、家族とはこうあるべきという無言の圧力が働いている、と言い換えられるかもしれません。

(なんでもかんでも多様性で片付けるのはよろしくはないかもしれませんが)「お茶の間」という言葉には、国民を形成する集団の多様性が排除されているように思われるのです。
家族と娯楽の関係が多様化した今、「お茶の間」との親和性が高いコンテンツがどのくらい生み出されるのでしょうか。
「お茶の間」という言葉に覚えた齟齬のような感覚から、昭和的なものを引きずってきた平成も終わるのだなと改めて感じました。同時に、おそらくそれらは次の時代にも持って行かれるのだろうな、とも感じています。

スタッフ坂本
(2018/8/30 UPDATE)
番組スタッフ
貧困家庭の子どもに無料で食事を提供する「子ども食堂」。
全国に急速に広がっているこの取り組みに関する“あるまとめ”に目が留まりました。

「無料」としてた子ども食堂を「10円」としたら人がめちゃくちゃ来るようになった「払う」ということに意味があるという話「お金を払うことも欲求」(togetter)

拡散しているのは、徳島市で私設の図書館や子ども向けプログラミング教室を運営している、森哲平さんのツイート。
森さんはかつて子ども食堂を運営していたようで、その経験から以下のようにツイートしています。

子ども食堂を失敗させる方法

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子ども食堂、「無料」と言ってたのを「10円」としただけで、人がめちゃくちゃくるようになった。
みんな真面目に「10円」払おうとする。それほど無料って「気持ち悪い」んだよね。
10円でこんなことできるわけがない。それでも「払う」ことにとても意味がある。
<森哲平さん(@moriteppei)のツイート>
*****

このツイートの何が興味深いかというと、「無料が気持ち悪い」という視点です。

何かを手に入れるためにはそれなりの対価が必要なのが当たり前であり、その対価を求められないという状態は気持ちが悪い以外の何ものでもありません。

このツイートは私と同じように多くの人の琴線に触れ、まとめではこんなツイートが続きます。
*****
スーパー玉出でサンプル商品を無料配布してたら客が「施し受けるほど落ちぶれてへんわ!」と激怒して、そこで生まれたのがあの1円セール。
という有名なお話。
<椎名華凜@タイ移住キボンヌ(死語) @anotherskykixさんのツイート>
*****

無料ならNGで1円ならOK。
お金を払わないという状態は自らのプライドとも関わってきて、ややこしいのです。

こうした人間のややこしい心理を読み解くヒントを示すツイートがまとめにはあり、それが『予想どおりに不合理』(早川書房)という本です。
*****
「予想通りに不合理」にもこの話あったな。無料だと気遣いの心理が働き、有料だと自分の損得勘定だけで判断できるってやつ。
<久津佑介 @Nunermさんのツイート>
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この本ではまず、無料でクッキーをもらうときの心の動きを提示。
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あなたの仕事仲間のひとり――スーザンとしよう――が、なかなかのお菓子づくり名人だと想像してほしい。ある週末、暇をもてあましたスーザンは、おばあちゃんの評判のレシピでもっちりしたチョコチップオートミールクッキーを100個焼いた。
たまたま、あなたの職場には約100人の人がいる。(略)あなたなら何個もらうだろう。そして、何個にするか、どうやって決めるだろう。
たぶん、何よりもまず、自分の腹のすきぐあい(略)などをざっと考えるだろう。ほかにも、クッキーが足りなくて全員に行きわたらなかったらみんながどう思うか、あなたが何個も取ったとみんなが知ったらどうか、といったことも考えるかもしれない。
こうしたさまざまなことや、社会規範の重要さを念頭に置いて、あなたはひとつかふたつクッキーをもらうことにするだろう。
<『予想どおりに不合理』(早川書房)>
*****

