PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2021年12月18日放送

Passenger

秋山竜次

本日のお客様は、ロバート・秋山竜次様。
1978年、福岡県出身。高校卒業後に上京。1998年、幼馴染である馬場裕之さんと東京NSCへ入学されます(4期生)。その後、同期の山本博さんが加わり、『ロバート』を結成。2001年には、コント番組『はねるのトびら』のレギュラーメンバーに選ばれ、一躍全国に名が知れ渡ります。そして2011年、「キングオブコント」で優勝。今年の「キングオブコント 2021」では審査員を務めました。また、ピンでの活動では、「体モノマネ」、「ロバート秋山のクリエイターズ・ファイル」など、インパクトのあるネタを数多く生み出しています。今日は、そんな唯一無二の世界観を持つお笑い怪人・秋山さんと川島さんがドライブに出掛けました。

 

 

〜お二人の関係〜

秋山さんと川島さんは同級生で、芸歴は川島さんが半年先輩。同級生ということもあり、これまで通ってきた流行りや文化が同じお二人。秋山さんは、番組収録で同世代にしか分からない小ネタを披露する際、大御所MCが笑っていなくても川島さんが笑っていることで、“この世代には響いたな”と指針にしているそうです。笑

若い頃にお互い出演していたのは、「ルミネtheよしもと」の舞台。そもそもロバートは、東京NSC出身で、「ルミネtheよしもと」が開館された当初から舞台に上がっていました。その後、M-1で活躍した“麒麟”、“笑い飯”、“千鳥”などの関西芸人が、東京の「ルミネtheよしもと」の舞台に上がり始めます。関西芸人の方々が東京に乗り込む形ということもあり、関東芸人の間では緊張感が走ったと言います。その為か、壁がある訳ではないですが、楽屋でもあまり喋らなかったと言います。また、「アメトーーク!」の“中学の時イケてない芸人”でもお馴染みの秋山さんは、楽屋で大勢の人と騒ぐのが得意ではないタイプ。皆さんの輪に入らず舞台袖から関西芸人さんのネタをチェックされていたそうです。

そんな奥手の秋山さんですが、川島さんと出会った頃には大人気番組『はねるのトびら』が始まっており、劇場では客席から黄色い声援が送られるスター!当時、吉本が発行していた情報誌「マンスリーよしもと」では“抱かれたい芸人グランプリ”で、毎回3位くらいにランクインされていました。ですが・・・“抱かれたくない芸人ランキング”でも毎回3位くらいに選ばれていたそうです!笑 「両方入ってるんですよ!オレ、訳分からなくて、、 “めちゃめちゃ好きな人”と、“気持ち悪いと思う人”が同じ数いたんですよ!笑」と振り返る秋山さんに対し、川島さんは「こんな魅力的な人はいないと思う。これが芸人の素晴らしさであり、本当の人間の色気だと思う。」と絶賛!

続けて「でも今では、秋山君のことを嫌いな人いないでしょ?」と質問すると、秋山さんは「いや、嫌いな人はしっかり嫌いです。劇場でも感じますが、“スジの無い、勢いだけのボケの人でしょ?”と思っている人は、そっと目を伏せます。笑 だから、伏線やお芝居の流れで笑いをとるコントが好きな人には受け入れられない。」とお答えに・・・。 過去に、ロバートさんは10分の持ち時間にも関わらず、20分間、秋山さんがただふざけるだけのコントをやり続けるなど、嫌われる理由もなんとなく頭に浮かんでしまった川島さん。笑 舞台に登場した時は、歓声が鳴り止まないロバートさんですが、あまりにもしつこい秋山さんのボケに、5分ほど経つとお客さんが胃もたれして、引いてしまうケースも多々あるそうです。 印象的だったのは、修学旅行の一環で劇場に来ていた中学生たち。はじめはテレビで観ているスターの生の姿に「秋山だ〜〜!」と、もの凄い歓声が沸きますが、コントが5分程過ぎた頃から、暴走し続ける秋山さんを見て、“この人、本当にヤバいのでは?”という雰囲気が会場を包み込み、学生の顔が引きつり始めていったそうです。笑 とにかく時間が過ぎるのを待ち、人差し指をクルクル回す学生や、目を伏せる学生をよそに、秋山さんは暴れ通したのでした。笑

