PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2023年2月25日放送

Passenger

ダチョウ倶楽部

本日のお客様は、ダチョウ倶楽部様。
肥後克広さんは1963年、沖縄県出身。寺門ジモンさんは1962年、兵庫県出身。
1985年にダチョウ倶楽部を結成。1986年には、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』に出演され、10週連続勝ち抜きを果たします。その後、日本テレビ『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でブレイク!「ヤー!」「訴えてやる!」「ムッシュムラムラ」といったギャグやモノマネ、リアクション芸で人気を確立されます。1993年には「聞いてないよォ」のフレーズが流行語大賞大衆部門で銀賞を獲得!川島さんも「ずっと前から来ていただきたかった!」と熱望していたお2人と、念願のドライブに出発しました!

 

 

〜紅白歌合戦〜

昨年大晦日のNHK『紅白歌合戦』で、純烈と有吉弘行さんと「白い雲のように」をパフォーマンスされ、大きな話題となったダチョウ倶楽部のお二人。
放送を観た川島さんからは「みなさんガチガチに緊張されていた。笑」という感想が。
それに対してお二人は「応援団としてバラエティ的に出るのと、マイクを持って歌うのは全然違う!」とおっしゃいます。本番での緊張だけでなく、前日のリハーサルから“紅白歌合戦で歌うんだ…”というプレッシャーを感じていたそうです。
今回の純烈、そして有吉さんとのコラボは肥後さん曰く“奇跡の数珠繋ぎ”。昨年5月、突然の不幸な出来事に、肥後さんは「ダチョウ倶楽部は解散しません。二人で、純烈のオーディションを受けます。ヤーッ!」と、芸人ならではのコメントを発表。すると、それを知った純烈のリーダー・酒井一圭さんがメンバーのみなさんと相談して、「肥後さん、一緒にやりましょう!一緒にやるなら紅白目指しましょう!」と声を掛けてくれたそうです。こうして昨年8月、「純烈♨︎ダチョウ」としての活動がスタート。各地のライブやフェスに出演したり、健康ランドに行ったり…と、様々な活動をされます。


(昨年は「純烈♨︎ダチョウ」として各地のライブに出演!
その初舞台は8月に行われた私立恵比寿中学と純烈の2マンライブでした。)

すると有吉さんもラジオで、「“白い雲のように”がヒットした時は、紅白には出られなかったけれど、今回純烈とダチョウ倶楽部がカバーしたことで…俺の出場もあるんじゃない?笑」とお話に!この話を聞いていた紅白歌合戦のスタッフの方が、NHKに番組収録で訪れた有吉さんのもとに「出て貰えるんですか・・?」と駆け付けたそうで、紅白出場の夢が、実現にすることに!
肥後さんとジモンさんは「“純烈♨︎ダチョウ”でボールを運んできて、そこに有吉さんが来て(紅白出場という)ゴールを決めた。」と振り返り、有吉さんの一言が決め手だったとおっしゃいます。(ちなみにジモンさんは、NHKでレギュラーを持つ笑福亭鶴瓶さんのスタッフにも、頼んだりしてみたのだとか!笑)
念願の紅白本番では、普段は冷静沈着な有吉さんの珍しい姿も・・・!
有吉さんは歌唱前のトークで、「ダチョウ倶楽部が純烈さんとコラボして〜」と話す予定が、一言目で「ダチョウコラボが〜」と言い間違い、隣にいた肥後さんも“お前緊張してる!?”と、普段は見られない姿に驚いたのだとか!笑
テレビで観ていた川島さんも「あの時、視聴者にも緊張が走った。笑 でも、あれで和みましたよね。」と振り返ります。
また、本番のステージでも、立ち位置の目印が、前の演出で使われた花吹雪によって見えなくなっており、“目印がない・・・!”と焦る有吉さんを、ジモンさんが手を引っ張って真ん中まで連れて行かれたそうです。笑

 

 