次に、クッキーを1個5セントで買う場合の心の動きを示します。
*****
ではつぎに、これを少し変形させた状況を考えてみよう。今度は、スーザンがあなたのオフィスに来て、クッキーを1個5セントで買わないかと尋ねたとする。
あなたなら何個もらうだろう。そして、何個にするか、どうやって決めるだろう。
たぶん、今度も自分の腹のすきぐあい(略)を考慮するだろう。だが、さっきとちがって、たくさん買って自分で食べたり家に持って帰ったりするのに、なんの罪の意識もわかないだろう。
そして、スーザンのクッキーを自分がそんなにたくさん買えば、仕事仲間から同じ喜びを奪うことになるとは考えもしないはずだ。
<『予想どおりに不合理』(早川書房)>
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そして、無料の場合と有料の場合を比較。こう結論付けます。
*****
スーザンはお金を求めることで市場規範を持ちこみ、そのせいで無料のクッキーのとき作用していた社会規範を追いだしてしまったのだ。もっとおもしろいのは、どちらの場合もあなたがクッキーをいくつも取ると、職場のほかの人の分が少なくなるのがあきらかなことだ。
賭けてもいいが、スーザンが無料でクッキーを勧めた場合、あなたは社会的公正や欲ばりと思われることの影響や仕事仲間の幸福について考えるはずだ。
やりとりにお金が持ちこまれたとたん、あなたは社会的に何が正しく、何が正しくないのかを考えるのをやめ、できるだけたくさんのクッキーを手に入れたくなる。
<『予想どおりに不合理』(早川書房)>
*****

つまり、お金を払うことで人間は利己的になるということ。
極端にいえば、無料だと何かしらの意見をする余地がなかったのが、1円でもお金を払ったら意見をする余地が生まれるとも言えます。
現時点で有料の「子ども食堂」でトラブルが起きたという事例を見つけることはできませんでしたが、人間の心理から考えると、トラブルが起こる可能性はゼロではない。そのように思います。

(スタッフH)
(2018/8/28 UPDATE)
番組スタッフ
8月27日(月)佐々木俊尚●世界を脅かす 陰謀論の影響力
ドイツ、アメリカをはじめ、多くの国で支持を広げている陰謀論者がもたらす脅威とは?

8月28日(火)古谷経衡
*内容未定

8月29日(水)ちきりん●教養ブームが引き起こす“知の下方修正”
歴史や宗教、哲学などをわかりやすく解説した書籍や雑誌、テレビ番組が世に溢れるなど、“教養ブーム”が続いています。その負の影響とは?

8月30日(木)小田嶋隆●謎のアカウント「特務機関NERV」が災害速報を発信し続けるわけ
謎のツイッターアカウント「特務機関NERV」が災害速報を発信し続ける理由とは。
(2018/8/27 UPDATE)
番組スタッフ
娯楽としてのテレビの優位性は低くなったと言われますが、それでもスポーツが絡んだ場合、その強さを改めて感じさせられます。
ツイッター等を見ていると「平成の百姓一揆」という言葉に目が止まり、何のことかと思って調べてみると夏の高校野球。決勝戦の視聴率は関東で20・3%を記録したそうです。

やはり色々なところで「吉田くんすごいね」「金足農、観た?」との話題が振られます。
金足農業高校の活躍を全く観ていなかったので、その旨を伝えると「え!」と話題提供者は一瞬、驚きを見せます。そのような反応を見せるのは、一律に40代後半から50代の男性。
「え!」の後に続くのは、おそらく「平成の百姓一揆を観ていないなんてもったいない!」でしょう。
先日のサッカーワールドカップの時。1試合しか観ていないことを生粋のサッカーファンに伝えたら、「もったいない」と言われました。「お願いだからもっと観て欲しい」という懇願をされて戸惑ったことも強く記憶に残っています。

「高校野球」や「ワールドカップ」のような高いコンテンツ力を有しているものには、「もったいないから、ぜひともそれを体験するべき」という同調圧力が付きまといます。
私より30歳ほど年上のある男性が、高齢者の間では「美術に関心がなければならない」という同調圧力が存在しているのではないか、と語っていたことがあります。
彼が関わりを持ついくつかのコミュニティでは、「**の美術展に行ったか?」「上野で●●の絵を観たか?」というやりとりが必ずなされるというのです。
そして、彼は全く「美術」に興味がないらしく、「観てない」「観るつもりもない」とはっきり言うと、かなりの確率で「もったいない!」と憐れみを受けるのだと言います。

確かに私の母親もたまに東京にやってくると、必ず一人で美術展を目当てに上野へと向かいます。彼女が言うには、「人生で再び観られる保証がない」というのが動機なのだとか。
中高年の男性が突如として、蕎麦打ちを始めますが、あれも蕎麦というコンテンツによる同調圧力なのでしょうか。

ここまで書いて、日本特有の精神とされる「もったいない」とは、資源の少ない島国という地理的理由だけでなく、いつからか脈々と呪いのように根付いている「同調圧力」のおかげなのかもしれない、と思えてきました。

