PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2022年11月19日放送

Passenger

鬼龍院翔

本日のお客様は、ゴールデンボンバー・鬼龍院翔様。
1984年、東京都出身。高校卒業後に、東京NSC9期生として芸人を目指すも、NSC卒業後に音楽の道へ。2004年に高校時代からの友人、喜矢武豊さんらとともに“ゴールデンボンバー”を結成。楽器を演奏しないバンド(エアーバンド)として注目を集めます。そして、2009年にリリースした7枚目シングル「女々しくて」が大ヒットし、エアーバンドというジャンルを日本に確立させました。鬼龍院さんは、ライブの演出やステージ構成を手がけるほか、数多くのアーティストに楽曲を提供するなどマルチに活躍されています。
本日は、元・芸人から人気アーティストになった異色の経歴を持つ鬼龍院さんのルーツを巡るドライブです!

 

 

 

〜元・芸人〜

テレビ番組では、何度か共演経験のあるお二人ですが、鬼龍院さんは何故か緊張気味・・・。バラエティ番組やトーク番組に出演すると緊張してしまうそうです。
「自分の曲が流れて、歌って、飛び跳ねて、ふざけているほうが性に合ってる。」とご自身を分析されますが、これには、単に緊張するということの他に、過去の経歴にも関係がありました。
実は、鬼龍院さんはもともと芸人志望!東京NSCの9期生にあたり、同期には、ハリセンボン・ライス・しずるなどがいます。そのなかでも、しずる・KAƵMA(池田)さんとは、“チョコサラミ”というコンビを過去に組んでいました。しかし、コンビ結成以降、二人の仲は悪くなっていき・・・半年ほどで解散。まだ若く、お二人ともお笑いに対して尖っていた時期。コンビとはいえ、お互いのネタには厳しい目を持っていたのが衝突の原因だったそうです。その後、鬼龍院さんは別の方とコンビを組みますが、そちらもNSCを卒業して1ヶ月ほどで解散し、お笑いの世界から去ることに。改めて、当時の心境について伺うと、「NSC入学するときも、“絶対に夢を掴んでやるぞ!”じゃなくて、“どうせ駄目だろうけど、やらなきゃ後悔するから行く”という感じだった。そして、NSC在学後半からは、“もう僕はこの世界じゃダメなんだろうな・・・”っていうのを薄々感じていて、卒業する前から、(お笑いを辞めることは)心に決めていた。」と明かしてくださいました。そして、今なお芸人として活躍する同期に対しては、「たまにバラエティで会うと、10年以上も芸人を辞めずにちゃんとやってきた方々って、“やっぱすげぇな!”って毎回思うんです!」と。鬼龍院さんが、バラエティ番組で緊張する理由には、仲間やお笑い芸人に対するリスペクトが、人一倍強いからなのですね!

 

 


(高校時代の鬼龍院さん)

〜音楽の道へ〜

NSC卒業後は、特に就職などは考えていなかったという鬼龍院さん。そんな時に、高校時代からの友人で、現在のバンドメンバーでもある喜矢武豊さんとよく遊んでいたそうです。当時、喜矢武さんは大学生。しかし、学校でやりがいを見つけられず、悶々とした日々を過ごしていたと言います。そんな時間を持て余していたお二人は、“暇なんだったら、やっぱバンドじゃない?”と、軽いノリでバンドを結成!笑
これが、“ゴールデンボンバー”の前身となるバンド“ニャーん”の誕生でした。その後バンドは、メンバーを替え、ゴールデンボンバーへと姿を変えていくことになるのです。軽いノリから始まったというのが、ゴールデンボンバーらしくて素敵ですね!

 

 


(バンド結成2年目頃の、鬼龍院さんと喜矢武さん)

