今月ご乗船いただいているのは、GLAYのTAKUROさんです。

第5回目の旅先は、「ロンドン」についてお話を伺いました。


ー ”俺は俺で、このバンドにやれることを信じて頑張るしかない!”そういう気持ちになりますね ー



干場「ロンドンはこれまでに何度も訪れているということですよね」

TAKURO「10回以上は行ってますね。函館という小さな街でビートルズに出会い、自分も音楽家を志していたので、ロンドンという街には思い入れがありまして。最初は1995年くらいに仕事で行ったと思うんですけど。
リバプールから出てきたビートルズがロンドンで勝負をするんですけど、”それがこの街か!”なんて言って、聖地に来たというような感じでした」

干場「そうだったんですね」

TAKURO「”函館から東京に行って勝負する”、それと似たような気持ちを持ってビートルズも来たのかなって、自分たちと重ね合わせたりして。
思い入れたっぷりで行って、それに何の矛盾もなく答えてくれたロンドンのすごさに感激しました。歴史、文化、ロンドンの人たちの佇まいもかっこいいし」

干場「かっこいいですよね!」

TAKURO「当時は、ケンジントン・マーケットというパンクが発祥したというエリアがあって、そこに一番最初に行ったんですよ。
右腕に一個だけ『yes』というタトゥーがあって、それはケンジントンで入れたんですけど…デビューして2年、なかなか芽も出ず自分たちの音楽を信じていいのか揺らぐことがあって。
”これではダメだ”という、ジョン・レノンがオノ・ヨーコに初めて会った時に見たという『yes』というメッセージ、これを自分の見えるところに入れておこうと思って腕の部分に入れたんですけど。それをまずやろうと決めていたんですね」

干場「最初から決めていたんですね」

TAKURO「でも、やっている最中に、親にも申し訳ないような気もするし、取り返しがつかないことをしてるんじゃないかと思ったり……”俺はGLAYで頑張るんだ!”っていうようなことを考えて」

干場「決意表明なんですね」

TAKURO「挫けそうになったら、見えるところにその文字があるわけだから。あの時の気持ちを思い出してもう一回頑張ろうって」

干場「それは今でもそうなんですか?」

TAKURO「今でもですね。バンド20年やってると色々あるけど、今でもバンドの絆を固く結んで前に進んでるメンバーの姿を見ると、
”俺は俺で、このバンドにやれることを信じて頑張るしかない!”そういう気持ちになりますね」

干場「素晴らしいですね」

TAKURO「あの頃は”売れなければダメなんじゃないか”、”誰かのような音楽を作らないといけないんじゃないか”とか悩みの中にいたけど、ケンジントンで『yes』と入れた時から、自分の心のままに、メンバーと描いた夢に対してだけ誠実であれば、あとはどうなっても幸せじゃないかと思えた街がロンドンですね」

干場「ロンドンの中で、TAKUROさんが魅力に感じた場所や風景はどこですか?」

TAKURO「やっぱりハイド・パークにつきるかな。ビートルズ好きとして、ギターを持ってバンドを始めて、ビートルズに憧れて東京に来て……東京に来た時にビートルズの詩集1冊と数枚の服と、ギターを持ってきたんですけど。そういえば、ハイド・パークに手紙を埋めたことあるんですよ」

干場「ええ!(笑)」

TAKURO「知り合いのヘアメイクさんに、『子供が生まれる前に、まだ見ぬ子供に手紙を書いて埋めてきたんだ』っていう話を聞いて。俺、結婚の予定もないのに『じゃあ!』って言って(笑)。タイムカプセルみたいなものですね」

干場「じゃあ、埋まってるんですか!」

TAKURO「埋まってると思います。その時の『ここに埋めまーす!』っていうような映像を撮っていたので、でも、今は再生する機械がないですね(笑)」

干場「今日は大晦日なので、TAKUROさんの来年の抱負なども聞かせてください」

TAKURO「2月にツアーがあって、ソロアルバムを出して初めて自分の名前で旅をするんですけど。
そのツアーを皮切りに、60、70歳になっても、ギターを手放さず、街の小さなジャズクラブでも、ブルースバーでもいいんですけど。
このアルバムたちの曲を可愛がりながら、演奏しているギタリストになりたいなぁっていのが、このアルバムを作って最初に描いた目標であり、夢ですね」

