PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年3月12日放送

Passenger

大久保嘉人

本日のお客様は、元サッカー日本代表・大久保嘉人様。
1982年、福岡県出身。小学卒業後に親元を離れ、長崎県へ渡り国見町立国見中学校に入学。国見高校のサッカー部総監督であった小嶺忠敏さんが中高一貫でサッカーの指導をするために作った『小嶺アカデミースクール』に入ります。そして、国見高校3年生の時に、インターハイ・国体・選手権で優勝され“高校3冠”を達成。さらに、インターハイと高校選手権では大会得点王を獲得されました!
卒業後の、2001年からは『セレッソ大阪』に入団され、プロキャリアをスタート。闘争心溢れるプレーと、高い得点力で結果を残していき、2003年には日本代表デビュー。2004年にはU-23日本代表の一員としてアテネ五輪にも出場されました。
その後、スペイン・ドイツ・日本のチームを渡り歩き、2013年に『川崎フロンターレ』に移籍。2013〜2015シーズンには、史上初のJリーグ3年連続得点王の偉業を達成!また、ワールドカップにも南アフリカ大会、ブラジル大会と2度出場され、日本中の期待を胸に活躍されました。2021年シーズンからは古巣・セレッソ大阪に復帰。そして、2021年11月19日に現役引退を発表され、惜しまれつつも、昨シーズンで引退されました。
そんな、J1歴代最多得点記録を持つ日本のレジェンド・サッカー選手と、川島さんがドライブに出掛けました!

 

 

〜現役生活を勇退〜

大久保さんは、昨年の2021年シーズンをもって現役を引退されました。選手としてまだ活躍出来るという声もあるなかでの決断。大久保さんにはプロの世界に入った時から、“もったいないと思われる間に引退する”というイメージがあったと言います。3〜4年前から“引退”という文字は頭に浮かんでいましたが、ご自身が納得する活躍が出来なかったこともあり、「そこでは辞められなかった。そのタイミングで引退したら衰えて終わったと思われる。もう一度、一花咲かせて終わりたいと思った。」と、当時の心境を教えてくださいました。そして、昨シーズンは開幕から5試合5得点の活躍を見せ、完全復活を成し得たタイミングで引退を決めました。しかし、チームからは、“来年も戦力として残って欲しい”と引き留められます。一瞬考えを改めるべきか悩んだそうですが、翌シーズンのご自身を想像した時、サッカーをしている姿がイメージ出来なかったそうです。これは、大久保さんの長い現役生活の中で初めての経験。改めて、ユニフォームを脱ぐ決断をされた瞬間でした。
そんな大久保さんの20年間のプロ生活は記録尽くし!J1では歴代最多の191得点を記録。また、川崎フロンターレ時代の2013〜2015年シーズンでは、史上初の3年連続得点王となりました。年齢で言えば、31歳からの3年間。1回でも得点王に輝けば凄い世界でありながら、コンディションを保ち偉業を達成しました。ですが、この3年間はプレッシャーも凄かったそうで、チームの勝利はもちろんのこと、得点王として常に追われる立場になり、“明日の試合でゴールを決めなければ抜かれる・・・”という考えがずっと続いたそうです。
また、イエローカードも歴代最多の104枚提示されている大久保さん・・・。「これも凄いですね・・・(苦笑)」と、この記録に対して申し訳なさそうに笑ってらっしゃいましたが、これはご自身のプレースタイルを貫き、結果を求めた結果。強気なイメージを作り上げ、弱い所を見せたくないという気持ちが、カード数に反映されてしまったそうです。歴代1位の記録が多い大久保さんですが、退場回数に関しては、1位を取り損ね2位の12回。幼少期から、お父様に「何をするにも1番になれ!」と教えられてきたそうで、退場数に関しても「どうせ批判されるなら、1番が良かった・・・。」とお話に。笑 実は引退を決断された後、残り試合で退場数も歴代最多を狙うことも出来ました。周りからも、「チャンスあるぞ!」と冗談を言われていたそうですが、“さすがに引退前に退場は出来ない”と思い留まったそうです。笑

