PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年5月28日放送

Passenger

三宅裕司

本日のお客様は、三宅裕司様。
1951年、東京都出身。明治大学卒業後、1979年に『劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)』を旗揚げ。その後、『高橋幸宏のオールナイトニッポン』のレギュラーを経て、『三宅裕司のヤングパラダイス』のパーソナリティに。テレビの世界では、社会現象を巻き起こした『三宅裕司のいかすバンド天国』、『THE夜もヒッパレ』、『どっちの料理ショー』、『笑いの金メダル』など名番組の司会者としてご活躍。また、座長を務める「熱海五郎一座」は定期的に新作を上演し、70歳を超えた今もなお、舞台に立ち続けています。

 

 

〜三宅裕司のいかすバンド天国〜

三宅さんが、TBS・『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)のMCを務められた時は38歳。イカ天は、アマチュア・アーティストが出場し、審査員が判定を行う番組。“FLYING KIDS” “BEGIN” “たま” “BLANKEY JET CITY”など多くのバンドがこの番組をきっかけにデビューを果たし、バンド・ブームを巻き起こしました。
この番組を仕切るにあたって三宅さんが心掛けたことは、“喋りやすい雰囲気”にすること。出場者の色々なところを見て“これはネタにしない方がいい” “ここはちょっとツッコんであげた方がいい”など、それぞれの特徴を掴んだ上で進行されていたそうです。出場者の中には、突っ張っているけど緊張で足が震えている人も結構いたとか。笑
個性的なバンドの次々に登場したイカ天ですが、第1回の放送でとんでもない事件が!
イカ天には、審査員がもう演奏を聞きたくないと思った時に、画面を小さくして演奏をやめさせる“ワイプ攻撃”というルールがありました。初回の放送で、ワイプ攻撃を受けたバンドの女性が、「もう演奏させてくれないですか(怒)!!」と不満を爆発させ、下の服を全部脱いでしまったそうです!急きょカメラを切り替え“放送事故”は免れましたが、切り替わった映像は、女性を見つめる三宅さんの顔のアップ。笑
衝撃のイカ天のはじまりは、三宅さんのMC人生の中でも忘れられない出来事の1つとなっています。

 

 

〜『THE夜もヒッパレ』〜

その後、三宅さんがMCを務めた音楽番組といえば、日本テレビ『THE夜もヒッパレ』。
夜もヒッパレは、邦楽トップ10にランクインした楽曲を、出演者がカラオケ形式で歌う番組。進行役は、同じMCとして中山秀征さん、そしてDJ赤坂として軽快な曲紹介を行う赤坂泰彦さん、アシスタントはマルシアさんが担当されていました。
「大変でしたね〜。今はあのような番組は作れないですよね。」と、三宅さんが振り返る通り、夜もヒッパレは番組予算も多く、セットはド派手!錚々たる顔ぶれの芸能人がその週の人気曲を歌うという華やかな番組でした。
三宅さん曰く、歌詞のカンペを出すADの動きが素晴らしかったそうで、カメラの動きに合わせて移動しつつ、何枚ものカンペをめくる作業をこなしていたそうです。
また、視力があまり良くない出演者の場合は、文字を大きくするため、その分、カンペの枚数が増え、猛スピードでめくらなければならず、苦労していたそうです。そんな、AD泣かせの出演者さんは誰だか明かせないそうですが(森口博子さん)、スタッフも優秀な現場だったと三宅さんは振り返りました。

 

 


(幼少期の三宅さん)

〜メディアの世界へ〜

三宅さんが、メディアの仕事をするようになったきっかけはラジオ。大学卒業後、1979年に『劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)』を旗揚げし、その後、劇団を売り込むために向かったのはニッポン放送でした。
ラジオのプロデューサーやディレクターに見てもらうためだけの公演を、ニッポン放送のスタジオで行い、そこで面白さを認めてもらえたSETは、「SET劇場」という5分のコーナーを『ヤングパラダイス』という番組内で担当することになります。ここで奇跡的な幸運が!「SET劇場」が放送されている時間は、YMOの高橋幸宏さんが、当時担当されていたオールナイトニッポンの打ち合わせをされている時間と重なっていて、打ち合わせ中に流れてくる「SET劇場」を気に入った高橋さんは、SETを番組ゲストとして呼ぶことに!その流れでSETは『高橋幸宏のオールナイトニッポン』のレギュラーに迎え入れられます。その後、三宅さんは『ヤングパラダイス』のメイン・パーソナリティとなり、ラジオでの地位を確立したのでした。
そんな三宅さんのトーク力の礎もお聞きしました。明治大学時代は落語研究会に所属しながらコミックバンドの活動を行い、その後、学園祭・結婚式の司会などを務めていたそうですが、実は幼少期から喋るのが得意!小学校の通知表には担任の先生から、「人前でおどけたりするのが好きなようだが、時と場所を考えるように。」と書かれていたそうです。笑 この言葉は60年ほど経た今でも鮮明に覚えており、芸能生活にも活きているのだとか!