干場「素敵ですね」

TAKURO「今よりももっと、芳醇なコクのある音で弾いてられたらなと思います。それの出発が来年のツアーなので、長い長い旅になりそうです」

干場「では、TAKUROさんの人生において、旅とはどんなインスピレーションを与えてくれるものでしょうか?」

TAKURO「旅は、今の自分の心を図る尺度みたいなところがありますね。同じ風景を見ても、20代の時に見た印象と違うので。
どの街に行っても、その街、人に対するリスペクトが年をとるごとに増えていくから。ここまで、その街と歴史文化に対してリスペクトを持って接せられるということは、俺もちゃんと成長出来てるんだなと感じることができますね。
それをいつでも、自分の心に言い聞かせてくれる、それが旅のような気がします」

『GLAY公式サイト』


「保木久美子のクルーズ情報」

保木「日本発着を始めたダイヤモンド・プリンセスは、来年5年目を迎えます。
来年は、30代〜70代までの素敵な女性にアンバサダーになっていただいて、萬田久子さんや、美容生活アドバイザーの佐伯チズさん……5人の女性たちが、それぞれの新体験ということで、プリンセスクルーズのアンバサダーになりました。

なので、女性目線でいろいろ発信してくれるんじゃないかと思います。
このあいだプレスリリースに行きましたけど、佐伯チズさんは、学生時代から仲良し3人組のお友達とワイワイと船に乗りたいと言ってましたね。
萬田久子さんは『船の上で本を書いてみたい』と、そんなことを言ってました。
30代〜70代の、いろいろなお仕事をしてらっしゃる方にクルーズの旅を発信していただけるっていいことだと思うんです。
来年、このコーナーでは色々な情報を発信していきたいと思うので、どうぞよろしくお願いします」

今月ご乗船いただいているのは、GLAYのTAKUROさんです。

第4回目の旅先は、「チェコ・プラハ」についてお話を伺いました。


ー 曲のモチーフっていうのは旅の中でしか生まれてないのかもしれないですね ー



干場「プラハには、いつぐらいに行かれたんですか?」

TAKURO「2009年にミュージックビデオの撮影でも行きましたし、90年代には作家の友人と行きました。明川哲也さん、当時はドリアン助川って名乗っていたんですけど。
彼が、『ベルリン発プラハ』という小説を書いて、その小説に感動して、”じゃあ、その通りに行ってみる?”っていうこともあって。まずベルリンに行って、そこから電車に乗ってプラハに行ったこともありますよ」

干場「どんな印象でしたか?」

TAKURO「東欧は、どこもいろんな歴史があるじゃないですか。おばあさんの冗談で、『私は一回も引っ越してないけど、住所は4回も変わったわ!』っていう。
王政が変わるたびに、国も変われば自分ところの住所も変わるけど一回も引っ越しをしてない…すごくいろんなものを含んだ冗談ですけど。2009年と90年代に行ってるんですけど、90年代は社会主義の色が濃かったのかな?街に、看板がほぼなかったですね」

干場「え!そうなんですか」

TAKURO「いわゆるファーストフードとか、企業の看板みたいなものはほぼないですね。だけど、2009年の時は増えてた気がする。
資本主義の波も押し寄せてきてたんでしょうね。そういった街の変化も感じましたね」

干場「メンバー、マネージャーさんも行かれた時は、どんな過ごし方をするんですか?」

TAKURO「ミュージックビデオをプラハに撮りに行って、1本目はプラハの街を存分に生かしたミュージックビデオだったんですけど。
もう一本は室内だったんですよね。室内で撮りながら、”朝早くから撮ってるけど、これは日本でも良かったんじゃないか?”っていう(笑)。
もちろん監督にこだわりがあるから従うんですけど」

干場「そうですか(笑)」

TAKURO「仕事が巻いて、1週間くらいの滞在が3日くらいで終わったんですね。メンバーの誰かが、『一泊だけバルセロナ行こうぜ』ってなって。メンバー全員で行って、夜にレストランで食べていたらフラメンコが始まったんですよ。
うちのボーカルのTERUさん、根っからのショーマンなのか飛び入りしたんですよ(笑)」