選択肢が増えた、あるいはそれが可視化されたからか。2020年の東京オリンピックを控えたからか、ここ最近の同調圧力により息苦しさを覚えるのは私だけでしょうか。
作家の鴻上尚史氏が同調圧力のことを「宿痾」と表現しています。

*************
 いきなり、身もフタもなく言えば、「みんなが同じになろう」という「同調圧力」は、日本の宿痾(しゅくあ)です。「宿痾」おどろおどろしい漢字ですね。広辞苑さんによれば「ながい間なおらない病気」です。

 もう少し正確に言うと、「同調圧力の強さ」と「自尊意識の低さ」が「宿痾」です。

「自尊意識」とは、自分を大切にし、自分をバカだと思わず、自分が生きていていいのかと疑問に思わず、自分の発言に自信がなくて言いたいことが言えないなんてことがない、自分はかけがえのない自分であるという意識です。

【帰国子女の娘がクラスで浮いた存在に… 鴻上尚史が答えた戦略とは?】
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日本の「宿痾」に、根本的に有効な治療法は今のところ、思い浮かびません。
鴻上氏が上記記事で語るように、同調圧力がないと感じるコミュニティを見つけて関わりを持つことが精神の健康には良いはずです。

10代の頃は誰もが観ていたテレビ番組、読んでいた漫画、遊んでいたゲームがあり、それらがクラスの中で共通言語として存在していたのですが、ドラクエ&FFはやるべき、週刊少年ジャンプは読むべきという同調圧力に苦しんでいたクラスメイトもいたことでしょう。
娯楽の選択肢が豊富な現代はどうかというと、数ある選択肢の中から見つけてきて、誰かに伝えたくなるほど面白いと思っても、実際の友人・知人と共感し合うということはありません。
それだけ、娯楽が細分化されているということです。

自分が体験した娯楽の楽しさを誰かに共感してもらいたいなら、どこかの知らない誰かとの方が、SNSを介して手っ取り早くできます。
娯楽以外にも日本の「宿痾」の存在を痛感する事例は様々です。
多様化が進んでいくからこそ、この「宿痾」による苦しみから逃れることは容易なのでしょうか。
むしろ、感じる苦しみは大きくなっていくのでしょうか・・・。

スタッフ坂本
(2018/8/23 UPDATE)
番組スタッフ
山口県周防大島町で2歳児が行方不明となり、3日ぶりに保護された件が連日のように報じられています。
2歳児は20日、入院先の病院から退院。
2歳児を救出し、一躍ヒーローとなったボランティア男性、尾畠春夫さんは「子供はお母さんの腕に抱かれるのが一番」と喜んだといいます。

2歳児が無事保護され、入院していた病院からも退院し、今は健康。
一件落着なわけですが、私にはどうしても気になって仕方がないことがあります。

それは、意味を理解できないままでいる尾畠さんのこの言葉。
「カラスがカアカア鳴くもんだから」。

*****
けさ3時半に目が覚めて、ご飯を食べようと思ったら、カラスがカアカア鳴くもんだから。
*****

こちらはテレビがほとんど伝えず、大手新聞各社が掲載している尾畠さんの一問一答からも除外されているので、発言自体を知らないという方も多いかと思いますが、尾畠さんはたしかにこうした発言をしているのです。

ただ、尾畠さんはこの発言を途中で止めてしまったので、「鳴くもんだから…」の後に続く言葉も分からず、もやもやした状態が続いていました。

そんな中、見つけたのが、写真家で作家の藤原新也さんのブログ記事。
藤原さんは、尾畠さんの“カラス”発言に着目し、詳細な分析をしています。

藤原さんはまず、尾畠さんが“カラスのとりやま”を見たのでは、と推察。
“カラスのとりやま”の下には獲物がある、ということのようなのです。
*****
彼は(出立のとき)「カラスがカーカーうるそう鳴くもんじゃけ」と口走ったのである。
そして彼はカラスという単語を口走ったとき、こういう言い方はしたくないが、というような素振りを見せ、それ以上は話さず、例の子供は上に上に行く習性があるという話に切り替えた。
そのとき記者たちはその「カラス」という言葉を完全にスルーした。尾畠さんが口にしたカラスの意味がわからなかったからである。
(略)
私個人は尾畠さんは580メートル先上空にとりやまを見たのではないかと思う。このとりやま(鳥山)は海にも立つが陸や山にも立つ。そしてそのとりやまの下には獲物があるということだ。
その獲物は生きている場合もあり死んでいる場合もある。
ちなみに東日本大震災の現場では陸地に多くのとりやまが立った。その下に溺死体があったからだ。
とくにカラスのような物見高い鳥は何か下界で異変があると騒ぎ立てる習性がある。
<「Shinya talk」2018/8/16>
*****

