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ニューヨーク・ヤンキースの通算安打数 歴代トップ3(2015/3/23)

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月曜日は「スポーツ」。


今日はメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキースにおける
通算安打数歴代トップ3をご紹介!



第3位【 ベーブ・ルース 】2518

第2位【 ルー・ゲーリッグ 】2721

第1位【 デレク・ジーター 】3465


リーグ優勝40回、ワールドシリーズ優勝27回という超名門チームで活躍を続け、数字を残すのは並大抵のことではありません。今回1位に輝いたジーターの場合、その人柄も素晴らしく、ヤンキース11代目のキャプテンを過去最長の12年にわたって務めました。


そのヤンキースに在籍した日本人選手で、大きな存在感を示した一人といえば、松井秀喜さんです。同じユニフォームに袖を通した、ジーターと松井。ともに40歳の二人が、先週土曜日に再びスタジアムを沸かせました。


東京ドームで行われた【 2015 ハイチュウプレゼンツ トモダチチャリティベースボールゲーム 】で監督を務めたふたり。日本に住むアメリカ人のジュニアユース選抜「Team ジーター」vs 東日本大震災で被災した東北3県の中学生選抜「Team 松井」の試合は、背番号が全員現役時代の松井さんと同じ「55」という「Team松井」が2-0で勝利しています。この試合に出場した子どもたちは、こう感想を話してくれました。


●僕たちのためにこんなにすごいイベントを開いてくれて嬉しかったし、ベンチに帰ってきたとき松井さんに「ナイスバッティング」と言ってもらえたのが嬉しかった。松井さんのように心が広くて、優しい大人になりたいです。
●ヒットを打ちたかったけれど打てなかった。でも勝てて良かった。
●松井さんやジーターさんのように、復興を元気づける役割を担える大人になりたいです。
●貴重な機会なので、一球一球を大切にプレーしました。ジーターさんに「サインプリーズ」と言ったら「あげるよ!」と言われ、温厚で松井さんに似ていると思いました。夢はプロ野球選手なので、みんなを活気づけられるハキハキした選手になりたいです。

この試合に先立って、ジーターさんと松井さんによるスペシャルトークショーも行われました。夢を持つこと、その夢を叶えるために必要なことを子どもたちを前に語ったおふたりの話を一部ご紹介します。


Q:ジーターさんは子どもの頃から、ご家族の影響でヤンキースのショートになる夢を持っていたそうですが、それは何歳のころからで、夢を実現するために何からチャレンジしたのでしょうか?


ジーター:子どもの頃から、唯一将来の夢として描いていたのがヤンキースのショートになることでした。それは5、6歳の頃からずっと思い描いていた夢で、自分が育ったミシガン州の小さな町では「絶対に無理だ」と何度も言われていました。でも、それが逆に「そんなことはない!見返してやるんだ」と自分のモチベーションになり、その夢を叶えることが出来ました。

Q:松井さんは子どもの頃から、相撲やピアノなど様々なことにチャレンジしていらっしゃいましたが、ご両親から何かアドバイスはありましたか?


松井:常にアドバイスはありました。親としてはこう思う、と言われましたが、決めるのは自分。「判断は自分でしなさい」と教わってきました。また「やるからにはやり抜きなさい」野球も始めたからには自分が納得するまでやり抜いて、最後は自分で選びなさいと言われ、中学にあがる時に野球一本に絞って、それに打ち込んできました。

Q:夢を諦めようと思ったことは?


ジーター:私がヤンキースと最初に契約したのは、18歳になった翌日でした。当時は全然打つことも出来ず、守ることも出来なかった。ホームシックにもなりましたし、毎晩涙を流すこともありました。そこで大事だったのが、家族のサポートでした。家族がいて「頑張れ!」と励ましてくれて、そのおかげで必死に練習をして、何とか食らいついていこう、という気持ちになって今の自分があると思います。素晴らしい家族に囲まれることの大切さを改めて思い知りました。

Q:小さい頃好きだった食べ物は?


ジーター:実は昨日、松井さんの実家におじゃましたんです。松井さんのお母さんの手料理(チキンカレー)は最高でした!いま、好きな料理はそれです。

松井:僕は小さい頃からずっと、それを食べていました(笑)。

今回のイベントに参加した子どもたちの中から、将来、松井さんやジーターさんのような素晴らしい選手が誕生したら素敵ですね。
今日は『ニューヨーク・ヤンキースの通算安打数 歴代トップ3』をご紹介しました。