PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年12月4日放送

Passenger

平野レミ

本日のお客様は、平野レミ様。
シャンソン歌手・料理愛好家。1970年に歌手デビューされた後、タレントとしてご活躍。1972年には、イラストレーターの和田誠さんとご結婚され、出産後は育児に専念するために歌手活動を休止。その後は料理愛好家として活動され、明るい性格とユニークなレシピで幅広い世代から人気を得ます。
多機能鍋「レミパン」などのキッチン用品の開発や、特産物を使った料理で全国の町おこしなどにも参加されており、人間ドックで「5年間来なくていいです」と言われた健康体を武器に、テレビ、ラジオ、講演会などマルチに活躍されています。
また、父は詩人でフランス文学者・平野威馬雄、夫はイラストレーター・和田誠、長男は人気ロックバンド・TRICERATOPSの和田唱(奥様は女優・上野樹里)、次男はクリエイティブディレクター・和田率(奥様は料理家・和田明日香)といった多才なご家族をお持ちです。
本日は、パワフルでチャーミングなレミさんと、川島さんがドライブに出掛けました。

 

 

〜シャンソン歌手〜

レミさんといえば、料理のイメージが強いですが、実はもともとシャンソン歌手。幼少期に、お父様の友人のフランス人の方が家にシャンソンのレコードを持ってきて、よく流していたそうです。そのため、シャンソンには親しみがあり、いつも大きな声でシャンソンを歌っていたレミさんに対し、お父様はシャンソン教室に通うことをご提案。本格的に習うことになりました。
レミさんは当時を振り返り、「先生からは、“絶対にプロになってはダメだ”と言われた。理由を尋ねると、“プロはお金を取る商売。お金はとっても汚らわしいものだから、プロになることを考えてはいけませんよ。” と教えられた。でも、先生はしっかりレッスン料を私から取っていた・・・。」と落語のようなお話を!笑 その後、やはり習っているからには人前で歌いたくなったレミさん。先生には内緒で、日航ホテルのミュージック・サロンのオーディションを受け、見事合格。プロ歌手としての道を歩み始めました。


(1stシングル「誘惑のバイヨン」)


(デビュー当時の平野レミさん)

1970年、『誘惑のバイヨン』で歌手デビュー。この楽曲はシャンソンではなく歌謡曲。当時、シャンソンは日本の音楽シーンではあまりポピュラーではなかったため、レコード会社の方針で歌謡曲を出すことになりました。渋々承諾したレミさんでしたが、曲はヒット!その後も続けて歌謡曲を出されます。
しかし、4枚目の「かもねぎ音頭」を出された後、方向性の違いからレコード会社を離れ、歌手活動を休止。月日は流れ、念願だったシャンソンのアルバムをリリースされるのはデビューから18年後の1988年。きっかけは、旦那様の和田誠さんと、レミさんのお父様との約束でした。
それは、和田誠さんが結婚のご挨拶に平野家を訪れた時のこと。お父様から、「レミから歌を取らないでやってくださいね。シャンソンを歌えるようにこれからもよろしくお願いします。」と頼まれたそうです。その約束を覚えていた和田誠さんは、お子さんたちが独り立ちされたタイミングで、レミさんの夢だったシャンソンのCDを制作することを提案されたのです。選曲・作詞・訳詞を含め、プロデュースは和田誠さん。
こうして、出来たアルバムが『きかせてよ-シャンソン・ド・レミ』。レミさんにとって、夢と愛の詰まったアルバムになりました。

 

 


(幼少期の平野レミさん)

〜料理への道〜

レミさんの料理好きは幼少期から。小学校高学年の時、ご自宅の庭で栽培されていたトマトやキャベツを採って料理をされていたそうです。レミさんにとっての料理の魅力は、愛情次第で材料の数以上の美味しさになること。「例えば、牛肉とトマトを一緒に料理すると、1(牛肉)+1(トマト)=2ではなく、工夫や愛情で5にも100にも1000にもなる美味しさがある」と語られます。子供の頃から料理にハマったレミさんは、勉強よりも料理に夢中!そんなレミさんに、子供の頃からという流れで川島さんはこんな質問を・・「子供の頃からお話のテンポは変わらずですか・・?笑」 すると、「小さい頃、よく友達に“レミちゃん、酔っ払ってるの?” と聞かれた。」とお答えに・・・笑 陽気でパワフルな性格は、昔から変わらないようです!


