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EDC 営業日誌(過去のお客様)

2020年11月14日放送

Passenger

MAKIDAI

宮崎第四公園(1990)、セントラルパーク(1997)、中目黒(1994)

本日は、EXILE MAKIDAIさんの思い出の地、1990年 神奈川県「宮崎第四公園」、1997年 ニューヨーク「セントラルパーク」、1994年東京都「中目黒」を、ご案内しました。

 

まず最初の旅先は、1990年、神奈川県川崎市「宮崎第四公園」
小学校〜中学3年生まで野球をしていたMAKIDAIさん。ポジションはキャッチャー。中学1年の時は、学年のまとめ役を任されていました。中学2年で転校することになりますが、野球部の監督はMAKIDAIさんが転校するにもかかわらず、引越し当日の朝まで厳しく指導してくれて、最後に「これでどこに行っても大丈夫だな」と言って背中を押してくれました。
川崎の学校へ転校した中学2年当時、世間はダンス・ブーム。MAKIDAIさんも、HIROさんが所属していたZOOのメンバーたちが出演していたダンス番組に熱中しました。中学3年まで野球を続け、引退後にいよいよダンスを始めます。当時、HIPHOP系のダンス・スクールはあまり無く、MAKIDAIさんはここ「宮崎第四公園」で練習に明け暮れました。初舞台は、中学3年時の「卒業生を送る会」。チーム名は“Rap・Brothers”!公園で磨き上げた技術を存分に発揮したRap・Brothersは大盛り上がり。この出来事が、MAKIDAIさんのダンス魂に火を付けることになりました。
その後、高校時代に、中目黒にあったZOOダンススタジオでHIROさんに出会います。


※ZOOスタジオに通っていた16歳当時のMAKIDAIさん

 

 

続いての目的地は、1997年のニューヨーク「セントラルパーク」
当時21歳。
ダンスへの夢を捨て切れなかったMAKIDAIさんは、大学を中退。過去に2回、ダンスの短期留学で訪れていたニューヨークへ。マライア・キャリーやZOOのMVに出演していた、憧れのマークエスト(ニューヨーク・ブルックリンのダンサー)に会いたい!と願っていた矢先、語学学校の友達がなんと知り合いだったのです!マークエストと仲良くなったMAKIDAIさんは、一緒にダンス練習をしたり、遊びにいったりして、ニューヨークでの時間を過ごします。また、セントラルパークでは園内でいろんなLIVEが行われていて、ヒップホップバンド「ザ・ルーツ」のLIVEでヒューマンビート・ボックスの達人、ラゼルの演奏を聴き、ヤバい文化がある!!と衝撃を受けます。


※ニューヨーク留学当時

ニューヨークで様々な文化・技術を吸収したMAKIDAIさんは、帰国後、初仕事としてMISIAさんのバックダンサーになります。


※ニューヨークから帰国したMAKIDAIさん

 

 

最後の目的地は、ニューヨークに渡る3年前、1994年の「中目黒」。
当時19歳。 MAKIDAIさんは中目黒駅前のZOOのダンススタジオに通っていました。目黒銀座商店街には、レコード屋「ONE WAY」があり、貴重なレコード・Mixテープから音楽の知識を得ていました。また、EXILEのメンバーUSAさんとは、当時からすでに知り合いで、USAさんのお父様が経営されていた中目黒の日焼けサロン「パワーハウス」に通って、たまに無料で日焼けをさせて頂いていたそうです。
現在も事務所は中目黒。
長くこの場所で過ごして来たMAKIDAIさんは、2015年にパフォーマーを卒業。現在はクリエイティブユニット「PKCZ」などでDJとして活動しながら、かつてZOOに憧れたMAKIDAIさんのように、EXILEの活躍を見て育った後輩たちのサポートを精力的に行っています。

PLAYLIST
  • 「Rising Sun」
    EXILE
  • 「Her」
    Guy
  • 「つつみ込むように…」
    MISIA
  • 「Choo Choo TRAIN」
    EXILE
  • 「道」
    EXILE