そして、尾畠さんは“カラスのとりやま”に下にピンポイントで向かい、男児を発見した。
*****
尾畠さんがカラスと口走ってその直後不吉なことを言ってしまったかのように口を噤んだのは、多くの人がそう懸念していたようにひょっとしたら何らかの事故で理稀ちゃんは死んでいるのかも知れないというもうひとつの彼の中の想定があったからだろう。
つまり理稀ちゃんが行き倒れしていた場合、肉食のカラスは上空からそれを見つけ、虎視眈々と狙いをつけるということである。
かりに死なない場合でも2歳児のような小さな子供は捕食の対象となり、弱るのを待っているということもあるだろう。
(略)
つまり普段カラスが飛ばぬような上空に円を描くようにカラスが群れ飛ぶとその真下の家の誰かが死んでいるか、あるは死に行く人がいるということを鋭敏に感じとっているというわけである。
尾畠さんはおそらくその不吉なカラスのとりやまを遠くに発見してピンポイントでそのとりやまの下に向かった。
私はそう考える。
<「Shinya talk」2018/8/16>
*****

これだとカラスの話を途中で止めた理由も、すとんと腑に落ちます。

尾畠さんが語ったわけではないので真実は分かりません。
ただ、尾畠さんであれば、これぐらいのことはお見通しだったのでは、と思わせる“何か”があることは確かなことであり、それは認めざるを得ません。
神扱いされている現状には違和感を覚えますが、こういった推察すら説得力を持つ時点で神扱いされる資格がある人物ということなのでしょう。

(スタッフH)
(2018/8/21 UPDATE)
番組スタッフ
8月20日(月)佐々木俊尚 ●「冷笑主義」へと向かう日本人

この10年で「冷笑主義」の傾向が高まったという日本人。その背景を探ります。

8月21日(火)速水健朗 ●生き残る企業に必須となったメタモルフォーゼ化

今後、企業にとって必須の能力だという「メタモルフォーゼ」の実態とは?

8月22日(水)飯田泰之 ●加速する地球温暖化。「ホットハウス・アース」は避けられない?

最新の論文をもとに、温暖化の絶望的未来を読み解きます。

8月23日(木)小田嶋隆 ●SNSで発言する行為の対価

命までも失うことが明らかになった今、あらためて考えるSNSの存在意義とは?SNSで発言することの対価とは?
(2018/8/20 UPDATE)
番組スタッフ
インターネット上の出来事を薄ぼんやりと眺めていると、定期的に議題に上がるテーゼがいくつかあります。
例えば、「騒ぐ子供」。

ファミレスでぐずり、号泣した2歳児の母親のツイートをきっかけに議論が起こりました。

【はてなブックマーク - マチコ先生(中指)さんのツイート】

我が家も以前はぐずりだすと、父母のどちらかが店外に連れ出してあやし、その隙に残った方が食事をする、ということをしていました。些細なことがきっかけでぐずりだし、それが号泣に発展するというのはほとんどの子育て家庭が経験していることでしょう。

上記ツイートをきっかけにした議論には、泣きじゃくる2歳児には何をしても無駄という意見があります。
幸いにも、と言うべきか我が子が2歳の時分、訪れた飲食店で騒ぐ、大号泣・・・ということはありませんでした。
家の外で、家族以外の人がたくさんいるところで騒いではいけない、と感情的に怒るのではなく、諭していると、いつの間にか理解してくれたようで、「静かにいた方がいい公の場」では静かにいてくれます。
こういう話をすると、「いいね、イージーモードの子育てで」なとど言われるのですが、子供の特性は千差万別。下の子が2歳になった時にはどうかわかりませんし、親による育て方も子の特性と同じように多様です。

2歳児だから仕方がない。ファミレスが悪い。あるいは親のしつけ方が悪い、という意見があるでしょうが、おそらく上記の親に対して許されるのは共感だけで、否定して「正しさ」を押し付けることは適わない。