(平野レミさんと和田誠さん。九州でのお写真)

料理が仕事になったのは、結婚がきっかけ。“和田誠さんに普段どのような料理を振る舞っているのか?” という取材があり、取材後、スタッフの皆さんはレミさんのお料理を頂くことに。すると、“レミさんの料理は簡単で美味しい!”とスタッフの間で評判になり、徐々に業界に広まっていきました。
また、家には和田さんのご友人でもある、坂本九・渥美清・永六輔・黒柳徹子さんなど名だたる著名人が来られることも珍しくなく、皆さんによく料理を振る舞っていたそうです。なかでも、食通で有名なジャズピアニスト・作曲家の八木正生さんは、レミさんの料理をとても気に入りました。『四季の味』という料理雑誌でエッセイを執筆されていた八木さん。こちらは、書き終えたら次の方にバトンタッチしていくエッセイで、レミさんにお声を掛けます。当初は、“プロでもないから嫌だ。”と断り続けたそうですが、それでも何度も八木さんにお願いされ、1度執筆されることに。そのエッセイも評判がよく、料理のイメージが世間に浸透していきました。
レミさんはメディアに出る際、“料理研究家”ではなく“料理愛好家”と名乗ります。最初は、CM出演の際、スタッフから料理研究家というテロップを提案されたそうですが、プロでもなく、料理学校に通われたことも無かったため、違和感を覚えたそうです。それを旦那様に相談すると、“料理愛好家なんじゃない?” とオリジナルの肩書きを考案してくれたそうです。レミさんは、「私は、夫愛好家、家庭愛好家、料理愛好家!」と嬉しそうにお話ししてくださいました。

 

 

〜レミパンの大ヒット!〜

料理愛好家としてお仕事が急増したレミさん。家のキッチンは、撮影のために必要な調味料・食器・お鍋などで一杯になっていました。そのため、料理中にフライパンや鍋の蓋をそのまま置くスペースがありませんでした。レミさんは、“この蓋が立てられたら良いな〜” と常々思っていたそうですが、どこを探して売っておらず・・・“誰か私が考えた鍋を作ってくれないかな〜”と願っていたら、突然、新潟の“株式会社オダジマ”という会社から1本の電話が・・・「レミさんが理想とするお鍋があったらウチの工場で作りませんか?」という依頼が舞い込んできました!こうして多機能鍋「平野レミの鍋 ドゥ! レミ・パン」=通称・レミパンが誕生!特徴は、蓋の取手が立てられ、フライパンと深型鍋を融合させた斬新な形状。「炒める、煮る、揚げる、蒸す」を1つの鍋で出来てしまいます!偶然のきっかけで生まれたレミパンは、現在までに500万個も売れる大ヒット商品になりました。

 

 


(まるごとブロッコリーのたらこソース)

