PASSENGER DIARIES

EDC 営業日誌(過去のお客様)

2023年6月10日放送

Passenger

渡辺正行

本日のお客様は、渡辺正行様。
1956年、千葉県出身。
1977年、明治大学在学中に劇団『テアトルエコー』養成所に入所し、ラサール石井さん、小宮孝泰さんと出会い『コント赤信号』を結成。フジテレビ『オレたちひょうきん族』をはじめ、様々な人気テレビ番組にレギュラー出演されます。その一方で若手芸人の育成にも力を入れ、1986年からは『ラ・ママ新人コント大会』を主催!“お笑い界の生き字引”とも言える渡辺リーダーとお笑いをたっぷり語り合うドライブです!

 

 

〜川島さんとの関係〜

昨年5月、川島さんがMCを務める『ラヴィット!』に渡辺さんがサプライズでご出演!前週の放送で、アンタッチャブル柴田さんが渡辺さんの“コーラ一気飲み”芸のことを話題にしていたことからこのサプライズが実現。“リーダーをコーラの一気飲みだけでお呼びしていいのか…?”“しかもそんなの引き受けてくれるのか…?”という話にもなったそうですが、ダメ元でオファーしたところ渡辺さんは快諾!
ただ、生放送本番ではちょっとしたハプニングもあったそうで…。「よーい、スタート!」のタイミングで渡辺さんはコーラを飲み始めましたが、実はそのあと“プップップッ”というカウントダウンも用意されており、渡辺さんはそれに気づかずコーラを一気に飲み干してしまいました。フライングしてしまったので、仕切り直してもう一度飲むことになりましたが、それでも他の人を圧倒するスピードでコーラを飲み干していました。笑
それ以前にもCBC・TBS系『健康カプセル ゲンキの時間』という番組で共演していたお2人。この時から渡辺さんは川島さんのことを“本当に偉い”“この人変わっていく”と思っていたとか。当時の川島さんは、相方の田村さんが『ホームレス中学生』で売れた一方で、テレビに出る機会は少なかった時期。『ゲンキの時間』では週替わりでお笑い芸人がコーナーの進行を担当しており、川島さんもそのうちの1人として出演しました。健康情報をお届けする番組ということで、ふざけづらい現場でしたが、川島さんは正しい情報はしっかりと伝えつつ、“限られたルールの中で10秒くらいアドリブがあれば行こう!”と、短いチャンスを狙って、隙間でちょっとしたボケを入れたのだとか。川島さんのその姿勢に渡辺さんは驚き、収録後、周りに聞こえるように「あの子面白いよ!」とずっと言っていたのだとか。川島さんはこの時リーダーに褒めてもらったことが心の支えになったそうです。
渡辺さん曰く、タレントが仕事に慣れてきてしまった時、“じゃあ、どこに向かってやっていこうか?”と考えることが必要だとか。レギュラー出演している番組だと、毎週のように収録があり、次第に慣れてきてしまいますが、“どうやったら面白くなっていくだろうか?”と考え、“今回はこうしてみよう”という自分の中でのテーマを毎回決めて収録に臨むことを、渡辺さん自身もされてきたそうです。こうすることで自分自身を掻き立てるのだとか。そんな渡辺さんだからこそ、『ゲンキの時間』での川島さんの姿勢に感動したのですね!
「だから、『ラヴィット!』を見ていてもブレがないじゃん。」と話す渡辺さん。川島さんのMCについて「しっかりしてるし、笑顔を絶対崩さないし、しっかりツッコミするし、回しもするし、あれだけ若い子たちを束ねられるじゃん。」と評価します。さらに、番組についても「(出演者の)みんなが同年代だから、一緒に遊びながらやっていけるじゃん。あの辺がいいよね。俺らがやってた『ひょうきん族』のような仲間意識とか、その中でも“自分が売れていこう!”といった空気感が『ラヴィット!』に見えるよね。」と分析されていましたが…渡辺さん、『ラヴィット!』を最後までしっかり見たことは無いのだとか。笑

 

 