干場「ええ!」

TAKURO「ダンサーさんとかに気に入られちゃって『おまえ、リズム出せるか?』って言われて、『出せる!』って言うから、コンガみたいな箱を渡されて。ダンサーが踊る後ろで、TERUがひたすら閉店までドラムを叩くっていう(笑)」

干場「すごいですね(笑)」

TAKURO「次の日起きたら手がすごい腫れてるんですよ(笑)」

干場「旅先で曲を作られることもあるんですか?」

TAKURO「旅先がほとんどじゃないですかね。スタジオや家はまとめる作業が多いですけど、家を一歩出て、ちょっとした散歩もある意味旅だと思うんですけど。
小説や映画や、音楽から受ける影響よりも、旅の中で心が動いた瞬間が曲はできやすいので。
だから、曲のモチーフっていうのは旅の中でしか生まれてないのかもしれないですね」

『GLAY公式サイト』



”MSCマニフィカ - アドリア海クルーズの旅 参加リスナーさんの体験リポート”
『クルーズ最高でした。乗り換えもなく、手荷物も少なく、セキュリティもしっかりしているので断然安心で楽でした。
船内はカジュアルな雰囲気で、気後れしない、親しみやすい雰囲気。フォーマルナイトも2回ありましたが、日本人の方は着物の方もいました。
帰って来てからは、”アドリア海クルーズはオススメだよ!”と、クルーズ親善大使をしております。とても楽しいクルーズとなりました、ありがとうございました』


保木「クルーズって言うと、堅苦しい、毎晩タキシード着てるっていうイメージがある方も多いと思うんですけど。
マニフィカくらいのクラスになると、正直言ってカジュアルなんですね。ネクタイしている方も少ないので、わりと気軽に乗れる船じゃないかと思います。
着物は外国の方に喜ばれるんですよ。”一緒に写真を撮って”というリクエストが多いので、着物を着られる方は、行かれる前に写真を撮られる練習をしておいたほうがいいと思います(笑)」




今月ご乗船いただいているのは、GLAYのTAKUROさんです。

第3回目の旅先は、「アイスランド」についてお話を伺いました。


ー そこで歌われていることは、何もかもがアイスランドの思い出ですね ー



干場「アイスランドはいつぐらいに行かれたんですか?」

TAKURO「1996年、メンバー4人で撮影が目的で行ったんですけど
アルバム1枚、シングル3枚、写真集、雑誌3誌、ミュージックビデオ2本、計10本の仕事を10日間でという(笑)」

干場「めちゃくちゃじゃないですか(笑)」

TAKURO「当時の俺たちの勢いを感じてもらえる、そんな旅だったんですけど(笑)。
なぜ可能かと言うと、この頃のアイスランドは6月くらいだったかな?白夜だったんですよ」

干場「だから、それだけの仕事ができるという(笑)」

TAKURO「3日目くらいに、”みんなで逃げよう”っていう話になりましたね(笑)」

干場「大変だったんですね」

TAKURO「飛行機降りたら寒くて『これ、北海道人でもきついな』っていう寒さでした」

干場「食べ物はどうだったんですか?」

TAKURO「北海道よりも寒いところだったので味付けが濃かったんですよ。
でも、それが体には必要なんですよ。1日仕事して入ったレストランで飲むスープの塩辛さが、すごく体に染み渡るんです」

干場「なるほど」

TAKURO「そのレストランで、坂本龍一さんの『Merry Christmas Mr.Lawrence』がかかったんですね。
その時に、日本から遠く離れた場所で、日本人のメロディが流れるということに感動して。嬉しいやら、誇らしいやら、それも塩辛いスープとともに、すごく思い出深いです」

干場「アイスランドの風景や思い出で作られた曲とかもあるんですか?」

TAKURO「僕らのふるさとの北海道も、そうとう長い一本道ってあるんですよ。
だけど、アイスランドはそれを超える遥かなる大地で…冬の厳しさ、春を待つ人々の気持ちみたいなものが、現地のクルーと話していて感じられて。
そこで生まれた曲が、後々、GLAYの人気曲となるんですけど『春を愛する人』です」