〜ブロッコリー事件!〜

レミさんといえば、斬新かつ豪快な料理で有名ですが、2014年にNHK『あさイチ』で紹介したあるブロッコリー料理が、世間を騒つかせました・・・。
NHKの方から、「ブロッコリーはいつも小さい房に切り分けられ、マヨネーズをつけて食べられることが多いですが、ブロッコリーに敬意を評した料理はありませんか?」と相談を受けたレミさん。じゃあ作るよ!ということで創作されたのが、電子レンジで加熱したブロッコリーを1株まるごと直立させ、上からたらこソースをかけた、通称・“まるごとブロッコリーのたらこソース”!
しかし、生放送ならではの事件が・・・最後にソースをかけたタイミングで、ブロッコリーが倒れてしまったのです!これを観た視聴者から、「ブロッコリーが倒れた!」と、苦情の電話がNHKに殺到したそうです。レミさんは「人の不幸は蜜の味だよね。私じゃなくてブロッコリーが悪いのよ!嫌になっちゃうわ!」と当時を振り返り、川島さんも「視聴者の方も、完璧じゃない料理番組を初めて観たから電話してしまったのかな・・・、ブロッコリーは倒れましたがレミさん(のキャラクター)が立ち上がった瞬間だった気もします。笑」とフォローされていました。笑
この事件後、レミさんの豪快な料理、奇想天外なキャラクターはさらに世間に浸透!そして、「おったて系」「ぶっさし系」「食べれば系」といった数々のオリジナル料理を世に放っていきます!ここからは、レミさんの有名料理を少しお紹介!

 


(おったて鯛)

“おったて鯛”〜おったて系〜
『魚料理の魚はいつも横になっている。“魚だってたまには立ちたいと思っている!”とレミさんなりに魚の気持ちを汲んだ逸品。』
レミさんは「結婚式やお正月など、おめでたい時に是非作って頂きたい。」とおっしゃっていました!ちなみに食べ方はシュラスコのように周りから削いで食べるそうですよ!

 


(お祭りきゅうり)

“お祭りきゅうり”〜ぶっさし系〜
『キャベツの土台に、さまざまな野菜をつけた串をぶっさす逸品。これで食卓も立体的で華やかに!』
こちらの野菜には、レミさん考案の「お〜い佐藤くん。君が味噌の当番じゃん」というソースをディップして食べるのがオススメ!
ソースの作り方はとっても簡単!
お〜い(=オイル:油)、佐藤(=砂糖)、君(=黄身)、味噌、当番じゃん(=豆板醤)を、1:1:1:1:1の割合で混ぜるだけ!(*豆板醤はお好みにより調整) 皆さんも是非お試しを!「刺した方が楽しいでしょ!」とおっしゃるレミさんの“ぶっさし系”料理は他にも、“金粉ボーボージャングルバーグ”(ハンバーグに野菜をぶっさす料理)など様々なメニューがあります。野菜は添えるのではなく、刺すのがレミさん流です!笑

 


(食べればコロッケ)

食べれば系にも“食べればコロッケ”“食べればロールキャベツ”“食べれば水ギョーザ”など様々なバリエーションがあります。
こちらは、口の中で料理を完成させる料理たち。「誰も見ていないんだから、家庭料理は食べて美味しければイイじゃない!」と力説するレミさんならではのアイデアです。ご自身の性格を、不精で気短と分析され、時短で簡単な料理を創作されるレミさんは、“シェフ料理ではなく、主婦料理”を常に意識されているのです。また、料理を作るのは大好きですが、実はお片付けが苦手・・・。今では笑い話になっていますが、過去に空き巣被害に遭われた時、捕まった犯人が「自分が泥棒に入る前、誰か別の泥棒が入っていたかと思った」と供述したほど、家の中が散らかっていたことも・・・。料理番組はスタッフが後片付けをしてくれるので大好きだそうです!笑

 

 


(ご家族での旅行写真)

