Dream Heart(ドリームハート)

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REPORT 最新のオンエアレポート

Dream HEART vol.313 コメディアン・小松政夫さん

2019年03月30日

今週ゲストにお迎えしたのは、コメディアンの小松政夫さんです。

1942年、福岡県博多市の出身。19歳のとき、役者を目指して上京。
俳優座を受験し合格するも入学金が払えず断念し
その後、横浜トヨペットでトップセールスマンとなりますが
1964年、植木等さんの付き人を経て、日本テレビの「シャボン玉ホリデー」でテレビデビュー。

以降、数えきれないほど、テレビ、映画、舞台にご出演され、
「笑って!笑って!!60分」や「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」では、伊東四朗さんとのコンビで一世を風靡。
2011年には、日本喜劇人協会、第10代会長に選出され、現在も、ご活躍中でいらっしゃいます。

そんな、小松政夫さんにお話を伺いました。


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──ひょうげもん

茂木:さくら舎から出ました「ひょうげもん」というご著書なんですけど、面白いですね。
子供の頃から、お父様のこととか、どうやって東京に出てきたかとか…お父様はかなりユニークな方ですよね?

小松:ユニークというか、びっくり仰天、驚かされることばっかりですよ(笑)。
ほとんど、うちで口聞いたことなかったんですよね。男の代名詞みたいな人で、家に帰ってきたらむすっとして「飯」「風呂」「寝る」それだけしか言わない、まさにそういう親父だったんですよ。

茂木:はい。

小松:言うこと聞かないと、象牙のぶっとい箸で逆さまにして重たい方で“バシーン!”と、額に来ますからね。

茂木:一緒に釣りに行ったりとか?

小松:それでいて、釣りなんか連れていってくれるんですよ。私7人兄弟ですけどね、ひどい目に遭わされているんだけど、おふくろに言わせれば7人兄弟の中で、あんたが一番可愛がられたって言うんですけどね。
磯釣りに行って、小舟で行って磯に着いたらそこから飛び降りないといけないんですよ。荒波の時に行って、舳先に乗ってタイミング計って降りていくんですけど。
私は子供だから行けないので“トーン!”と思っておりたら、頭から岩に突っ込んだら、顔中牡蠣の殻でガサガサに切られたんですよ。
普通だったら「連れて帰りましょうか?」って言ってるんだけど、「いやいや、こんなもん何でもないよ」って、塩水を頭からかけられて(笑)。もうヒリヒリして、血だらけで一日中過ごしましたね。

茂木:大変でしたね(笑)。お父さんもそういう方でしたけど、小松政夫さんご自身も危険を顧みず飛び込んじゃうようなところがあったんですか?
というのは、著書の中で、のちにスタントをされた時にオートバイで突っ込んじゃったりされて「小松政夫はすごい!」って言われたみたいですけど、そういうところあるんですか?

小松:俺は、チャンスを得ようとか何とかじゃないですね。植木等が困ってたから、“よし、俺がやらなきゃしょうがない”と思ってやったんですけどね。

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茂木:度胸というか、“今がやる時だ!”っていうのはやっちゃうということですよね。

小松:そうですね、大概やりましたね。

茂木:当時、植木等さんも人気絶頂で主演される映画全部大ヒットでね、「日本一の無責任男」とか「スーダラ節」とかの歌も大ヒットしましたし。
お近くで見ててどうでしたか?

小松:真面目というか、家庭第一、酒は飲まない、夜遊びなんかしません、賭け事をするわけじゃない。

茂木:ご著書の中でも書かれているんですけど、当時のコメディアンは色んなキャラクターを作っていて。
植木等さんご本人は真面目なんだけど、映画の前だとあんなハチャメチャじゃないですか? キャラクター作りっていうのも、プロとしての大事なことですか?

小松:そうでうすね、今の人は自分がキャラクターなんですね。
私たちは、キャラクターをこさえたという自負があるんですね。だから、おじいちゃんの役、おばあちゃんの役、侍の役とか、全部モデルがいるわけですよね。

茂木:うんうん。

小松:キャラクターをいっぱい作るんですけど、今の人はキャラクターがなくなったら普通になっちゃうから。
それを素になった時にやる仕事がないんじゃないのかなと私は思うんですよね。


●ひょうげもん ― コメディアン奮戦! / 小松政夫 (著)

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来週も引き続き、コメディアンの小松政夫さんをお迎えしてお送りいたします。
お楽しみに!