干場「そうだったんですね」

TAKURO「そこで歌われていることは、何もかもがアイスランドの思い出ですね。
白夜とはいえ、夜になると少しだけでも星が出るんですよ。太陽も沈まないままあるんだけど、昼間とは違う表情を見せたり、大地のたくましく生きる人達のコントラストも眩しくて。
僕らは20代中盤で、18歳までは親元にいて、東京に夢を持って出て来て…世の中の厳しさを感じながら、実際に仕事をして、その仕事の大変さも肌で感じてるアイスランドで、曲ができる要素がてんこ盛りだったんですよね」

干場「素晴らしいですね」

TAKURO「そこで生まれた曲は今でも愛されていて、”歌が生まれる瞬間はこうであるといいな”という、自分の指針になったかな。
”こういうような歌を、たくさん作っていけたらな”っていうのかな、自分の気持ちと誰かの気持ちがシンクロして、そこに様々な土地土地の要素が相まって生まれてくる。これが、”いま一番自分がやりたかったことかもしれない”そういう感触を得られた曲ですね」

『GLAY公式サイト』

「クルーズ情報」

保木「面白いニュースを見つけたんですけど、中国四川省、内陸で豪華客船タイタニック号の実物大の模型を作るんですって。
実際に工事が始まっているんですよ。

海の上ではなくて、近くの川の貯水池にこの船を浮かべて置くそうなんですよ。
全長が269メートル、幅が28メートルあって、実物のタイタニックと内装を真似て、総工費が10億人民元、約165億円ですね。
2年経って完成予定とのことですが、タイタニックって沈没しちゃったじゃないですか?
誰も完全な設計図を見てないそうなんですよ。断片的にコレクターが集めてたりするんですよ。
ここに来るまでは時間がかかったと思うんですね。

カナダのハリファックスというところが、タイタニック号が沈没して、一番遺品が流れ着いた街なんですけど。
そこに行くと、当時使っていたお皿とか、家具とか、ビールの瓶が展示されているんです。
タイタニックっていうのは、昔の良きロマンが詰まっているような気がしますね」

今月ご乗船いただいているのは、GLAYのTAKUROさんです。

第2回目の旅先は、「北海道・函館」についてお話を伺いました。


ー 子供の頃の船の旅っていうのは、強烈な印象を残しましたね ー



干場「TAKUROさんは函館のご出身でいらっしゃいますよね。何歳くらいまでいたんですか?」

TAKURO「18歳ですね。函館を出て東京に来て、そこらかずっと東京です。
今でも、”帰りたいな〜”と思うことは沢山ありますね」

干場「どんなシーンで思いますか?」

TAKURO「一番はモノづくりに行き詰まった時ですね。GLAYがデビューしたのが、僕が22歳くらいで。それまでは、函館で培ってきた音楽的な貯蓄が豊潤にあったんでしょうね。
自分の成長と、後ろにある原風景を重ね合わせた音楽が、GLAYの大きな魅力となって世に出られたんだけど。ずっと東京にいて、函館ほど季節を感じられてないから、どんどん貯金を切り崩してる気は10年前くらいから5年くらい前まではしていて」

干場「そうだったんですね」

TAKURO「”これは一回帰らないと作れないな、まだ何者でもなかった自分に心をリセットしないと無理だな”ということで、10年くらい前に函館に仕事場を作って。
大きな決断をする時とか、モノづくりをする時とかは、函館に帰ってGLAYの今後を考えたり、曲のモチーフを固めたりっていうのはありますね」

干場「生まれ育ったふるさとは音楽制作に反映されると思うんですけど、函館とか北海道を思い浮かべて制作された曲ってあるんですか?」

TAKURO「GLAYの中でたくさんありますけど、一番支持されたのは『Winter,again』っていう曲で。
これは北海道に住んでいた人なら、”なるほどな”っていう、まったくオシャレでもなければキラキラした歌ではないんですけど。
メンバーに聴かせても、『函館の冬ってこうだよね』と最初に言ってくれた曲です。
音作りをしている時に、いい音が決まらなくて悩んでて、ギターの人たちに『国道の11月くらいの初雪みたいな感じ』って言ったら、『ああ、なるほどね』って言って、その音出したんですよ(笑)。
あの寒さを譜面に起こせって出来ないですもんね。そういう意味では、すごいバンドのメンバーとの共通項によって、いい曲になるっていうことが多くて。それは本当に助かってます」