近年は、架空の著名人になりきる“クリエイターズ・ファイル”や、梅宮辰夫さんの“体モノマネ”などが当たって、スベリ知らずの秋山さんですが、ご自身では“そんなにウケている感じはしない”とおっしゃいます。「本当ですか?」と疑う川島さんに、秋山さんは、「川島さんは分かってるはずよ!俺のネタは、緻密じゃない。お笑いというより勢いでボケて、“こいつ何だ?” と、相手に思わせたら去る芸風なんだから!笑」と説明。しかし川島さんは、パワーで押し切る秋山さんの、ウケるまでボケをやめない、ウケてない空気すら楽しむ、挫けないメンタルに関心していました。秋山さんは、「パワー系はやるしかない。そんだけやったら最終的にはウケるでしょ!」と笑いながらお話しくださいました。

 

 


(上京当時の秋山さん。)

〜芸人への道・ロバート結成!〜

福岡で生まれ育った秋山さんは、もともと芸人になりたいとは思っていませんでした。
関西とは違い、テレビで漫才が日常的に流れている地域ではなく、全国放送のお笑い番組が流れている程度でした。そんな秋山さんが上京した理由は、お父様の“とにかく大学に行くな!”という教えでした。「兄ちゃん(秋山さんのこと)、とにかく東京で昼寝してても良いから、東京に行け。大学へ通う4年間があるなら、東京で好きなことを見つけてきなさい。」と言われたそうです。強引な言い方にも聞こえますが、お父様は東京へ行くための費用をしっかり貯金してくれていました。

こうして、その後芸人になるとは夢にも思っていない秋山青年は、高校卒業を機に東京へ。上京後はアルバイトだけをする日々でした。
しかし、上京してもうすぐ2年目を迎える頃、近所の本屋で、お笑い専門誌「アジャパー」を手に取ります。興味本位で中を覗くと、NSC(吉本興行養成所)4期生の募集が載っていました。これを見た秋山さんは心の中で、“親父が、寝てても良いから好きなことを見つけろと言ったのはこのことか!”と感じたそうです。もともと学生時代は、ひょうきん者でモテないけど仲間とわちゃわちゃしているグループ(川島さん曰く:明るい2軍。笑)にいた秋山さん。月謝さえ払えば、お笑い芸人になる道があると知って応募することに。
お笑いの養成所は2人で応募するイメージがあり、当時まだ地元・福岡にいた、幼稚園からの知り合いでわちゃわちゃグループの一員の馬場さんを呼び出します。馬場さんを選んだ理由は、“とにかく横でニコニコ笑ってくれるから”。現在の穏やかな馬場さんからも想像できますが、学生時代の馬場さんは、明るい2軍内でもふざける方ではなく、横でニコニコ笑うタイプ!笑 秋山さんにとっては、ファンが隣にいてくれる感覚があり、心強かったそうです。NSC入学後は2人でネタをしていましたが、秋山さんのボケに対して、馬場さんは上手くツッコめず、横で笑うのみ!笑 学生時代の関係のままで、お笑いとしては成立していなかったそうです。
馬場さんがツッコミには向いてないと感じた秋山さんですが、ご自身がツッコミになることもできず、困まっていた時、同期で、出席番号が1つ後ろだった板倉さん(現・インパルス)が、「ツッコミとして入って良い?」と声を掛けてきました。そして、3人は“ゼナイル”というトリオを結成。板倉さんが入ったおかげでネタがまとまり、周りからの評価も高かったのですが、板倉さんがボケをやりたいという思いを捨てきれず、ゼナイルは解散。
秋山さんは、その後もトリオでやりたいと思い、代わりの人を探します。しかし、NSCも卒業間近で、ほとんどの人がコンビやトリオを結成済みでした。
そんな時期に、まだ相方が決まっていない4人の中に山本さんがいたそうです。「博は、もともと休み時間に話す友達だった。昔から博は博だった。喋りやすくて、すごくベーシックな人で居心地も良かった。“1回ネタ見せやってみる?”と聞いたら、“うん、やる〜”って速攻で返事が来ました。笑」と、秋山さんは“ロバート”結成の経緯をお話しくださいました。3人のバランスが見事にハマり、ここからロバートは快進撃をみせるのです。

 

 


(結成当時のロバート!)