ラジオで人気を集めた三宅さん。テレビ・デビューは、サザンオールスターズの番組『サザンの勝手にナイト あっ!う○こついてる』でした。
この番組は、月に1回放送されていたコントと音楽の番組。桑田佳祐さんや原由子さんも、三宅さんやSETメンバーと共にコントに参加されていました。桑田さんはアドリブがとても上手だったそうで、「ほかの歌手はこんなことやんないだろうな・・・」とか言いながら笑いを取っていました。当時、すでにスーパースターだったサザンオールスターズの番組ということで、ファンの方はもちろん、業界関係者からの反響も大きく、三宅さんの名前はより多くの人に広まっていきました。人気者だったサザンオールスターズが、SETのために一肌脱いでくれたことに、三宅さんは今でも感謝されています。
そして時は流れ、三宅さんもスターを生む側の立場に。“BEGIN”は『三宅裕司のいかすバンド天国』からメジャーデビューを果たし、三宅さんと同じ事務所・アミューズへ所属。また、『THE夜もヒッパレ』ではルーキー時代の安室奈美恵さんやSPEEDとも共演されていました。実は、“SPEED”というグループ名はこの番組で公募して決定した名前!もう一つ、候補となっていたグループ名は、沖縄出身にちなみ“ハブとマングース”だったそうです!笑
『劇団スーパー・エキセントリック・シアター』からも、岸谷五朗さん、寺脇康文さんなど名俳優を輩出しました。SETは、お笑いが中心の芝居。三宅さんはお二人のことを、“お笑いの大変さに気付いて違う方向に進んだのかな?”と振り返り、三宅さんご自身も「“笑い”は一番難しいと今でも思う。」と語り、「なかでも、“笑わそうとしていることが分かる芝居”は難しい。お客様にも笑いを取る芝居と分からせた上でスベると、お客さんも含めて会場全体が恥ずかしくなる・・・。成功か失敗かは、笑い声としてすぐに結果が出るからね。」と、奥深い“笑いの芝居”について説明してくださいました。

 

 


(劇団スーパー・エキセントリック・シアター結成当初のお写真)

〜思い出の場所〜

三宅さんの思い出深い場所は、長野県・北アルプスにある「燕岳」という標高2763mの山。ご両親が山好きだったこともあり、幼少期から燕岳にはよく行かれていました。その後も、高校時代にはご友人と、お付き合いされている時の奥様と、お子様の10歳記念、SETの劇団員を連れて、など事あるごとに燕岳に登っているそうです。実は奥様へのプロポーズも燕岳!燕岳の頂上稜線にある“燕山荘”という山小屋に泊まられた時、夜中にお二人でトイレに。すると、トイレのドアが壊れており、外へ出ることができたそうです。出てみると、そこには満天の星空が!その時、三宅さんから「結婚しようか」と告げたそうです!始めからプロポーズをする計画はなかったそうですが、お互いにそろそろ結婚を意識されていた時期だったこともあり、三宅さんは星空の下、急遽プロポーズを決意。「星たちの力も借りてね。笑」と、照れ臭そうに振り返ってくださいました。


(燕岳でのお写真。寝起きだそうです!)