干場「TAKUROさんは、青函連絡船に沢山の思い出があるとお聞きしました」

TAKURO「青函トンネルが出来るまでは、本州を結びつけるものが青函連絡船ということで、本州の親戚のうちに遊びに行くときは青函連絡船から青森まで行って、そこから夜汽車に乗るという…青函連絡船の思い出はたくさんあります。
こないだ資料を読んだら、80年間の間に1億6000万人くらい運んだらしいんですね」

干場「すごいですね」

TAKURO「3日間止まると北海道の物流が滞り、物価が3倍になるくらい、それくらい重要な生命線だったというのを聞いて。
改めて、すごい重責を背負っての航行だったんだなと思いましたね」

干場「ちなみに、どのくらいかかるんですか?」

TAKURO「4時間くらいですね。昼間の時間帯だったら、表に出てカモメも一緒に付いてきてみたいな。
綺麗に言うとタイタニックの世界ですね(笑)」

干場「周りは波が高いイメージがあるんですけど、揺れはどうなんですか?」

TAKURO「日本海から太平洋側に強い潮の流れがあるので、津軽海峡は快適な旅の時もあれば、そうでない時も多いですね。慣れてしまえば楽勝ですけど。
あの時の経験があるから、いま船酔いは全くないですね。子供の頃の船の旅っていうのは、強烈な印象を残しましたね」

『GLAY公式サイト』





「以前、両親がクイーン・エリザベスの船旅を経験しています。
部屋のランクによって、使用するレストランが違うと聞きました。そのような区分けはあるのでしょうか?」


保木「日本人には馴染みの深い、クラシックなクイーン・エリザベス。
ここは伝統を受け継いで、昔ながらに、いいお部屋に泊まられた方には専用のレストランがあって、ランク分けされているんですね。

その代わり新しいサービスも始めていて。例えば、犬を連れてお部屋で一緒に過ごすことはできないんですけど、船の中にケンネルを備えて、専用のスタッフが犬のお散歩をするようなサービスも始めたり、新しい試みもたくさんあるんですね。

ただ、やはり歴史も長く、イメージがとってもクラシックなクイーン・エリザベス、キュナードの船にはいいお部屋に泊まられた方専用のレストランがあります。なんとなく、船旅ならではっていうところはありますよね。
最近の船は、ほとんどが区分けされていないんですよね。一番高いお部屋に泊まっている方も、インサイドのお部屋に泊まっている方も、使えるレストランが一緒である場合がすごく多いので、気軽に船旅を楽しんでいただけるんじゃないかと思います。

キュナードの船はドレスコードもきっちりしているので、それを楽しみたい方はおすすめの船です。日本人にはすごく人気なんですよ」

今月ご乗船いただくのは、GLAYのTAKUROさんです。

第1回目の旅先は、「アイルランド」についてお話を伺いました。


ー ウィスキーに関してはアイルランドに教えてもらいましたね ー



干場「TAKUROさんは、今月14日に『Journey without a map』というソロアルバムをリリースされますが、旅自体はもともとお好きなんでしょうか?」

TAKURO「旅は好きですね。20代の頃は、1週間休みがあると行き先を決めないで成田に行ってました。
成田に行って、一番最初に乗れて、自分に興味のありそうな国にチケットを買ってそのまま行くっていう無茶なことをしていました(笑)」

干場「ものすごい無謀じゃないですか!(笑)」

TAKURO「寒いのか暑いのかも分からない、だいたいジャケットとTシャツを持って、どっちにも対応できるようにして。
そういう旅をするのが好きで、20代だし、怖いものないし、独身だったから…今は絶対にできないですね(笑)」