〜『はねるのトびら』〜

ロバートがブレイクのきっかけを掴んだのは、フジテレビで2000年から放送された深夜のバラエティ番組『新しい波8』でした。タイトルの「8」はフジテレビの8チャンネルという意味のほかに、「お笑い8年周期説」の意味も込められており、ビートたけし、明石家さんま、ダウンタウン、ナインティナインと時代を代表する芸人の年齢差が8年違いなことから、ナインティナインに次ぐスターを決める番組として、次世代お笑い芸人発掘をコンセプトとしていました。
このメンバーに選ばれればお笑いスターの道が待っているという期待もあり、川島さんもオーディションに参加していたそうです。
秋山さんはオーディションで特に印象に残っていることが・・・「ロバートです。お願いします。」と挨拶した時に、担当の方から「どうも。フジテレビです。」と言われたそうです。“あなたが、フジテレビなの!?あの球体全部があなたなの!?”と心の中で思ったそうです。笑 フジテレビの人にとっても会社を背負う覚悟で挑む番組。芸人さんにとっても人生が変わる大きな番組。お互いに気合が入っていたのですね!ちなみにその挨拶をされた方が、後に『はねるのトびら』で総合演出を担当される方だったそうです。
『新しい波8』の企画としては、毎回1組の若手芸人が出演するネタ見せ番組で、ロバートは#3の回に出演。ですが、この番組の本当の趣旨はオーディション!新番組のレギュラーを決めるために、出演した芸人の中からさらに選抜を行うためのものでした。
こうして、『新しい波8』の中から選抜されたメンバー(キングコング・ロバート・ドランクドラゴン・北陽・インパルス)で始まった番組が、『はねるのトびら』でした。


(『はねるのトびら』に出演している時期のロバートさん)

深夜帯から始まった『はねるのトびら』は、すぐに爆発的な視聴率を記録します。その後、ゴールデンタイムの時間帯に昇格し、人気バラエティ番組の仲間入り。ですが、秋山さんにとって、ゴールデンタイム昇格以降は、なかなか自分を出せない“もどかしい”時間が続いたと言います。
視聴率のために有名ゲストを招くバラエティに変わり、深夜の頃にやっていたコント・コーナーは無くなってしまいました。“コントをやらせろ!”と裏で板倉さんと愚痴を言い合う日も多くなり・・・。悔しさを胸に、ロバートはコントのネタ数を増やしていきました。
そんなタイミングで、コントの日本一を決める大会『キングオブコント』の開催が発表されます。2008年の第1回大会では、ロバートは3位。そして3年後の2011年大会で見事に優勝されました!
そんな秋山さんのネタ作りは、1からネタを作るのではなく、日常で面白いと思った出来事や人から着想を得て、それに肉付けしていき完成させます。その姿を、川島さんは間近で見たことがあるそうです。
お二人で、ネットの大喜利番組を行った時、“小学生の版画はなぜ怖いのか?”という話で、お二人は大盛り上がり。すると、番組から1週間後に秋山さんは川島さんの元へ。「先週の、子供が作る版画が面白いというネタを作りました。今日やるので是非観てください。」と報告。川島さんは、律儀に報告してくれた秋山さんに関心するとともに、“面白い”と思ったことをすぐネタにする秋山さんに驚いたのでした。
さらに川島さんは、秋山さんが「小学生版画クラブ」「トゥトゥトゥサークル」などのコント中に流れる独特な音楽にも迫りました。あの音楽は、秋山さんがイメージするメロディをボイスメモで録音し、作曲できる人に送っているそうです。昔から、曲の主旋律ではなく“裏の音”が気になると語る秋山さん。例えば、蛍の光だと裏で聞こえている木琴の音などが気になって仕方ないそうです!笑 「ドレミが分からないからかな?」と話す秋山さんの音楽発注方法とは?気になる方は、是非タイムフリーでチェックしてみてください!

 

 


(お父様とのお写真)