過去にはサッカー界のスーパースター、デビッド・ベッカム選手と言い合いになったことも・・・!
現在、久保建英選手が所属していることでも有名なスペインのRCDマジョルカに在籍していた大久保選手。世界のスーパースターが集まる“銀河系軍団”と称されたレアル・マドリード戦の試合中、大久保さんのファウルに腹を立てたベッカム選手と一触即発!ベッカム選手と言い合いをしているなか、仲裁に入ってくるのはブラジル代表のロベルト・カルロス選手など世界のスーパースター!スター選手に囲まれた大久保さんでしたが、心の中で“これはいい思い出になるぞ!”と冷静に思っていたそうです。笑 さらには、“日本で見ている人にも頑張っているなと感じてもらえる。”と俯瞰する余裕もあったのだとか!
2007年のヴィッセル神戸時代には、当時、名古屋グランパスに在籍していた本田圭佑選手と乱闘になりかけたことも・・・。この試合では、ヴィッセル神戸が負けており追いかける展開で、試合終盤に本田選手が相手の反撃する時間を奪う為、コーナフラッグ辺りでボールをキープしていました。勝利への執念と焦りもあった大久保さんは、その本田さんに対して後ろからタックル!本田選手も時間を稼ぐ為、ファウルを誘っている場面ではありましたが、大久保さんはそれを承知の上でぶつかりにいき、退場。「“タックルしたら負け”と分かっていながら僕は行きますからね。僕が行かないと始まらない。」とおっしゃる大久保さん。本田選手の方に向かって走っている最中に、“あ〜レッド出るな〜”と分かっていたそうです。笑 試合後、ヒートアップした大久保さんが名古屋サイドの控室に乗り込んだという情報もありますが、事実は異なるそうで・・・。ピッチから出たら温厚な性格に戻る大久保さんは、試合後はすでに笑顔の状態。怒りに任せて乗り込んだ訳ではなく、仲の良い名古屋の選手と談笑しにいったそうです!後の南アフリカワールドカップでは、ともに全試合先発出場され、日本中を熱狂させたお二人にこんな過去があったとは知りませんでしたね!
ストライカーとして闘争心溢れるプレーが多く、イエローカードや退場数の影響か、“怖い”イメージを持たれがちな大久保さん。ですが、本日のドライブでもそうですが、普段はとても紳士で温厚な性格。日常生活で怒ることは滅多にないらしく、後輩からイジられたりしてもニコニコ笑っているそうです。

 

 


(小学時代の大久保さん)

