PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年8月21日放送

Passenger

飯沼誠司

本日のお客様は、飯沼誠司様。
1974年、東京都生まれ。東海大学進学後、ライフセービング部に入部。大学時代はライフセービング競技の花形種目アイアンマンレースをメインに活躍され、大学卒業と同時に、オーストラリアが主催するワールドシリーズ「ワールド・オーシャンマンシリーズ」に日本代表として選出され、日本人ライフセーバーとしては初めてプロ契約を果たします。その後、アイアンマンレースの全日本選手権5連覇という偉業を達成。2006年には「館山サーフクラブ」を立ち上げ、水難救助の第一線に立ち、海岸の安全と環境を保全する活動を始め、2010年にはライフセービング世界大会で準優勝。2014年、早稲田大学学術院社会人修士修了。2015年には、ライフセービング競技日本代表監督に就任。一般社団法人アスリートセーブジャパンを設立し「安心・安全なスポーツ環境づくり」を発信されています。また、ライフセーバーとしての活動の傍ら、映画やテレビでもご活躍!多方面でライフセービングの普及に務めています。

 

 

〜ライフセーバーとは?〜

飯沼さんに「ライフセーバー」の役割について詳しくお聞きしました。一般的には“救助する人”として認識されることが多いですが、基本的には水辺の事故を未然に防ぐ活動を行っています。海での監視活動では、「人が流されていないか」「子供だけで泳いでいないか」など、常に水辺の状況を確認。また、水辺だけではなく海水場周辺でのトラブル・喧嘩などの仲裁に入ることもあるそうで、地域一帯の安全を見守っています。さらに、波や気象状況をチェックし、波の荒れ具合・風の強さによって遊泳禁止のフラッグを立てる役目も、ライフセーバーに一任されています。晴れていても雷が鳴っていたり、クラゲが大量発生している時は遊泳禁止の旗を立てることがあるそうです。一般の方では判断しづらい状況を見極めるため、ライフセーバーは業務に入る前に朝練を行い、その日の海の状況を判断しています。夏以外のシーズンは、講演会や後進の育成に励みます。飯沼さんの所属する千葉県館山市のライフセービングクラブは、地元に根付いたクラブを目指しており、ジュニアチームへの指導や、大会参加もされています。また、ライフセーバーのなかには、10月以降になると南半球へ渡り、海外で活動される方もいるそうで、飯沼さんのクラブチームも、シドニーのチームと交換留学をされるなど、技術向上に努めています。そして、ライフセーバーにとって体作りは毎日欠かせない日課で、“自分自身の体力や実力のレベルを知る”という点でも、とても重要だそうです。もし、自分では救助できない状況(海の荒れ具合など)に遭遇した場合、自分のレベルを知っていれば他の方への協力を依頼できます。無理に1人で救助に向かうことは、救える命を救えない可能性を高めてしまう恐れがあるため、常に自分の実力を把握しておくことが重要になってきます。そのため、アスリートのように、毎日のトレーニングでご自分のレベルやコンディションをチェックされています。

今年はコロナ禍で迎えた2度目の夏。海水浴場は全国的に閉鎖するところが多い状況が続いています。従来通り開設されていれば、ライフセーバーの方が遊泳区域の整理を行うため、サーファーや水上バイクが泳いでいる人の区域に入ることはありません。しかし、区域整理が出来ない今、遊泳者と水上バイクなどの境目が無い状態となっています。そのなかでの監視はとても難しく、SUBARUが提供するライフセービングカーを使用して海岸をパトロールされ、注意喚起行っています。また、救助した方がコロナ陽性だった場合などのコロナ対策も重要。人工呼吸が必要な時は、手で行う人口呼吸器を使用したり、また、溺れた人を陸に上げるチームと、陸で救助を行うチーム(感染対策を整えた格好で)を分けるなどして対応されています。

 

 

〜ライフセービングとの出会い〜

飯沼さんがライフセービングに出会ったのは、大学生の時でした。入学当初は、トライアスロン部に入る予定でしたが、競技用自転車の費用や遠征費が高く、経済的な事情で諦めることに。その後、ライフセービング部の説明を受けた際、資料映像で観た外国の方のたくましい姿に憧れを抱き、入部を決意されます。実は幼少期は虚弱体質だった飯沼さん。高校生まで水泳を習っていましたが、水泳を始めたきっかけは喘息の発作を抑えるため、体力作りとして医者から勧められてのことでした。その後、飯沼さんは、水泳の成績を伸ばしていき、高校生の時はインターハイに出場する選手にまで成長!しかし、高校3年間では、毎日1万メートルほど泳いで練習に打ち込みましたが、タイムは1秒しか縮まらず、スランプに陥り水泳を楽しめなくなってしまいました。そこで大学では、違うスポーツを選択しようと考え、最終的にライフセービングと出会うことになりました。

ライフセービング部に入部した飯沼さん。入部早々、4月〜6月の間でライフセービングと日本赤十字社の資格を取得し、そして、7月からは海で監視活動が始まりました。入部3ヶ月で早速、ライフセーバーとして実践が始まったため、飯沼さんは先輩の実力に追いつくために、全体で行う朝練の前に朝・朝練を行っていたそうです。朝・朝練→朝練→ライフセーバー→夕練といった流れをこなし続けること2ヶ月、なんと高校3年間で1秒しか縮まらなかった水泳のタイムが短期間で縮まったのでした!また、実際に海に出たことで、自然の怖さと強さを実感し、人間として謙虚さも生まれたとおっしゃいます。


(ニーパドルを行う飯沼さん)