私は子育ては宗教のようなものだと思っています。
子育ての教えは1つではありません。我が家のやり方を誰かに強要することもありませんし、他所のやり方を無条件に真似することもありません。
ただ、宗教のようなものですので気に入らない宗派はとことん気に入らない、ということも往々にしてあります。
知人の1歳になる子が39度の熱を出したとき、病院には連れて行かずに家で様子を見続けたと聞きました。私はそこの子供に対して何ら特別な感情もないのですが、無性に苛立ちました。
病院に頼って、薬をもらうのが嫌だという理由からなのだそうですが、我が家にある母子手帳には、病院受診の目安となる体温は38度と書いてあります。現代医学、科学に否定的なこの家庭が私はどうも苦手です。

話題となる出来事の主要登場人物に子供がいると、必ずと言っていいほど、賞賛と批判の対極的な意見が沸き起こります。
連日、様々なメディアで取り上げられている行方不明だった2歳児が見つかったというニュース。
発見した男性が飴玉をあげていたということに対して、「2歳児に飴玉をあげるな」という批判をツイッターで目にしました。

年の近い子供を持つ親として、2歳児の無事に無条件に安堵していたのですが、確かに冷静になってみると、我が子が2歳の時は飴玉をあげたことはありません。
私が持っている母子手帳には、39mmの穴が開けられたページがあります。
この39mmとは、3歳児が口を開けた時の大きさ。この穴を通るもの、つまり39mmより小さいものは3歳未満の乳幼児がうっかり口に入れてしまうと、喉に詰まったりする危険があるので遠ざけておきましょう、という注意喚起のためにあります。
とりあえず、困った時は母子手帳の言う通りにしておけば良いと我が家は思っているので、乳児期を過ぎても39mmの穴を通る咀嚼が難しそうな食べ物には細心の注意を払ってきました。

飴玉に関しても「大人が見て入れば安心」と考える人もいれば、「3歳未満では絶対にあげない」という人もいるでしょう。母子手帳などには目もくれず、祖父母のやり方を信じるという人もいるでしょう。
育児は家庭によって信ずるものが様々な宗教のようなもの。こちらの育児法が正しいと思っていても、眉唾な擬似科学を実践する家庭もあります。

効果の定かでないスピリチャルな育児法が精神の拠り所となるのかもしれませんが、育児においては、それに倣った方が良いとされる指針が存在する場合もあります。
インターネットで発見したどこの誰が信頼性を担保しているのかわからない情報を信じるよりも、”とりあえずは”母子手帳のように蓄積された知を頼る方が安心だと思います。
もちろん、知識もアップグレードが必要ですので、どこかで冷静に捉える≒疑うことも重要なのかもしれませんが。

スタッフ坂本
(2018/8/16 UPDATE)
番組スタッフ
今月4日に亡くなった俳優の津川雅彦さんと、今月8日に亡くなった沖縄県の翁長雄志知事。
この2人の死後、それぞれの死を侮辱するツイートが見たくなくても目に飛び込んでくる状態が続いています。

「翁長知事…英霊の罰を受ける‼万歳万歳万歳」「翁長が痩せこけててザマァって感じ笑笑」「ひゃっはー!w今夜は祝杯だ、酒もってこおおおおおおいっ!!!www」(Togetter)
俳優の津川雅彦さんが死去→「津川も亡くなったので安倍もとっとと辞めやがれ」等と言ってる人々(Togetter)

まとめのタイトルに分かりやすいツイート例が挙げられているうえ、気分を害するものしかないので、あえて挙げませんが、ライトサイドの方々が津川さんの死を侮辱し、レフトサイドの方々が翁長知事の死を侮辱しているという構図です。

うんざりする中、私のツイッターのタイムラインに流れてきたのが、翁長知事と津川さんの死去についてのツイートを分析したブログ記事。

翁長雄志、津川雅彦、両氏の死についてのツイートを分析し、左右どちらのほうがクズなのか計量的に分析してみました(「雑記(主に政治や時事について)」2018/8/12)

こちらの記事がTwitter上で拡散するなど話題になっています。

タイトルにあるとおり、翁長知事と津川雅彦さんの死去についてのツイートを計量的に分析し、左右どちらの方がクズなのかを示した記事で、書いたのは、政治・時事についての雑記をブログに綴っている、ボビー・ブラウンさん。

