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2020年11月28日放送

Passenger

坂本冬美

洗足池公園(1986)、グランド・キャニオン(2002)、熊野古道(1979)

本日は、坂本冬美さんの思い出の地、1986年の東京・大田区「洗足池公園」、2002年のアメリカ「グランド・キャニオン」、1979年の和歌山県「熊野古道」をご案内しました。

 

 

1986年 洗足池公園

演歌歌手を目指すため、地元・和歌山の梅干し会社を辞めて上京した坂本さん。
作曲家・猪俣公章先生の御宅(洗足池公園周辺)にて内弟子となりました。
苦節15年でヒット曲を出した小林幸子さんを小学生の頃に見ていた坂本さんは、“苦労するのは当たり前”と覚悟して、犬の散歩・掃除・運転手など、内弟子として出来ることは何でも行いました。
辛かった事は、猪俣先生から直接レッスンを受けられなかった事。
先生の外食時、運転手の坂本さんは、待ち時間の車内で歌の練習を行い、翌年のデビューに備えていました。


※内弟子時代の坂本冬美さん(写真左手前は猪俣公章先生、右には渡哲也さんが!)

デビュー曲は『あばれ太鼓』
憧れの石川さゆりさんのような女歌を歌いたいと思っていた坂本さんは、男心を唄うこの曲に疑問を感じ、勇気を振り絞って『先生、これは売れないと思います!』と伝えたそうです。
勿論一蹴されましたが、結果的には、80万枚の大ヒット!
先生の言う事は聞かなければならないと、心に誓ったのでありました。


※デビュー時、猪俣先生と。


※デビュー曲『あばれ太鼓』のキャンペーン中

 

 

2002年 グランド・キャニオン

1987年のデビューから常に第一線で活躍され続け、紅白歌合戦に出場していないのは、デビュー年と2002年の2回のみ。
2002年、心身共に疲労がピークを迎えていた坂本さんは、無期限の休業に入りました。引退も考え、この先どうなるのか思い悩んでいた時、訪れたのがグランド・キャニオンでした。壮大な景色を目の前に、自分が悩んでいた事がとても小さく感じ、自ずと涙が溢れ出ました。「一度、頭の中を真っ白にして、心が動いた時にまた考えればいい」と気持ちに整理をつけることが出来ました。


※2002年グランド・キャニオンにて

その後、坂本さんは、「岸壁の母」で有名な二葉百合子先生の下で1から歌を学び直します。デビューしてすぐに人気歌手になった一方で、「自分には基礎が無い…」とコンプレックスを抱いていましたが、二葉先生の下で、自信と実力を取り戻し、「坂本冬美・第二章」が幕を開けるのでした。

 

 

1979年 熊野古道

演歌の枠を超え、様々なミュージシャンとコラボを果たしてきた坂本さん。この度、かねてから大ファンと公言されている桑田佳祐さん作詞・作曲の新曲「ブッダのように私は死んだ」をリリースされました。

坂本さんがサザンオールスターズを知ったのは、今から約40年前。
当時中学生の坂本さんは、初恋の山本君とお付き合い中。2人のデートは熊野古道付近の川遊び、そして山本くんの好きだったサザンオールスターズをラジカセで聴くことでした。演歌しか知らなかった坂本さんは、瞬く間に、サザンオールスターズの虜になりました。

時は流れ、同じ音楽業界に。
しかし意外にも、桑田さんにお会いしたのは2018年の紅白歌合戦の時が初めて。リハーサル時に桑田さんを見つけた坂本さんは童心に返り、握手を求めたそうです。翌年、桑田さんに曲を書いて頂きたいという想いがフツフツと甦り、スタッフを通して手紙を送りました。
数ヶ月後、スタッフから、「こちらにお越しください」とお返事を頂き、お断りの返事かな?と思いつつ訪ねると、そこには桑田さんが!そしてなんと、曲が既に出来上がっていました!!
素敵なサプライズを受けた坂本さん。感動のあまり涙を流しました。
このようにして、40年前から大ファンである桑田さんから、特別な1曲を頂いたのです。

 

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PLAYLIST
  • 「夜桜お七」
    坂本冬美
  • 「あばれ太鼓」
    坂本冬美
  • 「栞のテーマ」
    サザンオールスターズ
  • 「ブッダのように私は死んだ」
    坂本冬美