〜エアーバンド〜

“ゴールデンボンバー”といえば、エアーバンド。結成時から、どこかしらのパートはエアーだったそうですが、実は当初、喜矢武さんは実際にギターを演奏されていたそうです!その実力について伺うと、「ずっと半音ズレたまま弾くんですよ・・・。和音はズレていると、聞けば“気持ち悪い”って普通の人は感じるんですけど、彼はそれを感じない特殊な生き物なんですよ・・・。」とのお答えが。笑 その時ちょうど、鬼龍院さんはDTMやコンピュータミュージックを習っており、その道に精通している先生のおかげで、人間が弾いているような音を機械で再現出来ることを知りました。バンドとして成立させるために、どうにかして喜矢武さんにギターを弾かせない方法を考えます。笑 しかし、当時の喜矢武さんはやる気マンマン!笑
はっきりと「ギターをやめてくれ。」と言うと喧嘩になってしまうため、鬼龍院さんは慎重に、ゆっくりと、刺激をしないように、遠回しに説得していき、数年の月日を掛けて、やめさせることに成功したそうです。笑
しかし、「機械で音が作れてご自身が歌えるなら、1人で活動する道もあったのでは?」という川島さんの質問に対しては、「そういう考えにはならなかった。」と鬼龍院さんは即答し、続けて「複数の人が同じノリをすることで、聞いている人がより高揚するというのは強く感じていた。だから決してバンドから抜けて欲しいなんて思わなかった。」と語ります。そして、“演奏しないでステージ立って、俺はどうすればいい?”と戸惑う喜矢武さんに対して、「音楽に合わせて体を上下させてくれ!それはすごい重要な役割で、グッとお客さんにノリが伝わるから。」と説明したことは、今でもハッキリと覚えているそうです。こうして、ゴールデンボンバーは、エアーバンドとして、音楽業界に新たな風を吹き込んでいくことになるのです。

 

 

〜人気バンドへ〜

結成当初は、経済的に苦しい日々が続きます。地方へライブをしに行っても、ご飯は100円均一の缶詰で済ませることもしばしば・・・。しかし、元・芸人の経験が活きたのか、鬼龍院さんは、先輩芸人が過去の苦労話を楽しそうに話していたことを思い出し、“貧乏で楽しいじゃないか!”と前向きに捉えていたそうです。そして2008年、ゴールデンボンバーは、現在の事務所のレコードレーベルと契約され、CDデビューを果たします!するとその後、音楽性とエンタメ性の高さに注目した大手レコード会社7社からオファーが!所属事務所はそのままで、リリース関連のみを大手会社に委ねるという流れは音楽業界ではよくあること。その時、鬼龍院さんは、所属事務所の社長から方針を尋ねられ、また、大手からリリースする場合と、現在の所属事務所からリリースする場合の違いを説明してもらいました。ざっくりいえば、大手からリリースすれば、大々的に宣伝をしてもらえるが、一方で関わるスタッフも増えるため、今の10倍の枚数を売り上げないと収入が下がるとのこと。鬼龍院さんはこれを聞いて、評価してもらったのは有難い話ですが、メジャーからのオファーを断ること決めました。なぜならゴールデンボンバーは、その前からいち早く“ニコニコ動画”など、インターネットを活用した宣伝を自分たちで行っていたのです!すでに宣伝力を備えている点と、収入面も考慮した結果、現在の事務所で全て行うことに。有名になった今もなお、インディーズでの活動を貫いています。

 

 

〜『女々しくて』〜

ゴールデンボンバーを一躍有名にした大ヒット曲「女々しくて」の誕生秘話も伺いました。
当時、鬼龍院さんはコンビニでバイトをしていて、カップラーメンの品出しをしていた時、頭の中に突然「女々しくて♪女々しくて♪」というフレーズが流れてきたそうです!“キャッチーなメロディーだな”と思い、すぐにバックヤードへ行き、携帯電話のボイスメモに録音。これを基に曲が完成しました。「女々しくて」は、鬼龍院さん好みの曲で、手応えは十二分!そして、満を持してメンバーに聴かせますが・・・、「なんかダセェッ!」と一蹴されたそうです!
実は当時、鬼龍院さんを除くメンバーは、ギターが“ギュイーーン”と響き渡り、客席の女の子が黄色い声援をあげるような、尖ったカッコいい曲を披露したかったそうで・・・「女々しくて」は新曲としては却下されてしまいます。しかし、その2ヶ月後のワンマンライブで多くの曲数が必要になった際、「そういえば、この前聴かせてくれた曲は?」という話になり、尺を埋めるため(!?)に、「女々しくて」をライブで初披露!すると、初めて聴いた曲にも関わらずお客さんは大盛り上がり!それを見た鬼龍院さんは、“もうメンバーは2度と信じない。自分の感覚を大切にしよう。”と、心に誓ったそうです。笑
ちなみに「女々しくて」がライブで盛り上がった後のメンバーの表情は、“やっぱりこの曲は良いよね!”と、我が物顔だったそうです・・・笑