記事によると、分析対象の条件は、ツイート内容に「翁長」を含むものと「津川」を含むもの。

そして、翁長知事、津川さん両方のサンプルファイルを下記の3つの観点から目視でチェック。

・相手が思想的にどのような陣営に所属するのか断定する書き込み(「津川はネトウヨ」や「翁長はクソサヨ」など)
・相手が死んだことを喜ぶ書き込み
・相手が死んだことで、何かが良くなるという内容の書き込み(「翁長が死んだことで、沖縄の政治が正常化する」など)

そのうえで、翁長知事への侮辱、津川さんへの侮辱が、すべての書き込みの中でどのくらいのボリュームを占めていたのかを比較するというもの。

分析結果は、翁長知事への侮辱が20個、津川さんへの侮辱は19個でほぼ同数。
しかも侮辱ツイートをしていた人の割合は、全ての書き込みの中の3.3%程度に過ぎなかったといいます。

ボビー・ブラウンさんはこう綴ります。
*****
これで計量的によくわかった。要はどんな陣営にも一定程度の割合で屑がいるということ、そしてその割合は精々全書き込み中の3.3%程度に過ぎないということだ。
*****

「どんな陣営にも一定程度の割合で屑がいる」
これはなかなかの名言です。

また、多くの人が翁長知事もしくは津川さんを侮辱しているかのように感じていたのは、ただの錯覚だったという気づきも与えてくれます。
リツイートが繰り返されることで、実際の数よりも多く見えていたということなのでしょう。

ネット炎上に1年以内に1度でも参加したことがある人は、ネットユーザーのわずか0.5%。
これに比べたら多いですが、翁長知事や津川さんの死を侮辱するツイートをしている人の割合が取るに足らない数であることは明るいニュースだと、私は捉えています。
ネット炎上と同様、一部の特殊な人間だけがやっているという事実に安堵したのです。

(スタッフH)
(2018/8/14 UPDATE)
番組スタッフ
8月13日(月)佐々木俊尚●飲むとモラルが向上。「道徳ピル」は社会をどう変えるか?
飲むと人間のモラルを向上させるクスリ「道徳ピル」が導く未来はディストピアか、ユートピアか、考える。

8月14日(火)古谷経衡
*内容未定

8月15日(水)ちきりん●太平洋戦争が勃発した日、日本人は何を思ったのか
『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』が示す、有事の教訓とは?

8月16日(木)小田嶋隆●医療現場が男性医師を渇望するわけ
医療現場が男性医師を渇望する理由とは?

(2018/8/13 UPDATE)
番組スタッフ
まるで、厄災かのように様々な問題が浮上する東京オリンピック。
日本ボクシング協会前会長による、昭和の遺物っぷり。
今度は女子チアリーディング部のパワハラまで明らかになった日本大学。
目の前にある課題を解決するのは常に異常な精神論、あるいは暴力が添えられる蛮行と言わんばかりのニュースがあまりにも多すぎて、この国に根付く体育会系精神をどうにかしてほしいと思うのは私だけでしょうか。

大喜利なのか、虚構新聞なのか、わからなくなるのが東京オリンピックの暑さ対策です。
現代とは全く気候が違ったであろう江戸時代の知恵に頼るとする策が練られています。
例えば打ち水。私の近所でも打ち水をしているおじいさん、おばあさんがいますが、決まって朝か夕方。
陽の高い日中は、まさに焼け石に水なのでしょう。
都知事は盛んに打ち水を推していたので、私も自宅(マンション1階)で実践してみましたら、涼しさを感じたのは一瞬。部屋の湿度計は80%に達し、不快感が凌駕しました。
オリンピック組織委員会は「クールシェア」というマラソンコース沿いの店舗やビルで冷房の効いた1階部分などを開放してもらう奇策を打ち出しました。
自宅ベランダで実践してみましたが、業務用のエアコンではないせいか、全く効果を感じられませんでした。何より、「とても勿体無いことをしている」という罪悪感に襲われます。

ここまで奇策が飛び出し、いじられ放題になっているのなら、思い切って涼しい季節に開催したら良いのにと素人の私は思うのですが、「何としてでも実行する」という異様な気概には恐れすら抱いてしまいます。

「夏季」と付くくらいだから、夏に開催しなければならないと言わんばかりの前例踏襲。
前例と「今」が全く同じ条件下にあるとは限らないのに、それを無条件で踏襲するのはおかしな精神論、根性論、体育会系精神に支配されているといぶかざるを得ません。

