Yuming Chord
松任谷由実
2021.06.11.O.A
♪Onair Digest♪
1972年にシングル「返事はいらない」デビューした時点で、私が「シティ・ポップ」の風上に立っていたことは、間違いないはず。
今日は“敢えて”のコード、「シティ・ポップと、ユーミンと。」です。


■今週のChordは“シティ・ポップと、ユーミンと。”

m1 12月の雨
荒井 由実

2枚目のアルバム、1973年リリースの『MISSLIM』から「12月の雨」をお送りしています。
私に、シンガーソングライターとして活動することをすすめてくれた、アルファミュージックの創設者、村井邦彦さんのプロデュースによる1枚です。
村井さんはその前の年、1973年にリリースした『ひこうき雲』を作るとき、セッションバンド、キャラメル・ママのメンバーと私を引き合わせてくれた人。このアルバムも、ティン・パン・アレーと名前を変えた彼らとともに制作しました。
ご存知の方も多いとは思いますが、キャラメル・ママのメンバーは細野晴臣(b)、林立夫(ds)、鈴木茂(g)、松任谷正隆(k)。
そして、この『MISSLIM』のコーラスアレンジは山下達郎さん。彼が所属していたシュガー・ベイブのメンバー、大貫妙子さん、(※シュガーべイブは1973〜76活動。1975年に唯一のアルバム『SONGS』リリース)さらに、ピアノやコーラスでセッションミュージシャンとして活躍していた鈴木顕子さん、(のちの矢野顕子さん)、73年にアルバム『扉の冬』でデビューした吉田美奈子さんがコーラスに参加してくれています。
こうして、アルバム『MISSLIM』に関わってくれたミュージシャンたちを並べると、「シティ・ポップ」といわれる音楽の源流ともいえる面々がそろっていたことが、改めてわかりますよね。

世界的な規模で「シティ・ポップ」ブーム、なんて言われている昨今ですが、当時も、そして今も、私自身が自分で自分の音楽をラベリングすることは、ないんです。
でも、私がムッシュ、こと、かまやつひろしさんのプロデュースで、1972年にシングル「返事はいらない」デビューした時点で、私が「シティ・ポップ」の風上に立っていたことは、間違いないはず。
そんなわけで、今日は“敢えて”のコード、「シティ・ポップと、ユーミンと。」、です。

まさに今、注目を集めて再評価されている日本のシティ・ポップ。
共通しているのは、70年代初めから80年代にかけて、洋楽を聴いて育ってきた東京出身、東京在住のミュージシャンが作った音楽シーン・・・。そんな認識でしょうか。
ちなみに私の実家は東京・八王子。都心とはほどよい距離にある郊外で、かえって、当時の都会を俯瞰で冷静に観察していたのかも。

シティ・ポップにまつわる話で私がいつも思い出すのは「ボサノヴァ」のなりたち。
“新しい感覚”という意味のBossaNovaは1950年代のブラジルで生まれた、モダンで洗練された音楽。それを作って広めたのは、都会のリオ・デ・ジャネイロに暮らしていた、中産階級のスノッブな若者たちでした。
彼らが影響を受けたのは、やっぱりジャズ!
つまり、そんなボサノヴァと同じように、日本のシティ・ポップもまた、”ライトタイム・ライトプレイス”、然るべき時に然るべき場所で生まれた音楽。だから、私がそこに居たことが、すべてだったんだと思います。
ちなみに『MISSLIM』は、シティ・ポップが市民権を得た、最初のアルバムと言ってもいいんじゃないでしょうか。そう、自負しています。

続いては、私自身も大好きな1982年のアルバム『PEARL PIERCE』からオープニングチューンを。「ようこそ輝く時間へ」。


m2 ようこそ輝く時間へ
松任谷 由実

『PEARL PIERCE』は1982年6月21日にリリースされたアルバムで、当時、アルバムの中の歌詞カードがブックレットになっていて、イラストを安西水丸さんにお願いしました。これも機会があったら見て欲しい!
シティ・ポップと呼ばれるレコードは、ジャケットやアートワークも都会的でした。(FM雑誌の表紙でもおなじみだった鈴木英人さん、グラフィックデザイナーの永井博さん、などなど)。
ちなみに、私の1978年リリースのアルバム『流線形'80』は矢吹申彦さんでした。

続いては、1979年のアルバム『悲しいほどお天気』から、「影になって-We're All Free-」。


m3 影になって-We're All Free-
松任谷 由実

このアルバムは私小説のような1枚にしよう、と作ったもので、英語のサブタイトル(「The Gallery in My Heart」)がついていて、収録されている曲の全てにも、英語のタイトルがついています。
これ、今でこそ珍しくないですけど、当時は画期的なことだったんですよ。「緑の町に舞い降りて」だったら「Ode of Morioka」みたいなね。

続いては、1983年のアルバム『VOYAGER』から1曲、お送りしようと思います。
1983年に日本で最も売れた洋楽のアルバムは、映画のオリジナルサウンドトラック『フラッシュダンス』。フリオ・イグレシアスの『愛の瞬間』やマイケル・ジャクソンの『スリラー』など。
世界でヒットしていた曲はアイズレー・ブラザーズ「ビトウィーン・ザ・シーツ」、デヴィッド・ボウイ「レッツ・ダンス」、ポリス「シンクロニシティ」など。

そんな1983年、私は2月にアルバム『REINCARNATION』を発売したあと、3月1日から3日までの3日間、苗場の「SURF & SNOW in Naeba」へ。そして、3月25日から4月7日まで、「ワンダフルムーン・コンサートツアー」を全国10か所で開催しました。これはアルバム発売ライブではなく、シティ・ポップ界で活躍中の二人、杉真理さん、須藤薫さんと共に。
7月2日は「SURF & SNOW in 逗子マリーナ コンサートVol.4」を開催。その後、7月6日から翌年2月にかけて、『RINCARNATION』コンサートツアー全国60カ所へ。
その間、12月1日に『VOYAGER』を発売して、さらに、12月24日・25日には「新さくら丸クリスマス・コンサート Vol.1」を開催しました。
働きすぎですね!

では、1983年リリースのアルバム『VOYAGER』から「ガールフレンズ」。


m4 ガールフレンズ
松任谷 由実

今日は、「シティ・ポップと、ユーミンと。」というコードで、荒井・松任谷由実的シティ・ポップソングをお届けしました。
そして、まだまだ、聴いてもらいたい曲がたくさんあるので、来週も引き続き、私流のシティ・ポップをセレクトしてオンエアします。
1970年代から最新・2020年代まで、極上のシティ・ポップ!お楽しみに。

そして、エンターテインメントの灯を、守りたい、そんな思いを胸に、最新アルバム『深海の街』ツアーを秋からスタートするために、準備を始めているところです。

そのほか、私の最新情報や近況は、私の公式ホームページツイッターインスタグラムなどでお知らせしています。
ぜひ、チェックしてみてくださいね。



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