〜高校のスーパースターから、プロの世界へ〜

高校選手権得点王として、2001年に鳴り物入りでセレッソ大阪に入団した大久保さん。しかし、最初の練習でプロの洗礼を受けたと言います。高校時代は簡単に相手をドリブルで抜いて、ゴールを決めていましたが、プロの世界では“抜けるがシュートを打てない”という日々が続きました。“あえて抜かさせて、シュートの所でブロックする”というプロの守備方法に苦戦されたそうです。“これは無理かも・・・”と、自信を失いかけ、先輩に相談しても「慣れだよ。」と言われてしまいます。シーズンが始まり、初スタメンは第5節のジュビロ磐田戦。嬉しさもありましたが、“ここで何か大久保嘉人という名前を残さなければならない”というプレッシャーもあったそうです。
当時は、“高校選手権の得点王はプロになると潰れる”と言われており、そのジンクスを打ち破るためにも、結果を求めていました。またこの時期のジュビロ磐田は、日本代表選手が多く揃う黄金時代。さらに、高校上がりのルーキーに点を取られたくないという思いも強かったそうで、大久保さんは厳しいマークに合いました。しかし、やはり“大久保嘉人は本物のプレイヤー”。この試合で見事、プロ初ゴールを記録します。今までで一番丁寧に打ったシュートだったそうです。「ここから始まりましたね〜」と笑いながら当時を振り語る大久保さんですが、それは得点記録のことではありません・・・。なんと、初スタメン・初ゴールに加え、この試合で初退場もしていたのです!笑 相手ディフェンスから厳しいマークに合っており、苛立ちが募っていた大久保さん。「弱い所は見せられないと思って、頭突きして退場しました。」と、“やんちゃ人生”の始まりも教えてくださいました。笑
しかし、ご自身の立ち位置を客観視することに長けている大久保さん。この試合では、とにかく注目されることを意識していたと言います。というのも、プロの世界で目立つためには、良くも悪くも“個性”が必要だと考えていました。結果、退場にはなってしましましたが、“初スタメン・初ゴール・初退場”と、インパクトを与えるには十二分の結果でした。その後、プロ3年目のシーズンで日本人得点ランキング1位となる16得点を挙げ、日本代表に選出されるなど、誰もが認める“点取り屋”になっていきます。
そんな大久保さんがサッカー人生の中で一番楽しかった時期は2013〜2016年シーズンの川崎フロンターレ時代。3年連続得点王となり、プレッシャーもかかりましたが、楽しい時期でもあったそうです。プロサッカー選手にはそれぞれ自分に合ったチーム・戦術があり、多くのチームが存在する中で、大久保さんが理想とした戦術を行うのが川崎フロンターレでした。試合に勝つため、得点を取るために日頃からサッカーのことを考えていた大久保さんは、自分の理想とするプレースタイルや戦術を、過去に在籍したクラブでも唱えてきました。しかし、それぞれのチームには、それぞれのカラーがあるので、それに自分を合わせてきたそうです。そんな中、以前から唱えていた戦術を行なっていたのが川崎フロンターレ。ようやく、チームとご自身がお互いに理想とする形でサッカーを出来たそうです。自分に合ったチームに巡り会わずに現役生活を終える選手も多いなかで、この出会いは幸せだったとおっしゃいます。
しかし、ここで結果を残さなければ言い訳ができない状況。口だけだと思われたくない一心で、ゴールを奪い続けたそうです。そして3年連続得点王という過去最高の“大久保嘉人”を実現してみせました。
しかし、そんな理想とするチームに居た大久保さんですが、2017年にFC東京への移籍を決断します。理由は、“常にチャレンジをしたい”という意思を持っているため。川崎フロンターレでは得点王にもなり王様的な存在でした。ですが、その状況に満足することなく、“新しい自分を探したい”“新しい地で、自分の出来ないことを見つけて成長したい。”と、常に向上心を持っていた大久保さんは、当時の移籍について、「フロンターレにいれば良かったじゃん。楽だったじゃん。と、みんなから言われるが、そうじゃないんですよ。自分が成長出来ないんですよ。」と振り返りました。

 

 


(中学時代の大久保さん)

〜家族〜

20年間のプロサッカー人生において、「最大の感謝」を捧げる方は奥様の莉瑛さん。実は莉瑛さんのお父様は、大久保さんの中学時代のライバル校の監督!「ロミオとジュリエットみたいですね!(莉瑛さんの)お父様は、点も娘も大久保さんに取られたんですね・・・。笑」と川島さんはツッコみつつも、馴れ初めを伺うことに。
国見高校時代の1つ下の後輩に、莉瑛さんの弟さんが在籍しており、“お姉ちゃんが可愛い”と噂になっていたそうです。大久保さんも「会わせてよ〜」と話していたそうですが、寮生活のルール上それは叶わず・・・そのまま高校卒業を迎えます。卒業前に、それぞれの進路により離れ離れになる同級生と集まっていた際、そこにたまたま莉瑛さんがいたそうです!そこから、お二人は意気投合されお付き合いする流れに。そして、4年後に結婚されました。
結婚のキッカケは大久保さんのスペイン移籍。
「俺、スペイン行くけどどうする?」と、突然報告した大久保さん。笑 
「ついてきてくれ!」と言ってくれるわけでもなく、試すようなマネをされたことに莉瑛さんは少し苛立ったそうで・・・笑 怒りながら「何?どうするって?」と返答。
流石に“ヤバい・・・!”と思ったのか、大久保さんはすぐに「それじゃ、結婚しよう!」と、プロポーズされたそうです。笑
このように面白く大久保さんはお話くださいましたが、その表情からは、怒られたから結婚したのではなく、愛があって結婚されたのがしっかり伝わってきました!決めるべきところで決めるのがストライカーですからね!(・・・ですよね?大久保さん!笑)
そして現在は、4人の息子さんと仲良く暮らす大久保家。全員男の子ということもあり、家では喧嘩が絶えないそうです・・・。笑
莉瑛さんは、大久保さんのプロ生活を応援され、時には怒り、支えてきました。息子さん4人+大久保さんという5人の子供(!?)をコントロール出来るのは莉瑛さんしかいませんね!