話は変わりますが、私は一度だけ東京の大きな花火大会に行ったことがあります。
毎年8月に多摩川両岸の河川敷で同時に開いている「多摩川花火大会」と「世田谷区たまがわ花火大会」です。川沿いなので湿度が異常に高く不快で、人も多くて皆どことなく殺気を帯びているようで、心に残ったのは花火を見た感動よりも後悔の方が勝りました。
その多摩川花火大会ですが、8月開催の前例を覆し、今年は10月に延期されています。
きっかけは昨年の雷雨です。

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両花火大会が荒天のため中止となった昨年は、世田谷区側の河川敷に落雷があり、花火を見るため来ていた9人がしびれなどを訴えて病院に搬送された。
今年は10月13日に開き、開始時間を1時間繰り上げ、午後6時からとする。
【産経ニュース 多摩川花火、今年から10月開催に 昨年は落雷…天候不安定な夏を回避】
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前例を踏襲しない。花火は夏の風物詩という常識を捨てる。あっさり決断できたことなのか、苦渋のそれなのかわかりませんが、私は英断であると感じました。
もはや現代日本の気象では屋外での「夏の風物詩」をノーリスクで、かつ心から満喫することは困難になっているということは誰もが実感していることなのではないでしょうか。

失敗しないために前例≒マニュアルを知っておくことは大事なこと。
しかし、その前例と現在進行形の課題が同じ条件下にあるとは限りません。
前例を踏襲する、学ぶというのは良いことのように思えて、いざ実践してみると前例が成功した時が古すぎて時代遅れ、ということは決して少なくありません。
そして、その前例を何としてでも踏襲しようとする体育会系精神、根性論も時代に見合わないこともご存知の通りです。
インターネットにより世界がつながり、何気ない日常の中で、時代の変化や進歩を実感することが可能となりました。
ゆえに、「現在進行形の課題」と「前例」の歪みを見つけることも難しくないでしょう。

スタッフ坂本
(2018/8/9 UPDATE)
番組スタッフ
政府が検討しているという、2020年の東京五輪・パラリンピックの酷暑対策として、国全体で時計の針を1〜2時間進めるサマータイムの導入。

酷暑対策でサマータイム導入へ 秋の臨時国会で議員立法 31、32年限定(「産経ニュース」2018/8/6)

「政府がサマータイムの導入に向け、本格検討に入った」と伝えている6日の産経新聞によると、現在、検討されている案は以下のようなもの。

・最も暑い6〜8月を軸に数か月間だけ2時間繰り上げる
・2019年に試験導入したうえで問題点を改善し、2020年に本格導入する
・導入すれば、午前7時スタート予定のマラソンが、もっとも涼しい午前5時スタートとなり、日が高くなる前にレースを終えることができる

もっともらしく理由が説明されているようにも見えますが、暑さ対策でサマータイムを導入というのがまず腑に落ちないのです。

サマータイムは、日照時間の長い夏に、一斉に時間を1〜2時間繰り上げ、明るい時間を有効活用する制度。
余暇を充実させるために導入されている制度を、暑さ対策に転用している時点で無理があるのです。

また、以下の記事によると、「もし東京五輪で導入されると、夕方に開始予定の競技はより暑い時間帯から始まるなど、新たな課題は出ることになる」ようで、時間を1〜2時間繰り上げたところで、大した意味がないどころか、さらなる対策まで必要になる可能性があるのです。

東京五輪「サマータイム導入検討を」 組織委、政府に(「朝日新聞デジタル」2018/7/27)

全国で一律に導入する意味も、正直よく分かりません。

一部の競技を埼玉県朝霞市、福島県福島市、神奈川県横浜市など、東京以外の自治体で実施するからなのでしょうが、そうであるならば、最悪、東京五輪と関係のある自治体だけで導入すればいいだけ。
無関係な自治体からしてみれば、いい迷惑です。

産経新聞は2019年と2020年の限定導入になる可能性を伝えていますが、これを本気で実施するとしたら大きな無駄が生まれる可能性があります。

サマータイムを導入する場合、企業にはシステム変更などの導入コストが発生し、そのコストをこの2年のためだけに費やし、さらにシステムを戻すためのコストもかかってきます。
これは明らかに大いなる無駄です。

暑さ対策のためであるならば、競技の開始時刻を早めるだけで済みますし、もしくは開催時期を1964年の東京五輪と同じように10月にすればいいのです。

酷暑の東京五輪は必至?「秋開催」できない切実な理由(「AERA.dot」2015/8/31)