干場「今日はアイルランドのお話を聞いていきたいんですが、3週間かけて車で旅をされたと伺いました」

TAKURO「2000年くらいだったんですけど、長期の休みをいただけるということで。
もともとアイルランドの音楽、ロックのU2とか、Thin Lizzyとか、そういったバンド以外にも、民族音楽のケルトが好きだったので行ってみようと思って。3週間の車の旅の中でパンクしたんですね、そこから車を押してガソリンスタンドに行ったんですよ」

干場「押してですか…」

TAKURO「『パンクした』と言ったら、OKと言って1時間くらいかけて直してくれたんですね。
当然、お礼のお金を払おうと思ったら『こんなの朝飯前だから、大丈夫』って言われて、”悪いよ”と言うと『じゃあ次、お前が困った人を見たら助けてあげな。それでいいよ』って言われた時にめちゃくちゃ感動して、そこからしばらく泣きながら運転しました(笑)」

干場「いい人に出会いましたね」

TAKURO「嬉しくて、2週間以上1人っきりで心寂しかったのもあったんでしょうね(笑)。
困った人見たら、絶対に助けるって誓いました」

干場「この時によく聴いていた曲とかあるんですか?」

TAKURO「U2のアルバムの、『All That You Can't Leave Behind』という、僕が全キャリアの中でも1番好きだと言えるアルバム。3週間それしか聴いてなかったですね。
U2の出身がダブリンということもあり、当時まだCDだし、レンタカーにCDプレイヤーがついてなかったので、自分でCDプレイヤーと小さいスピーカーを買って、助手席に置いてずっとリピートしていました」

干場「そうだったんですね」

TAKURO「それで、地図見ながらなのに迷ったんですよ。どんどん日が暮れてきて、”やばいな、宿も見つけていないし、このまま山の中で一晩とか大変だな”と思って。迷って迷って丘を越えたら、金色の海だったんですよ。
その時にU2の『Beautiful Day』がかかっていて、またそこで涙が落ちるっていう、けっこう思い出深いアルバムですね」

干場「アイルランドといえばウィスキーが有名ですけど、TAKUROさんも現地で飲まれたりしたんですか?」

TAKURO「ウィスキーに関してはアイルランドに教えてもらいましたね。
ブッシュミルズ、ジェムソンという僕の大好きなアイリッシュウィスキーなんですけど、車の旅をして、宿を見つけて近くのバーに入る。
俺、そこで小説読んでいたんですよ。そしたら、隣のやつが『何読んでるんだ?』って言うから、『日本の小説だよ』って、『これはなんだ?』と言うから、『漢字って言うんだよ』って。
『じゃあ、俺の名前漢字で書いてくれない?』って言われて、ピーターっていう名前だったんですよ」

干場「ピーターですか(笑)」

TAKURO「漢字を当てて、最後に『多愛(ター)』って書いて
『俺が思うに、お前はたくさんの愛を持っているから、その愛をたくさんの人に分けてあげた方がいいと思うよ。そういう思いで名付けられたんだと思う』とか、適当なことを言ってたら…そいつが『おーい!日本からフォーチュンテラーが来たぞ!占い師だ!』ってなって、店の奢りでビールとかウィスキーがバンバン出てくるんですよ(笑)」

干場「すごいですね(笑)」

TAKURO「俺の前に行列が出来て『俺の名前も漢字で書いてくれ』っていう人がいっぱいいて。もう成りきりましたよね、これも旅の縁かなって思って。
その時にお店からウィスキーの奢りがあって、そこで飲んだウィスキーの味が忘れられないですね」

『GLAY公式サイト』


「海のクルーズと、リバークルーズの楽しみ方の違い」

保木「基本的に海と川の違い、夜の景色が違うんですよね。
海のクルーズ、夜は真っ暗ですよね。お星様は見られるけど、景色は夜になってしまうと見ることができない。
でも、リバークルーズって、両岸の街並みの景色を楽しむことができるんですよ。
真っ暗な時もあるけど、木々の紅葉ですとか、街並み、夜景……。

今の時期、クリスマスマーケットが開かれているライン川あたりのリバークルーズはオススメなんですよ。
街が次々に出てくるので、チューリッヒだったり、ケルン、デュッセルドルフ……いろんな街を簡単に巡れるのがリバークルーズの利点ですね」