〜ラ・ママ新人コント大会〜

1986年から渡辺さんが主催しているライブ『ラ・ママ新人コント大会』。今年4月には400回を迎えたこのライブには、ウッチャンナンチャン、ダチョウ倶楽部、爆笑問題、バナナマンなどなど、そうそうたる芸人が出演してきました。
『オレたちひょうきん族』をきっかけにテレビによく出演するようになったコント赤信号。周りの若手芸人から「お笑いを教えて欲しい。」と言われるようになりますが、“笑いなんて教えるもんじゃない!”と考えていた渡辺さんは、実際に手取り足取り教えるのではなく、“場を作ろう!”と考えます。そうして、ライブハウスを借りて始まったのが、この『ラ・ママ新人コント大会』。「ウケれば自分らの勝ちだし、ウケなかったら自分達の負け。そうやって勉強していくもんだよ。」と若手に人達に伝えていたそうです。
当時、関西にはお笑いの劇場はありましたが、東京には全くありませんでした。漫才師は落語協会や芸術協会などに入って、末廣亭や演芸場などに出るくらいしかネタを披露する場が無かったとか。その時、『お笑いスター誕生!!』で勝ち抜いて、テレビに出始めていたウッチャンナンチャンも、若い人の前でネタを披露する場を求めていたコンビのうちの一組。渡辺さんが「出ない?」と言って誘い、このライブに出演するようになります。
また、“誰もが出られるような場所を作りたい!”という思いから、東京の各事務所の若手芸人を呼んで来たと言います。東京のお笑いシーンには横の繋がりがあまりなかったので、そこで渡辺さんは、ライブ後の打ち上げで横の繋がりができて、周りの芸人と切磋琢磨できるような環境を作ることを目指します。
当初は10組程度の芸人が出演していましたが、“誰でも出ていいよ!”と受け入れ続けた結果、30組ほどにまで増えてきたそう。さすがに30組のネタを観るのは観客もしんどいだろう…となり、メインの出演者は10組ほどにして、あとはゴングショー(いわゆる公開オーディションのような形式)というスタイルが生まれます。
「コーラスライン」と呼ばれるゴングショーのコーナーでは、面白くないと思った観客10人以上の札が上がるとネタは強制終了。そこに出る10組ほどの出演者もオーディションで選びます。その10組を選ぶのに渡辺さんが何十組ものネタを見るそうで、「ヒドいヤツもいっぱいいるけど、そういう中に爆笑問題とかがいたりするんだよね」とおっしゃっていました。

 

 

~爆笑問題~

爆笑問題にとって、『ラ・ママ新人コント大会』に出るためのオーディションは初めてテレビに出ている人の前でネタを披露する機会だったため、とても緊張していたのだとか。オーディションでは10分ほどのネタを披露し、渡辺さんは合格を出しましたが、コーラスラインのネタ時間は3分。そのため、渡辺さんは「面白いけども、3分間に収まるように短くして。」と伝えます。しかし、太田さんは「いや、俺らのネタは面白いんだ。短くしろと言われたけど、俺は10分やる!」と言って、10分間ネタを披露し、観客の札が上がることもなくネタをやり切ったそうです!それを見たお笑い関係者から、すぐに爆笑問題のもとにオファーが殺到。太田プロからはその日のうちに“うちに来ないか?”という話になり、フジテレビのディレクターからも「『冗談画報』に出ないか?」とオファーされたのだそう。

 

 

~バナナマン~

バナナマンも『ラ・ママ新人コント大会』に出演していた芸人の一組。
設楽さんはもともと渡辺さんの運転手をしており、日村さんも高校生の頃から知っているそうです。日村さんはバナナマンを結成する前に『陸上部』という別のコンビを組んでいて、陸上部の2人は高校卒業を機に渡辺さんの個人事務所に所属。次第にテレビに出演するようになっていきますが、ある時、渡辺さんは2人から「解散しようと思います。」と告げられます。解散を決意した理由は、日村さんの相方の彼女が「彼氏がタレントなのは嫌だ。」と言うから。日村さんの相方は「このままいくと売れてしまうかもしれない。売れてから辞めるのは迷惑をかけるので、今のうちに僕は辞めたい。」と話したそう。「でも日村、お前はそれでいいのか?」と渡辺さんが聞くと、「まあ相方がそう言うから…」と受け入れている様子。こうして陸上部は解散することになり、その時、ちょうど渡辺さんの運転手を終えたタイミングだった設楽さんと日村さんが知り合い、バナナマンが結成されたのでした。

 

 

~コント赤信号 解散危機~

最近ではオードリー若林さんなど、様々な芸人さんが渡辺さんに助けられたと話していますが、渡辺さん自身は「先輩に何か言われるのが嫌いだったの。」と言います。若手時代、コント赤信号では渡辺さんがネタを書いて、演出を担当していたこともあり、“俺が書いてたものが一番面白い”という思いを抱いていたのだとか。


(コント赤信号の3人!左から、ラサール石井さん、渡辺さん、小宮孝泰さん。)