 

 

〜思い出の場所〜

福岡県出身の大久保さんはサッカーに専念するため、小学校卒業後、親元を離れ長崎県・国見中学校に入学。
まだまだ親に甘えたり、友達と遊びたい時期でしたが、サッカー選手を夢見て寮生活を選択しました。最初の3ヶ月はホームシックになり、練習前の朝6時に、ご実家に電話を掛け、ご両親の声を聞くと安心したと言います。
当時の景色は、未だに鮮明に覚えており、国見に行ったからこそプロになれたと感謝されていました。また、今まで一番印象深い言葉を頂いたのも、国見時代でした。それは、高校時代の恩師・小峰監督が常におっしゃられていた「自信と過信は紙一重」というお言葉。高校時代は、あまりピンとこなかったそうですが、プロに入ってからその言葉の奥深さに気付かされたと言います。過信するとダメになるが、自信を持たないと本来の力が発揮できない。そのバランスを上手く保てたから素晴らしいプロ生活を過ごすことが出来ました。
全国高校サッカー選手権で6回の優勝を果たすなど“名将”として知られる小峰監督は、大久保さんの引退1ヶ月後に、惜しまれつつも天国へ旅立たれました。サッカーの指導だけでなく、多くの生徒の人間性も成長させた小峰監督。大久保さんは自慢の教え子だったに違いありませんね。


(高校時代の大久保さん)

最後に今後の目標もお伺いしました。
現在は、サッカーへの恩返しとして、普及のためにメディアへの出演など幅広くご活躍されていますが、監督業にも興味があるそうです。ライセンスの取得が必要になるため、すぐにとはいきませんが、それまでに様々な経験をした上で、もう一度ピッチに戻りたいと感じたら目指し始めるそうです!
大久保さんご自身は監督業に向いていると思っていますが、現役時代の退場数の影響か・・・周りの方からは、“出来るのか?”と疑問視されているそうです!笑 川島さんも、「マラドーナみたいな攻撃型監督になるのでは?笑」と、イジりつつも“是非、大久保監督の姿を見てみたい!”と応援していました。
また、息子さん4人も全員サッカーをしています。大久保さんは、ダメ出しなど余計なことを言ってしまいそうなので、試合は観に行かないようにしているそうですが、息子さん達がプロになるのも夢だそうです。監督と選手として同じピッチに立つ姿が見れるかもしれませんね!
ドライブの終盤では、大久保さんから意外なお願いが!それは、川島さんがInstagramで行っている人気シリーズ“タグ大喜利”に出たいとのこと!ほぼ芸人さんしか出ていないこのシリーズ。降車後に、大久保さんのアップ写真を撮影している川島さんを見たとの情報もあるとか・・・!いつかアップされるかもしれませんので、楽しみに待ちたいですね!

 

radikoのタイムフリーで聴く
PLAYLIST
  • 「NIPPON」
    椎名林檎
  • 「挑め」
    KREVA
  • 「蘇生」
    Mr.Children
  • 「Message」
    ナオト・インティライミ
  • 「明日も」
    SHISHAMO