(三宅さんが撮影された燕岳のお写真。)

 

 

〜伊東四朗さん〜

仕事で最も影響を受けた人は、伊東四朗さん。
三宅さんはもともと、伊東さんが組んでいた“てんぷくトリオ”のファン。その憧れの人と、三宅さんはコント番組『いい加減にします!』(1984〜85年)で共演しました。この時期の伊東さんはとてもお忙しく、最初はレギュラーではなくゲスト出演でのオファー。ゲストでも「時間が無いからムリだよ。」と一度、断られましたが、それでも三宅さんは、「リハーサル段階で、劇団員で完璧に固めておきますから、伊東さんは本番に出て頂くだけで大丈夫です。」と説得。こうして出演が決まり、いざ本番を迎えると、驚くほど息が合い、上手くいったそうです。
その後、伊東さんはレギュラーとなり、様々なことを教えてくれたと言います。特に印象に残っている言葉をお聞きすると、三宅さんはゆっくりと間をためた上で、その言葉を教えてくださいました。「三宅ちゃん、普通にやっていいんだよ。・・・・・・・あっ違う!三宅ちゃん、好きにやっていいんだよ。」・・・ためて言ったにも関わらず、大事な言葉を間違えてしまい、川島さんも戸惑います。笑
気を取り直して、“好きにやっていいんだよ。” という言葉を掛けられた際のエピソードを伺いました。『いい加減にします!』は、三宅さんにとって、初めてご自分がメインを務めたコント番組。開始当初のレギュラーは植木等さん。そして後から伊東四朗さんが加わりました。子供の頃から見ていた憧れのお二人とのコント。三宅さんはツッコミ役が多く、当初は萎縮していたそうです。すると、伊東さんから“殴るのが(ツッコミが)弱い”とダメ出しをされます。“こうやってやるんだ!”と、伊東さんに強く叩かれたそうですが、三宅さんは“強い方が面白いと分かっていても、憧れの方をそんなに強く叩けない・・・”と困ってしまいます。すると、伊東さんから、「三宅ちゃんがここまで来れたのは“自分の笑い”を持ってるからだろ。だから、好きにやっていいんだよ。」とアドバイスを頂きました。忘れかけていた笑いに対する姿勢を思い出させてくれたこの言葉。三宅さんは、「救いの言葉だよね。だからこの言葉は絶対忘れないし、間違えないですよ!」と、言い切っていましたが、川島さんはすぐさま「いや、思いっきり間違えてましたよ!」と強めにツッコんでいました。笑

 

 

〜熱海五郎一座 東京喜劇「任侠サーカス~キズナたちの挽歌~」〜

5月29日から6月26日まで東京の新橋演舞場で、三宅さん率いる“熱海五郎一座”の舞台、東京喜劇「任侠サーカス~キズナたちの挽歌~」が開催されます。
ミュージカル・アクション・コメディーの要素がすべて入り、ダンス、歌、喧嘩のアクション満載で、“爆笑の連続から、最後にちょっとホロッとさせよう”と、三宅さん流の演出がたくさん盛り込まれています。
出演者は、三宅裕司さん、渡辺正行さん、ラサール石井さん、小倉久寛さん、春風亭昇太さんなどに加え、特別ゲストとして浅野ゆう子さんと、“A.B.C-Z”の塚田僚一さんもご出演!任侠の世界を舞台に、“緊張と緩和”を活かした“笑えるお芝居”が観られるとのことです!
気になる方は是非チェックしてみてくださいね!
https://atari.co.jp/atamigorou2022/

 

 

〜今後の目標〜

最後に、見た目が変わらない三宅さんに若さの秘訣もお聞きすると、奥様が“健康オタク”というお答えが。奥様が調べた様々な健康食品を昔から摂取しているそうです。ずっと同じものではなく、トレンドのモノをその都度、奥様から勧められ、現在は、“ハワイのジュース”を朝と夕方に飲み、健康を保っています!
また、常に新しい舞台の構成を考えていることも“若さの秘訣”ではないかとおっしゃいます。
そんな、三宅さんの夢は、“初孫が舞台に観に来てくれるまで現役でいること”。もうすぐ2歳になるお孫さんが、三宅さんの作る舞台構成・演出を理解できるようになる20歳ぐらいまでは舞台に立ち続けたいそうです!その頃、三宅さんは90歳!奥様の力も借りて、現役を続けることを目指すと誓ってくれた三宅さんは「何でも飲むぞ〜!」と意気込んでいました!笑
90歳になっても、舞台上で笑いを取る三宅さんの姿が目に浮かびますね!

 

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PLAYLIST
  • 「時代遅れのRock’n’Roll Band」
    桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎
  • 「innocent world」
    Mr.Children
  • 「以心電信」
    Yellow Magic Orchestra
  • 「素敵な夢を叶えましょう」
    サザンオールスターズ
  • 「熱海五郎一座TM」
  • 「喜劇」
    星野源