Dream Heart(ドリームハート)

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REPORT 最新のオンエアレポート

Dream HEART vol.301 成田緑夢さん

2019年01月05日

今週ゲストにお迎えしたのは、平昌冬季パラリンピックのスノーボードで金メダルを獲得されました、成田緑夢さんです。

成田緑夢さんは、1994年 大阪府大阪市のご出身。
小学校の頃からスノーボードの国際大会に出場するほどの実力を持っていて、
16歳の時には高難易度の技を決める技術を習得されています。
また、スノーボードと並行して行なっていたトランポリン競技でも、優秀な成績を収められています。

18歳からフリースタイルスキー男子ハーフパイプを始め、世界選手権の日本代表にも選出されます。
しかし、19歳の時にトランポリンの練習中の事故により、左足の腓骨神経麻痺という重傷を負ってしまいます。
そこから障害を克服し、ハーフパイプ競技に復帰。

2018年3月の平昌冬季パラリンピックでは、スノーボードクロスで銅メダル。
そして、スノーボードバンクドスラロームで金メダルという二つのメダルを獲得しています。

今週は、怪我からの復帰を経ての今について、お話し伺いました。




──新たなスタート

茂木:成田さんはもう見た目もカッコいいですけど、生き方もカッコいいですよね!

成田:いやいや、そう言っていただけて本当に嬉しいです。

茂木:パラリンピックから少し時が経ちましたけど、金メダル決まった瞬間はいかがでした?

成田:夢なのかな、みたいな感覚はありましたね。

茂木:3回目までものすごく攻めて滑っていて、ドキドキしました!
でも、その攻めの姿勢はずっと貫いてきたんですか?

成田:そうですね。それが僕のテーマなんです。本番でさえも挑戦するっていうスタイルでやってきたので。

茂木:そして、金メダルの瞬間にスノーボードは引退と。

成田:はい。そうなんですよ。僕が小さい頃に想像していた引退のイメージっていうのが、金メダル取って引退するか、レジェンドまでやって引退するかのどっちかで。
だけど、両方とも難しすぎて、ほとんどの人ができないことなんだろうな。まあできたらいいかなと思ってた僕がいたんですよ。

茂木:でも、出来ちゃいましたね。

成田:そうなんです!(笑)金メダル取れたってことは、引退すれば、これは最高の終わり方じゃないかって思って。

茂木:今度は陸上に挑戦されるとのことで。
しかも今度はオリンピックもパラリンピックも両方出ちゃうぞ、みたいな…すごくないですか!

成田:スノーボードのアスリートとしては一回引退して、リスタートっていうイメージなんですよね。
ゼロからもう1回新たにスタートするぞっていう感じです。
僕、パラリンピックとオリンピック、夏と冬、全部出たいっていう夢があるんですよね!
前回冬季で冬をゲットしたので、次はパラリンピックの夏をゲットして、その後にオリンピックも目指していけたらいいかな、という感じです。

茂木:今度は2020年の東京大会パラリンピック、陸上の走り高跳びでの出場を目指されているということで…本当にすごいですね!
子供の頃からスポーツ万能って言われてきたんじゃないんですか?

成田:僕は決して万能ではなかったんですよね。
運動会とかクラスで走っても、大体10番目とか。体育の成績もダントツで一位ってわけではなかったんですよ。

茂木:でも、金メダル取るってすごくないですか!

成田:研究好きっていうのもあるのかもしれないです。

茂木:また、お父様がすごい方なんですよね。ずっと子供の頃から色々指導されていて。

成田:そうですね。父が練習メニューとかを組んでずっとやってましたね。

茂木:ご自宅にトランポリンがあったという話を伺っているんですけど…。

成田:はい。屋上にトランポリンを設置して、そのまま朝起きて練習。学校行って帰ってきて、そのまま家の屋上に上がるとトランポリンがあって練習ができる、みたいな(笑)。

茂木:じゃあ、ずっと練習漬けだったんですね。辛い時とかはなかったですか?

成田:ありましたね。当時は僕がやりたいと思ってやってるっていうよりは、父を先頭にしてやっていたので、普通の小学生に一回はなってみたいな、ぐらいの感覚はありましたね。

茂木:学校でも有名だったんですか?