〜家族〜

2008年にご結婚された秋山さん。奥様との出会いは、原宿の服屋さん。店員さんだった奥様に、一目惚れされたそうです。
学生時代はモテなかったため、この恋が秋山さんにとっての最初で最後の恋愛!当時、 「ルミネtheよしもと」で月30本以上出番があったロバート。毎日新宿へ向かうため、秋山さんは、帰り際に服屋さんへ寄っていたそうです。その後、お二人は交際に発展し、10年近い同棲を経て結婚に至りました。
プライベートをテレビで語らない秋山さんに対し、川島さんは「ちゃんとお父さんしているのかな?笑」と疑問を持ちます。秋山さんは、「だって、嫌ですもん。オチとかないから・・・」と言いつつ、続けて「ちゃんとお父さんしてますよ。体の上に、子供乗せてますから!体の上に乗せて揺らしたらお父さんでしょ!」と、冗談を交えつつお話に。笑
小学校2年生の娘さんがいる秋山さん。一緒にUFOキャッチャ-をしに行ったり、家では、おままごともされているそうです。他のお父さんとは比べ物にならないほど盛り上がると自負する、秋山家のおままごと。秋山さんの迫真の人形さばきに娘さんは夢中になり、秋山さんのことは忘れて、人形(秋山さんが操っている)と本気で会話を始めてしまうそうです!笑
ちなみに娘さんは、まだ“芸人”という職業が何かを理解できていないそうですが、お父さんが“テレビに出ている”ということは理解されているそうです。最近では娘さんに、「秋山ロバートなんだよね?」と、確認されることもあるとか。笑 他ではなかなか聞けない娘さんとのエピソードに、同じく父親である川島さんも“ほっこり”していました。

 

 

〜ピンでの活躍〜

ピンでの活躍が勢いに乗り始めたのは、“体モノマネ”が誕生したこと。この芸が生まれたのは、ちょうど『はねるのトびら』が終わる時期。劇場で着替えていると、先輩トリオ芸人“ニブンノゴ!”の宮地さんから、「若いのに、体が大御所みたいだな。なんか顔でも当てたらネタ作れんじゃない?」と、サラッと言われたそうです。当時、アゴのものまねで話題になっていた“HEY!たくちゃん”を参考に、現在のスタイルを作り出しました。
その後、関西の番組で披露する機会があり、美術スタッフの方に、“梅宮辰夫”さんの顔パネルを用意してもらいました。その顔パネルがサイズ、表情ともにピッタリだったそうです!そして、本番は大成功!ピンでの手応えを感じました。その後も『はねるのトびら』の最終回で披露されるなどして、ご自身の鉄板芸として定着させていきました。
ピンでの活動が増えていった秋山さんは、持ちギャグが1つあるだけで、活躍の幅が拡がることを実感。そして、梅宮さんご本人に実際に会ったのは1年後。梅宮さんから直接、「お前かよ、俺の顔使って好き放題に芸をしている奴は。笑 今後も全然使って良いぞ。もう、いちいち許可とかいらないから、その代わり、しっかり芸として成り立たせろよ。」と、器の大きい梅宮さんは全て受け入れてくれたのでした。
秋山さんは今でも、梅宮さん、宮地さん、そして最初に梅宮さんの顔パネルを作ってくれた美術スタッフの方に感謝されています。

 

 


(中学時代の秋山さん)

〜エウレカ〜

秋山さんのエウレカは、“事前にヤバいと思った仕事は、やっぱり、ちゃんとヤバいこと・・・”。企画内容を見た時、“これはウケないな・・・”“ヤバそうだな・・・”と思う仕事があるそうです。自分の力で“なんとかなるかな?”と信じて引き受けますが、やはり上手くいかないそうです。これには川島さんも共感するらしく、マネージャーから仕事内容のメールを見ただけで、ダメだ・・・と第六感が働くそうです。逆に、絶対ウケると思う仕事はメールが光って見えるそうです!芸歴20年を超えたお二人。長年、最前線で活躍され続ける方が得られる能力なのかもしれませんね!
最後に、今回の旅を通してのエウレカを伺うと、「川島さんは改めて汲み取る力が凄いと思う。初めて出会った頃はスタイリッシュな人だと思ったが、同じ“中学の時イケてない芸人”と分かった時から見方が変わった。常に色んなところにアンテナを張っていないと、中学イケテてない人はMCなんか出来ない!モテてこなかった人が、(ラヴィット等で)矢田亜希子さんを回せる訳が無い!」と指摘。笑 これに対して川島さんも「本当にそうですよ。今は、“MCごっこ”だと思い、夢の中にいるつもりで頑張っている。」とお答えに!「中学の時は、矢田さんのような方は、話かけることすら出来ないSS級の人なんだから!笑」と、“中学の時イケてないお二人”は、最後まで明るくドライブを楽しみました。笑

 

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PLAYLIST
  • 「FANTASTIC VISION」
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  • 「ゆらゆら帝国で考え中」
    ゆらゆら帝国
  • 「TOKAKUKA」
    秋山竜次