〜2人での活動〜

昨年、ダチョウ倶楽部のリーダーとしてこれからの方向性を考えたと言う肥後さん。ダチョウ倶楽部は上島さんがボケで、肥後さんがツッコミ。ジモンさんはボケでもツッコミでもなく、また進行する訳でもないので“ジモン”だと思ったそうで、それゆえに現在のダチョウ倶楽部は“ツッコミとジモン”の状態なのだとか。笑
ですがここでジモンさんからは「お前も“肥後”でいいんだよ、それが答えなんだ」という一言が。川島さんも「肥後さんがツッコむイメージもない」と言い、「“肥後とジモン”で十分しっかりバランスは成り立ってると思います」と伝えていました。
これまでのダチョウ倶楽部は“基本、上島さんとジモンさんが2人でギャーギャーやっているのを、肥後さんが交通整理しているだけ”と言う肥後さん。このようにとことん“こだわらない”姿勢の肥後さんに対して、“俺はすべてにこだわりたい”というジモンさん。かなり対極的なお2人です。
ここで川島さんからは“肥後さんと上島さんVSジモンさん”だったこれまでのダチョウ倶楽部から2人になって、肥後さんは受け止めきれるのか?という質問が。それに対して「楽屋で2人でいるとなかなかしんどいのよ」と肥後さん。“上島が間に入ってくれていたんだなっていうことをいなくなってから気づいた”とおっしゃいます。
デビュー当時、取材などでこれからの夢をよく聞かれていたダチョウ倶楽部。“冠番組持ちたい”“映画に出たい”というベタな答えではなく、あえてギャグとして「現状維持」といつも言っていました。でも、それから30~40年経って「現状維持が本当になっちゃった」という肥後さん。これを聞いた川島さんは「リーダーの一言って言霊がある」と伝えると、「現状維持って言わなきゃよかった。大ブレイクって言えばよかったよ」と返す肥後さんでした。笑

 

 

〜ダチョウ倶楽部結成〜

ダチョウ倶楽部を結成したきっかけは、渡辺正行さん主催の『渋谷La.mama』で開催されている「ラ・ママ新人コント大会」。この第1回が開催される際、兄弟子である渡辺さんから声を掛けられたという肥後さん。その場で「出ます!」と言ったものの、すっかり忘れてしまい・・・。その後、新宿の路上でバッタリ会って、「ネタ出来てる?そろそろだぞ?」と言われますが、“何のコトを言っているんだろ・・?”と呆然とする肥後さん。笑 そして、渡辺さんから「そんな無責任なことはダメだ。ダチョウ倶楽部っていうグループいただろ!何人か集めて出ろ!」と怒られますが、肥後さんは、半ば諦めた様子で「ダチョウ倶楽部は、もう皆んないないですよ。」と答えたと言います。
この話を聞き、“・・・ん?”と一瞬戸惑う川島さん。
それもそのはず、実はダチョウ倶楽部はもともと20人ぐらいのコントグループだったのです!そしてその際、肥後さんが20人ほどいるメンバーに電話を掛けて繋がったのが上島さん、ジモンさん、そして元メンバーで現・電撃ネットワークの南部虎弾さん。この4人でライブにとりあえず出たところ、そのコントは大ウケ!終演後に渡辺さんから「来月どうする?」と言われ、「来月も出ます。」と答えたことから、ダチョウ倶楽部の活動が続いていき、現在に至るそうです。

 

 