そんな渡辺さんが後輩に一言かけることの大切さを感じたのは、コント赤信号が解散するかもしれなかったタイミングでのこと。コント赤信号が全く売れていなかった頃、世間は漫才ブーム。なかなかテレビに出られない状況が続き、石井さんも小宮さんも辞めると言い出し、“じゃあ、もう解散だね…”という話になっていたとか。そんな中、ゴムパッチン芸でブレイクした先輩コンビ“ゆーとぴあ”さんから「ライブに出演しないか?」と誘われたコント赤信号。この時、“解散する前に、最後にネタを作ろう!”となりました。
作ったネタをゆーとぴあのお2人に見てもらい、修正して再び見てもらう…という作業を繰り返していたところ、ゆーとぴあのお2人からコントの演技についてアドバイスを受けます。その時のコントは、渡辺さんと小宮さんが暴走族で、石井さんが真面目な学生という設定。暴走族の集会に向かう小宮さんを石井さんが「行くのやめなよ。」と止める場面で、ゆーとぴあのお2人は石井さんに「お前は止めてない。」、小宮さんに「お前、行こうとしていない。」と指摘しました。つまり、口で言っているだけで、本気で集会に行こうとしていないし、本当にそれを止めようとしていない…もっと行こうしないとダメだし、掴んで止めなきゃいけない、というアドバイスでした。これを受けて、“本気のぶつかり合いがコントなんだ…”“台本だけじゃないんだ…”と感じた渡辺さん。このネタが舞台でウケて、『花王名人劇場』に出演するキッカケを掴み、コント赤信号の解散は回避されたと言います。
この時の経験から、“「頑張れよ」「面白いよ」といったちょっとした言葉やアドバイスがきっかけで、芸人が一皮むけたり、何かに気づいたり…ということがあるかもしれない”と思うようになったと言います。そのため、『ラ・ママ新人コント大会』でも、ネタの内容自体にはあまり口出しせず、“もっと明るい方がいい”“服装はこういう方がいい”“このボケはきちんと言った方がいい”などと、ちょっとした一言をかけるようにしているのだとか。


(デビュー当時のコント赤信号!)

 

 

~オードリー~

「オードリーは最初に見た時にもう漫才としては完成していた。」と話す渡辺さん。
本人達にとっては“ウケもないし、手ごたえもない…”という時期だったそうですが、渡辺さんから見ると“漫才のスタイルはもうできている”と感じたとか。ただ、当時の若林さんのツッコミはずっと春日さんの頭を叩くスタイルだったため、その点に関しては“観客が引いてしまうかもしれない…”と感じたそう。そのため渡辺さんは「漫才の形はもうM-1狙える。だから見せ方をちょっと変えていくだけで全然良くなっていくよ。」とオードリーのお2人に言ったそう。すると次のネタ見せで「俺のこと嫌なのかよ!」「そんなに嫌だったらお前と漫才やってねえよ」「ヘヘヘヘヘ」と笑い合う…という今やおなじみのパターンを入れてきて、渡辺さんは「そういう感じがいいよ!柔らかく見えてくるし、今年のM-1行けるよ。」と声をかけたそうです。
その年のM-1は決勝までいけなかったものの、翌年(2008年)のM-1では敗者復活戦の中にオードリーの2人の姿が!その年、ちょうど審査員を務めていた渡辺さん…“オードリーが来ればいいのにな…”と密かに思っていたところ、見事オードリーが敗者復活を勝ち上がります!決勝ステージのネタは渡辺さんが「もうすごかったの。」と言うほどのもので、NON STYLE、ナイツとともにそのまま最終決戦に進出。最終決戦ではNON STYLEが優勝しますが、オードリーも負けず劣らずのインパクトを残しました!

 

 

~M-1グランプリ~

ここで川島さんから「審査、難しくないですか?」という質問が。
『ラ・ママ新人コント大会』ではアドバイスをすることはあっても、点数はつけていません。『M-1グランプリ』で点数をつけることに関しては、1組ずつその場で点数をつける…というやり方をしているため、審査する側としては、最初の組の点数を踏まえて次の組が上か下か…というやり方で判断をしなければなりません。「前の人よりも良い・悪いというのはきちんと僕の判断で見させてもらっていた。」とお話しされていました。
さらに続けて渡辺さんは、お笑いにも様々なスタイルが出てきたと言います。渡辺さん曰く、以前のM-1ではしゃべくり漫才の上手さと発想力が競われていましたが、色々なスタイルの笑いが出てきた今は、王道のしゃべくり漫才でなくても、笑わせることでネタが成立していれば勝つグループもどんどん出てきています。お笑いが多様化したことで色々な審査の仕方を求められるようになり、審査も難しくなっているように感じるとか。
昨年のM-1では、さや香の漫才を見て、構成と喋りが完璧だと感じた渡辺さん。しかし、結果はウエストランドの優勝。この理由について、最終組で出た1本目のネタで勝負に行って、最終決戦の1組目でその勢いのまま2本連続で同じようなネタを被せたことで、会場の観客の熱量がかなり高くなったのではと言います。会場の熱量は会場にいると伝わってきますが、テレビで見ていると感じづらいのだとか。ウエストランドは会場の熱量を一気に持って行ったため、優勝できたのではと考察されていました。

