
1918年6月1日に、アジアで初めてベートーヴェンの交響曲第9番(通称「第九」)の全曲が、現在の鳴門市にあった板東俘虜収容所にいたドイツ兵捕虜によって演奏されてから、2018年6月で100年を迎えます。初演の背景には、当時としては異例の捕虜に対する人道的な配慮を行った「松江豊寿(とよひさ)所長」と、おもてなしの精神をもつ「地元民」の存在がありました。100周年を一つの区切りとし、国境や人種を越えて織りなされた友愛の史実を鳴門市から発信していきます。
第一次世界大戦当時、中国青島(チンタオ)での戦いで日本に敗れたドイツ兵のうち、約1,000人が、1917年に徳島県板東町(現在の鳴門市)の板東俘虜収容所に収容されました。板東俘虜収容所は、会津出身の松江豊寿所長が、捕虜に対して人道的な扱いを心がけ、収容所の運営においても捕虜たちの権利を尊重し、自主的な活動を奨励しました。捕虜たちはそれを受け、スポーツ活動や商業活動、文化活動などに精力的に取り組み、地元の住民との交流も盛んに行われました。特に音楽活動に関しては、1917年から捕虜が解放される1920年までの約3年間に、100回以上ものコンサートが開かれました。そして、1918年6月1日、満足な楽器も無く、女性の歌い手もいない中で、ベートーヴェンの交響曲第9番がアジアで初めて全曲演奏されました。
その後、第一次世界大戦の終戦を機に板東俘虜収容所は閉鎖され、第二次世界大戦の終戦後に収容所跡地は、海外から引き揚げて来た方たちの仮の住まいとなり、ドイツ兵との交流も忘れられようとしていました。そのような折に住民となった高橋春枝さんが、山中の草に埋もれていた「ドイツ兵の慰霊碑」を発見し、この慰霊碑の清掃活動を始め、それが13年続いた1960年、ドイツ本国にその善行が伝わり、ドイツ大使や神戸総領事が鳴門市を訪れました。これ以後、元捕虜達が来日するなど、約40年の時を経てドイツとの交流が復活し、それは現代まで続いています。
現在鳴門市では、毎年6月の第一日曜日に「第九」交響曲演奏会を実施しています。この演奏会は1982年の鳴門市文化会館の落成記念事業として第1回演奏会が行われてから毎年行われ、2018年には37回目となります。 「第九」アジア初演100周年を迎える2018年というこの絶好の機会に「なると第九」を、「第九」の素晴らしさを鳴門市から発信します。