〜リアクション芸、誕生の瞬間〜

『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』ではダチョウ倶楽部の代表的ギャグ「聞いてないよォ」が誕生!その裏話についても、たっぷりと伺いました。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の第2回に呼ばれたダチョウ倶楽部。しかし、周りの出演者は、林家ぺーさんやジミー大西さんなどレジェンドだらけ。
さらに、この当時のダチョウ倶楽部は“ネタで笑わせるんだ”と意気込み、トガっていた時期。“こんなヤツらとやりたくない”“同じ画面に映っちゃうと同じヤツに思われちゃう”という考えから、収録中にもかかわらずスタッフの後ろにいたのだとか!
当然、収録後に日本テレビから事務所にクレームが入り怒られますが「はぁ〜い、すみませぇ〜ん。」と、反省はしなかったダチョウ倶楽部。笑
しかし、意外にも次の収録にも声が掛かったのです!そして、“ここは何かしなきゃいけないな”“さすがにまた怒られるのはイヤだな”と思い、徐々に前に出ていきます。その収録では「浮島爆発イントロクイズ」という、浮島に行って爆発されるという企画が行われていたのですが、現場は今一つ盛り上がらず…そこで、たけしさんが現場を盛り上げるため、たけし軍団の井手らっきょさんに浮島に上がってお尻を出すよう舞台袖で指示。しかし、その指示を偶然耳にした上島さんが、「井手さんより先に俺がお尻出そうかな・・」と言い出します。笑
先輩で、しかもたけしさんと師弟関係にある井手さんがやろうとしたギャグを、先にやるのは芸人としてご法度ですが…“この収録で結果を残せなかったら、どうせ消える”と考えていたダチョウ倶楽部の3人、一か八かで裸芸を披露!すると、「あんなバカみたいなやつ、いるじゃねぇかよ。面白いなぁ」とたけしさんは大ウケ!また収録後、ギャグを横取りすることになってしまった井手さんのもとに謝りに行ったところ…井手さんからは「助かったよ。俺、一人でお尻出すのツラいんだよ」とまさかの反応が!笑 裸芸の後継者が誕生した瞬間でした。
それ以来、“体張るときはダチョウでいこう”ということになっていきますが、“たけし軍団のみなさんには到底太刀打ちできない”と感じたダチョウ倶楽部の3人。たけし軍団に対抗するため、お決まりのネタを作っていきます。そこで生まれたのが「押すなよ!絶対に押すなよ!」でお馴染みの熱湯風呂のネタ。何年もかけて、熱いお湯の中で上島さんが溺れるくだりや、“お湯ピューピュー”のくだりなど、どんどん笑いの要素を足していったそうです。
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』など、危険なリアクション芸の際には、スタッフとの綿密な打ち合わせが長時間にわたって行われます。その間、ロケバスでずっと待機してくれていたたけしさん。長い打ち合わせに文句一つ言わず待機した後、本番で「次はダチョウ倶楽部!」と振ると、ダチョウ倶楽部の3人が「聞いてないよォ」とリアクションすると、たけしさんが「聞いてただろ!笑 長いよ、リハーサル!」とツッコむという流れがあり、そこから生まれたのが、代表的ギャグ「聞いてないよォ」でした。
当初は“身内ノリのギャグ”として捉えていたそうですが、テレビで観た事務所の先輩・片岡鶴太郎さんが「面白いね。」「絶対流行語になるよ。」と褒めてくださり、「やり続けろ!」とアドバイスをしてくれたそうです。その教えを守り、ひたすらこのギャグをやり続けていたところ、次第に世間にもウケるようになりました。そんななか、ジモンさんが洋画を映画館に観に行ったところ、日本語字幕で「聞いてないよ」と言うフレーズが登場!これを目の当たりにして、“聞いてないよォ”が世間に浸透してきたと感じたそうです。さらに、…汎用性が高いこのフレーズはテレビショッピングや新聞の見出しなど様々なシーンで使われ、1993年、流行語大賞を獲りました。
その後も、「どうぞどうぞ」など、次々にヒット作を生み出すダチョウ倶楽部は“ギャグ界のサザンオールスターズ”とも言われているのだとか!笑
現場で笑い、ギャグを生み出すあたりが、ダチョウ倶楽部さんらしいですよね!

 

 

〜ダチョウ倶楽部さんのエウレカ!(発見・気付き)〜

肥後さん、ジモンさんのエウレカは、やっぱり“現状維持”。
爆笑問題やナイツなど、今でもネタをされている芸人さんからは「ネタやらないんですか?」とよく聞かれるそうで、肥後さんは「2人じゃ無理だよ。」と答えるそうですが、片岡鶴太郎さんからは「ジモンと肥後が2人いるだけで面白いんだから、漫才とかコントとかそんなの関係ないからね。2人が舞台袖から出てくるだけでOKだから。」と言葉をかけられたとか。
今年60歳の肥後さん、「約10年後、70歳ぐらいになったら、浅草・東洋館に出演して、2人でネタを披露したい。」ともお話に。30年、3人でのネタを考えてきたため、2人でのネタが全然思い付かないとおっしゃる肥後さんですが…ボケもツッコミもいない、“肥後とジモン”の2人ならではのネタ、楽しみですね!

 

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PLAYLIST
  • 「メリーアン」
    THE ALFEE
  • 「白い雲のように」
    純烈♨︎ダチョウ
  • 「ダチョウダンス」
    ダチョウ倶楽部
  • 「JUMP」
    忌野清志郎
  • 「愛の言霊 ~Spiritual Message~」
    サザンオールスターズ