 

 

~オレたちひょうきん族~

渡辺さんが影響を受けた人物は、『オレたちひょうきん族』で共演していたビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さん。「この人達は本当天才。」と言います。
当時、まだぽっと出の新人だったコント赤信号。“この中で俺らが勝つにはどうしたらいいいかな…?”ということを考えていたそう。『タケちゃんマン』のコーナーはアドリブの要素が強く、とにかくみんなグイグイと前に出ていくので、“この中で俺達は勝てないな…”と渡辺さんは感じていました。ただ、ドラマパートでは、一言二言しかセリフが無いものの、“ここだけはきちんとやろう!”と意識していたそうです。
そんな中、ある刑事ドラマのシーンでさんまさんが本番でいきなり「渡辺刑事、浜松の女はどうした?」とアドリブを入れてきます。もちろん、台本には無いセリフ。リハーサルではそんなこと一切言っていなかったのに、本番でいきなり仕掛けられます。当時渡辺さんは本当に浜松の女性と付き合っていたそうで…「え?どういうことでしょうか?」とドラマの設定を守りながら答えると、さんまさんは「浜松の女おるやろ?どないしたんや。」とさらに続けます。「それは…あのいやえっと…それは今言った方がよろしいですか?」と、本当に焦って受け答えをする渡辺さんでしたが、この生々しいシーンがオンエアでは使われます。そうすると、次の収録でも同じようにさんまさんが仕掛けてきて、渡辺さんがまた焦り、またそこが使われます。“こういうところが使われるんだ。俺の出番が多くなるんだ!”と気づいた渡辺さん。その後は、収録前に渡辺さんがさんまさんに「昨日も六本木で飲んじゃって大変でした…」などとプライベートを話し、すると本番でさんまさんが「昨日六本木で…」などと仕掛けるようになったそうで、そういったやり方もさんまさんに自然と教えてもらったのだとか。

 

 

~熱海五郎一座~

渡辺正行さんは現在、新橋演舞場で6月25日(日)まで開催されている舞台『幕末ドラゴン~クセ強オンナと時をかけない男たち~』に出演中!

幕末の新撰組をテーマにしたミュージカルをやっているおじさん劇団が、タイムスリップして本物の新撰組の時代に行ってしまい、そこで珍騒動が巻き起こる…というストーリー。
三宅裕司さん、渡辺さん、ラサール石井さん、小倉久寛さん、春風亭昇太さん、東貴博さん、深沢邦之さんといったメンバーに加えて、ゲストには、檀れいさん、ももいろクローバーZの玉井詩織さんが登場。檀れいさんは坂本龍馬の奥さん・おりょう役を演じ、玉井詩織さんはミュージカル劇団の座長の娘役を演じています。 みなさんもぜひ、足を運んでみてくださいね◎


(舞台『幕末ドラゴン』に出演するメンバー!)

 

 

~渡辺正行さんのエウレカ!(発見・気付き)~

現在、67歳の渡辺さん。年齢を重ねた今、趣味の剣道に熱中しています。
中学・高校時代に剣道をやっており、55歳の時にTBS『炎の体育会TV』の企画で再び剣道をやり始めたところ、趣味にまで発展し、56歳の時に四段を取ります。それから4年待って、60歳の時に五段を取り、また5年待って65歳の時に六段を取ったのだそう!実は、剣道ではすぐに次の段を取ることができないそうで、その理由は、待っている数年の間で練習を積み重ね、人間的に成長するためなのだとか。次は七段を取ることを目標にしている渡辺さんは、今も人間的な成長を積み重ねているのです。
長らく芸能界一筋で生きてきた渡辺さんですが、剣道を通じてそれとは違う目標や仲間が生まれたそう。仕事のことで悩むときも、剣道の方で発散できたり、コツコツ続けることで成長し、その成長している自分に気づくこともできたり…と、趣味の大切さを語ります。「人間、いくつになってもちょっと成長できる!」と力強く語っていただきました。まだまだ絶賛伸び盛り中の渡辺さん…今後のご活躍がますます楽しみですね!

 

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PLAYLIST
  • 「DOWN TOWN」
    EPO
  • 「夢の外へ」
    星野源
  • 「なにもの」
    King & Prince
  • 「START」
    JUN SKY WALKER(S)
  • 「熱海五郎一座TM」