お金がらみの切実な理由があるようですが、これが最善の策であり、これが実現できないのであれば、猛暑開催を受け入れるしかないのでしょう。

(スタッフH)
(2018/8/7 UPDATE)
番組スタッフ
8月6日(月)佐々木俊尚 ●太平洋戦争化する東京オリンピック

東京オリンピックの太平洋戦争化に警鐘を鳴らします。

8月7日(火)速水健朗 ●「水道事業」民営化の危うさ

水道事業の民営化はどのような影響をもたらすのか、考えます。

8月8日(水)飯田泰之 ●はやぶさ快挙をきっかけに増殖する「宇宙不動産屋」

はやぶさに感動する日本をよそに繰り広げられる宇宙の資源争い。「宇宙不動産屋」の実態とは?

8月9日(木)小田嶋隆 ●世界4位の移民大国が向かえる未来

世界4位の移民大国となっていた日本がたどる未来と読み解きます。
(2018/8/5 UPDATE)
番組スタッフ
世間を賑わせて、人々の感情を悪く刺激する問題は無尽蔵に存在しています。
こういった問題には「悪人」の存在が欠かせません。その「悪人」が本当に悪事を働いたかどうかはそこでまで重要でなく、その「悪人」の容姿、言動がそれらしければ「推定」の段階でも容赦なく叩かれます。

最近、メディアで連日のように報じられているのが「東京医科大の裏口入学問題」。
権力や富を有する「持てる者」が「悪人」の立場にある場合、問題は加速度的に大きくなっていく傾向にもあります。

まるで伊丹十三作品のどこかにありそうな話が未だに存在していることにも驚きですが、「詰んだ」と思わせられたのが東京医科大が女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていたことが明らかになったという報道です。

私はフェミニストではありませんが、あまりにも前時代的で、人間がもつ権利をないがしろにし、ヒラリー・クリントンのいう「ガラスの天井」よりももっと汚らしく、悪質であると感じました。

私の親戚が女医をやっています。数年前に研修医を終えて、専門の道を選択し、医師としての人生をスタートしたばかりなのですが、彼女の医学部受験は壮絶でした。
心身を磨耗させているのがありありと伝わてきました。

医学部を受験し、合格するまでに費やす労力は一般大学のそれ以上なのかどうかは受験する大学によりけりなのかもしれませんは、彼女は誰の目から見ても、全身全霊で医学部に合格するために必要なことすべてをやっていました。

幸い彼女は医学部に合格しましたが、東京医科大がやったと報じられるようなことが他の医大、医学部でも行われていたのだとしたら・・・。
医学部合格を果たすために、時に謎の高熱を出し、時に謎の難聴に陥っていた親戚を思うと、同じような努力をして、下衆な目論見で振るい落とされた人がいると想像すると、全くの他人事なのに怒りで震えてしまいます。

YOMIURI ONLINEによると、女子の合格者数を意図的に減らしたことについて東京医科大の関係者は「いわば必要悪。暗黙の了解だった」と語っているようです。

私はこれまで生きてきて、「必要悪」という言葉を目の前にいる人間が本気で使ったという経験は持ち合わせていません。
創作の中の人物が「必要悪だから仕方がなかった」というようなシーンには何度も遭遇したことがありますが・・・。

辞書には「必要悪」の意味は以下のように記されています。

【必要悪】
ない方が望ましいが、組織などの運営上また社会生活上、やむをえず必要とされる物事。

創作の中で悪人の口から「必要悪」という言葉が使われる多くの場合、保身、言い訳のためのような気がします。
そして創作の中で悪人以外の人物が「必要悪」という言葉を使う場合、それは悪人が近い将来に「滅亡」することを示唆しているというパターンもあります。

つまり、(推定)悪人が己の行為を「必要悪」と認識することは、自分自身が、あるいはその行為が滅びに向かうカウントダウンが始まることと同義なのではないでしょうか。

「必要悪」という言葉が実際にどのように使われているのかググってみると、例えば「暴力団」「タワーマンション」に添えられているようです。
「必要悪」という言葉を添えられたから「滅びる」とまではいかなくても、人々から、社会から存在を認められない存在となるのか。あるいは近い将来に直面する大きな問題を孕んでいることは確かなようです。
(2018/8/2 UPDATE)

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