〜家族構成〜

レミさんのお父様は、詩人でフランス文学者の平野威馬雄さん、夫はイラストレーター・和田誠さん、長男は人気ロックバンド“TRICERATOPS”の和田唱さん、次男はクリエイティブディレクターの和田率さんといった多才なご家族。
和田誠さんは、村上春樹さんが驚くほどのジャズの知識を持っており、そんな環境で過ごされた唱さんは自然と音楽の道へ。
唱さんは学生時代、試験前日に楽器店にギターを見に行くなど、勉強より音楽にご興味が。夜には父・誠さんのギターを抱えたまま寝ていることも・・・そんな息子の姿を見て驚いたレミさんに対し、誠さんは「これでいいんだよ。」と言ったそうです。その言葉通り、唱さんは人気バンドマンに。誠さんは「あの時ギターを取り上げていたら、ミュージシャンになっていないぞ。」とのちに自慢げにお話されていたそうです。
そして、唱さんがご結婚されたお相手は女優の上野樹里さん。実はレミさん、最初は上野樹里さんのことを知りませんでした。初めて樹里さんがご挨拶に来られた時のことを、「顔が小さくて、背が大きくて、目も大きくて、態度もデカかった・・・。」と冗談を交え振り返ってくださいました。笑
そして、次男の率さんがご結婚されたのはモデルで料理家の和田明日香さん。今では料理番組で、美味しい料理や華麗なテクニックを教えてくださる明日香さんですが、結婚当初は料理初心者!キャベツとレタスの違いすら分からない状態だったそうです・・・。しかし、明日香さんは出産をきっかけに、人が変わったかのように料理にのめり込んでいったと言います。本編には入りきませんでしたが、レミさんご自身も出産を経験してから、人生が明るくなったとお話しになり、「出産は最高よ!」と改めて命を授かる尊さを教えてくださいました。

 

 


(和田誠さんとのお写真。2016年の旅行)

〜家族の愛〜

ドライブも終盤。レミさんに「そのパワフルさの秘訣は?」と質問すると、「元気じゃないわよ、世の中で1番悲しいのは私よ。」とお答えに。2019年、最愛の夫・和田誠さんがお亡くなりになり、レミさんはしばらく、別れを受け入れらない日々が続いたそうです。そんな寂しい気持ちを義娘の上野樹里さんに相談したところ、樹里さんはある行動に。急にレミさんの手を唱さんにグッと握らせたのです。レミさんは息子に手を握られた瞬間、心の拠り所を手で掴めた感覚になったそうです。樹里さんの愛ある行動が、レミさんを悲しみの底から救ったのでした。

 

 


(「和田誠展」に行かれた平野レミさん)

〜『和田誠展』開催中〜

現在、東京オペラシティのアートギャラリーで『和田誠展』が開催中です。こちらは、和田さんの膨大で多岐にわたる仕事の全貌に迫る初めての展覧会で、和田さんを知るうえで欠かせないトピックを軸に、83年の生涯で制作した多彩な作品を2800点ほど展示されています。『和田誠展』は12月19日まで開催中。気になった方は是非チェックしてみてくださいね!
HP:https://wadamakototen.jp

ちなみに、レミさんは最終日の夜に、展示会場に布団を持ち込み、作品と一緒に寝たいそうです。久しぶりに旦那様と2人きりになりたいレミさんの夢!是非叶えてほしいですね。

 

また、和田誠さんが、欧米のわらべうた『マザーグース』原詩の韻を、そっくり日本語に移し替えた和田誠版の訳詞集120篇に、CM 音楽の大御所・櫻井順さんが作曲された名盤アルバム『オフ・オフ・マザー・グース』が今年10月に発売されました。ジャンルを超えたアーティスト120組による120曲が収録されております。イラストだけでなく、言葉アソビも達人だった和田誠さんの世界を是非ご堪能ください!

 

 

〜今後の目標〜

最後に、レミさんに今後の目標をお聞きすると、「無いわよ。」と即答・・・笑 しかし、続けて「1日1日楽しく、笑って過ごすこと。人生ってのはそれで良いのよ!」とお答えに。毎日を楽しく生き、振り返って幸せだったら良いと考えるレミさん!心の中で、いつもそばに居続けてくれる和田誠さん。そして息子さん家族と共に、これからも明るい毎日が待っていること間違いなしですね!

 

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PLAYLIST
  • 「Going To The Moon」
    TRICERATOPS
  • 「シャンソン・ド・レミ」
    平野レミ
  • 「Raspberry」
    TRICERATOPS
  • 「Heiki Heiki」
    和田唱
  • 「RECIPE」
    山下達郎