成田:スポーツ一家みたいな感じで、子供の頃も多少テレビ番組とかで取り上げてもらえた時もあったみたいですね。

茂木:拝見しました!1997年くらいにすでに取材されてますよね。あの頃から有名だったんですね。

成田:まあ、兄と姉もいたので…。

茂木:そういう意味でいうと、3人とも国際大会に出て大活躍されているわけですから、子育て成功ってことなんですかね。

成田:教育方法には賛否両論あると思いますけど、僕本人としては良いかなと思ってますけどね(笑)。

茂木:この後は競技に復帰されるまでのプロセスを色々お伺いしたいんですけども、一番すごいなと思ったのは、恐怖心って残らなかったんですか?

成田:そうですね…。でも、徐々にが大切だと思います。今までやってたことをいきなり出来るか、といったら多分出来ないので、先からの逆算じゃなくて今からの一歩みたいなものをプラスアルファしていくのが重要じゃないですかね。



──ワクワクの先へ

茂木:事故により左足腓骨神経麻痺、そして障害等級6の認定を受けられた後にスノーボードの選手として復帰されるわけなんですけど、またやろうっていう思いはどこから湧き上がってきたんですか?
SNSなどで練習の様子などをあげて、それに対してファンの方からいろんなコメントが来たのがすごく良かったって聞いてるんですけど…。

成田:はい。まさにそうで、それが僕の復帰のきっかけと言っても過言じゃないんですよね。
怪我をしてスポーツやりたくないな、みたいな感じになって、
それからはなんとなくオリンピックを目指すスポーツじゃなくて楽しいスポーツやろうかな、と思っていたんです。
その延長で大会にも出たら、たまたま優勝できたんですよ。それをSNSとかにあげたら
「僕も同じ障害を持っていて医者からそう言われたんだけど、緑夢くんくんのスポーツをやる姿を見て勇気をもらいました」とか、
「一歩を踏み出す気持ちをありがとう」みたいな言葉をもらった時に、僕がスポーツすることによってこうやって人に影響を与えることができるのかと思って。
これをもっと大きなものにしたら、もっとたくさんの人に影響を与えれるんじゃないかと思って、パラリンピック・オリンピックっていう目標掲げたんです。

茂木:そのやり取りがきっかけになったんですね。

成田:そうですね。

茂木:でも実際、我々は平昌の映像で本当勇気もらいましたからね。

成田:嬉しいですね!

茂木:パラリンピックには出たことも現場に行ったこともないんですけど、どんな場所でした?

成田:意外と、スタートポジションはいつもの大会と変わらないんですよ。スタートポジションは変わらなくてゴールのところだけちょっと違う感じですね。

茂木:どんな感じなんですか?

成田:ゴールの方がいつもより賑やかになってるので、ゴールに観客がいるじゃないですか。横サイドは入れないし、スタートエリアも入れないので、
人数感も規模感もいつもと同じ感じなんですけど、ゴールだけワー!ってなってることを想像できるから、ちょっと違うかなぐらいの感じです。

茂木:そして、今度は東京パラリンピックに出ることを目標にされているとのことですが、
リスナーの方も緑夢さんの言葉に勇気をもらってると思うんです。そのポジティブシンキングの秘密はなんですか?

成田:なんだろうなあ。でも、「今、幸せですか?」っていう質問あるじゃないですか。あれ、僕あんまり好きじゃなくて。
幸せですかっていう質問で、ハイ幸せですって言うよりも、僕がよく質問するのは「今、人生ワクワクしてますか?」っていう質問をよくするんですよ。
それが僕のテーマですね。幸せに目標をフォーカスを置くというよりかは、ワクワクにフォーカスを置いてる人生って感じです。
もちろん、幸せも重要なんです。安定だったり、無難だったりするけど、僕が人よりハッピー感が溢れる瞬間は、子供の頃に感じた「カブトムシを取りに行こうか!」みたいな、あのワクワクした感じなんです。
その延長に人生があるから、よりエネルギッシュでワクワクした感じなんじゃないでしょうか。

茂木:素敵すぎますね!






成田 緑夢 (@gurimunarita) | Twitter