ライフセービング部には競技大会もあり、全日本選手権やジュニア大会などもあるそうです。競技は海とプールで行われ、全て救助を目的にした種目となっています。個人戦と団体戦があり、例えば、海の団体競技では、“溺れ役の人”が定められた場所まで泳ぎの速さを競い合い、指定の場所に着いた時点で、第二走者はニーパドル(ボードに膝立ちをして両手で漕ぐ。上の写真)で救助に行きます。この時、第二走者は、溺者を見失わず、助けを求めているサインを逃さない訓練になるそうです。帰路は2人でボードを漕ぎながら戻ってきます。また、ライフセービング競技で有名な種目と言えば、「ビーチフラッグ」。日本代表監督の経験もある飯沼さん曰く、ビーチフラッグは日本人が有利!寝ている状態から起き上がり、走るという動作から始まるビーチフラッグは、腰の位置が高い外国の選手は起き上がるのに時間が掛かりますが、日本人選手は腰の回転も早く、起き上がってからの“素早しっこさ”が勝利に繋がりやすい!しかし、「サムライ・スタート」と呼ばれる日本人のスタートダッシュは、近年研究され始められたらしく、外国のチームも強くなってきているそうです。

飯沼さんがライフセーバーとしてプロになられたのは、ライフセービング競技の世界大会がきっかけでした。大学卒業後、サラリーマンとして働きながら競技に出場されていた飯沼さんは、世界のレベルの高さを痛感され、ライフセービングに専念できる環境を探し始めました。仕事の合間に企画書を作り、スポンサーを自らの足で探し続けたそうです。そして、見事スポンサーが決まり、日本人初のプロライフセーバーとなったのです。

 

 

〜芸能活動〜

飯沼さんが芸能活動を始めたのは、スポンサー営業を行っている時、営業に時間がかかり、肝心のライフセービングの練習時間が減ってしまったことがきっかけ。全てを1人で行うと、練習ができないと思い、マネジメント会社の方に営業を手伝っていた頂く形を取りました。飯沼さんのマネージャーになった方は、過去に俳優さんのマネージャーをしていたことがあり、その繋がりから、ライフセーバーがテーマのテレビドラマ『早乙女タイフーン』のお仕事を持ってきてくれました。主演は加藤晴彦さんで、飯沼さんは先輩ライフセーバー役でした。演技経験の無い飯沼さんは、上手くできず・・・甘く見ていたわけでは無いですが、ご自身の演技力の無さを痛感・・・。この現場では悔しい思いが残り、ストイックな飯沼さんは、もしリベンジできる機会があるならもう一度チャンスが欲しいとマネージャーさんにお話をされたそうです。すると、次にマネージャーさんが持ってきた仕事は、鈴木蘭々さんとのW主演のミュージカル!しかも、ライフセーバーとは全く関係ない題材で、さらに歌やダンス、殺陣もある舞台!もちろん全て未経験の飯沼さんは、稽古の初っ端なから鈴木蘭々さんに謝りっぱなしだったそうです・・・。稽古の辛さから逃げ出したくなることもありましたが、完成したポスターに鈴木蘭々さんとご自身の顔が大きく載っているの見て、「これは、本当にマズイ!」と危機感が増し、稽古に打ち込んだそうです。笑 何とか無事にミュージカルをやり遂げ、その後も、いくつかの作品に出演された飯沼さん。なかでも海上保安官の“潜水士”がテーマの映画『海猿』に出た際は、ライフセービングを世の中に拡めるためにオーディションから参加され、自らの手で役を勝ち取りました。

 

 

〜飯沼誠司さんの目標〜

飯沼さんの今後の目標は、「ライフセービングを日本にもっと拡めること」。島国でありながら、ニュージーランドやオーストラリアほど日本ではライフセービングがメジャーではないので、日本にももっと根付かせていきたいという想いがあります。また、ライフセーバーだけが頑張っても事故が防げない現状があるので、ライフセービングを教育として拡げていくべき、とも考えています。スイミングに関しては、幼児・小学生の習い事のランキングで1位、学校教育にも「水泳」がありますが、6月〜8月で子供たちが溺れる事故は無くなりません。海や川に遊びに行った時に溺れるケースが多いため、リスクマネジメントとして、親から子供までライフセービングの技術・知識を普及させることが使命だと考えています。飯沼さんは、プールに入る時も、海に入る時のような注意点や心構えを徹底して教えています。水の中に入る時は、いきなり飛び込まず、まず水温や深さ、流れ・透明度などを確認。この習慣をプールから練習することで、“危険がある可能性を察知する目”が育てられ、海や川に入る際も危機意識が高まります。また、海での事故を引き起こす、離岸流についても教えてくださいました。離岸流とは、波が沖に帰る道のこと。見た目では分かりづらく、速いところだと秒速2mで進む危険な波です。ライフセーバーはある程度、見た目で分かるそうで、ポイントは波が割れていないところ。つまり、水面に白い泡が立っていないところは離岸流の危険性があると考えたほうが良いそうです。もし、離岸流に巻き込まれた際は、無理に、砂浜に向かって泳ごうとせず、まず砂浜と平行(横)に泳いで、離岸流のコースから外れることが重要だそうです。また、今後、海水浴に行かれる際は、海に入る前にライフセーバーに確認してみてくださいと飯沼さんはおっしゃいます。離岸流はどのあたりですか?危険な場所はどこですか?など質問をすれば答えてくださるそうです。しかし、ライフセーバーさんの力だけでは、海の事故は減りません。各々がライフセービングの知識や危機管理の意識を持つことで、事故を未然に防ぐことができます。

 

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PLAYLIST
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    真心ブラザーズ
  • 「波乗りジョニー」
    桑田佳祐
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    Def Tech
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    浦島太郎(桐谷健太)
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    あいみょん