 

 

〜マクドナルド〜

鬼龍院さんは、作詞をする時は必ずマクドナルドを利用!その理由は、浮世離れしないから。家に籠って1人で作業すると、頭の中で不思議な世界に飛び立ってしまい、ファンタジーな歌詞になりがちで、一方、マクドナルドは、他のお客さんの喋り声や雑音が入り交じるため、リアルで現実味のある歌詞が浮かんでくると言います。もともと、フォークソングなど、生活感のある歌が好きな鬼龍院さんは、ポップなメロディーの中に現実味のある歌詞を落とし込むことを意識しているのです。
そして、曲作りの為に、売れた後も工場でバイトをした経験があると言います。
「女々しくて」のメロディーが、コンビニの品出し中に降りてきたように、“単純作業をしている時に良い曲を思い浮かぶことが多い”と感じている鬼龍院さん。なので、音楽だけで生活できる状況になっても、曲作りのために、あえて短期間のバイトをすることがあるそうです。(例えば、デザート工場で、シュークリームからはみ出たクリームを拭き取るバイトなど!)
「単純作業は、最初、覚えるまでは大変だが、慣れてくると頭を使わずに出来るようになる。その時に色々なことを考え、発想すると良いモノが浮かぶことが多い。」と、少し変わった作曲活動を明かしてくれました。

 

 

〜影響を受けた人〜

鬼龍院さんが最も影響を受けた人はGACKTさん。
中学校の頃から大好きで、週1回の2時間あるラジオ番組を欠かさずチェックし、録音して何度も繰り返し聞いていたそうです。その影響は同じミュージシャンになった今でも続いているそうで、特にGACKTさんが昔から言い続けている“予想は裏切り、期待に応える”というポリシーは、ゴールデンボンバーのライブにも活かされています。“この曲やるだろうな・・・!こういう事するだろうな・・・!”といったお客さんの予想を裏切り、その上で期待に応えることで、“驚き”がプラスされて、より大きな“喜び”を与えることできるそうです。尊敬するGACKTさんの影響もあり、ゴールデンボンバーは最高のエンターテイメントを披露し続けています!

 

 

〜鬼龍院翔さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

鬼龍院さんのエウレカは“何事にも期待をしないことが大事”ということ。
他のバンドリーダーの友達とご飯に行き、「他のメンバーが仕事をしてくれない・・・」と、相談を受けた際、鬼龍院さんは「仕事してくれると思ってるから辛いんでしょ。そもそも、動いてくれるって期待を捨ててみたら?自分をソロアーティストだと思った方がいいよ」と、アドバイスするそうです。しかし、鬼龍院さんにとってバンドメンバーの存在は重要で、ステージで一緒に音楽にノって踊ってくれるだけで有り難く、ソロになるつもりはないんだとか。また、「夢なんて破れて当然と思っていれば、破れた時にダメージを受けないで済む。」とも語り、これまで叶わないと思いながら夢を追いかけ続けてきたそうです。他人にも自分にも“期待をしない”というスタンスでありながら、これまで多くのことを成し遂げてきたのはスゴいですね!
そんな「夢なんて破れて当然」と考える鬼龍院さんの今後の夢を伺うと・・・、
“たまに思うのが・・・エアーバンドの後釜が出てきて欲しい”とお答えに。
「“エアーバンドって良いスタイルだよね”って言われるわりに誰もやらない。“楽器を持ってステージに立ちたい!”っていう願望は、みんな持ってると思う。“弾かなきゃいけない”とハードルを上げずに、やりたければやればいい。」と話し、エアーバンドは、老若男女、誰もが楽しめる音楽表現であると熱弁。今後、新たなエアーバンドの登場に期待ですね!

 

radikoのタイムフリーで聴く
PLAYLIST
  • 「僕クエスト」
    ゴールデンボンバー
  • 「抱きしめてシュヴァルツ」
    ゴールデンボンバー
  • 「女々しくて」
    ゴールデンボンバー
  • 「イヤホン」
    ゴールデンボンバー
  • 「Life is SHOW TIME」
    鬼龍院翔 from ゴールデンボンバー