Dream Heart(ドリームハート)

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REPORT 最新のオンエアレポート

Dream HEART vol.554 哲学者 國分功一郎さん 「やりたいことは、我武者羅に、しかし具体的なことを考えて情報を大切にしながらやる」

2023年11月11日

今夜は、10月14日(土)に、TOKYO FMの「スタジオイリス」で行いました、
番組の公開収録の模様をお届けします。

東京大学教授で、哲学者の國分功一郎さんをゲストにお迎えし、
アフターコロナに関することから、いま気になることまで、
話題が盛りだくさんのイベントとなりました。


國分功一郎さんは、1974年、千葉県のお生まれです。

早稲田大学政治経済学部を卒業後、
東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。

専攻は哲学で、現在、東京大学大学院総合文化研究科教授をされていらっしゃいます。

主な著書に『暇と退屈の倫理学』、『スピノザ 読む人の肖像』などがあります。


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──「意識」は「良心」から分離した言葉

茂木:國分先生から、リクエストのテーマがあると伺ったんですが。

國分:いいですか? 『意識』です。茂木さんの中心的テーマにいきなり切り込んですみません。

茂木:いえいえ。國分先生は、意識のどういう問題に興味を持たれているんですか?

國分:意識は、ものすごく世界中で盛んに研究されて、色んなアプローチがあると思うんですけど、僕はやっぱり、思想史的なアプローチなんですよ。
僕はフランス語をやってたわけなんですけど。僕がずっと疑問に思っていたのは、フランス語で『conscient』という言葉があるんですけど…英語だったら『conscious』ですね。『conscient』を辞書で引くと「意識」と書いてあって、二つ目に「良心」と書いてあるんですよ。僕は大学一年生でそれ見た時、たまげました。「フランス人って、意識と良心を区別してないの? どういうこと?」と思って、長年その疑問を持ったまま生きてきたんです。
でも最近、この研究を真面目にやってみたら、英語は『conscience』と『consciousness』で、「良心」と「意識」に区別があるじゃないですか。だから、「意識」の研究というのは、要するに『consciousness』の研究ですよね。それで、『consciousness』という言葉は17世紀に作られた言葉だということがわかったんですよ。

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茂木:あ、そうですか!

國分:そうなんですよ。つまり、英語でも区別はなかったんですね。ラテン語でも『conscientia』という言葉しかなくて、思想史を調べていくと、「良心」と「意識」のはっきりとした区別はなかったんですね。17世紀ぐらいに、要するに「良心」から離脱する形で「意識」というものができたということがわかってきて。
そうすると、“『意識』というものは、歴史の中である形で対象化されて、心の中から取り出されて、切り取られて、フレームアップされた”。要するに、“前近代だと「良心」と「意識」というのは、区別がなかった”というね。

茂木:実は『中動態の世界』を読みながらも、僕はそこら辺に一番感動してたんです。要するに、我々の思考が言葉に規定されてるという。
國分先生、それがね、最近のChatGPTなどの生成AIで、あいつらは次の言葉を予言してるだけなのに、色んなことを理解しちゃって…。例えば、Amazonのレビューの次の単語を予測をしているだけのAIなんだけど、レビュアーが怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか、反発を感じているのか、という、教えてもないことまで把握してしまう、と。
だから、『中動態の世界』は「言葉の構造の中に、我々の思考を提起しているものがあるんだ」というものが大命題だと思うんですけど、そのあたりは哲学から見ると、どうなんですか?

國分:僕は、「言語が人間の思考を完全に規定してるのかどうか」というのは、「ちょっと分からない」という立場です。ただ、「関係はあるでしょう」とは思っています。さらに、その概念の表れだと、例えば、ある時に『意識』という概念が出てきたんだとしたら、それはやっぱり人間の社会とか人間の生き方とかの、ある何らかの変化の表れだろうとは思いますね。だからまず、基本はこの“社会”というもの、“歴史”というものがある。そこの結果として、“人間の言葉”というものがある。…という、そういう立場ですかね。

茂木:これを一つ進めると、では、どういう条件が、英語で言えば「良心」と「意識」の分離を促したんだと思われますか。

國分:要するに、良心と意識が分離するということは…。「意識」というのは中立なものですね。「良心」とは価値を持っている、価値観のことですよね。簡単に言えば、“これは良い”“これは悪い”ということですから。
だから、前近代の人間の見方というのは、今の言い方と昔の考え方を混ぜた言い方をすると、「人間の意識というのは、必ず価値観を持っているはずだろう?」ということなわけです。つまり、どんな人間であっても、小さい時からある価値観を埋め込まれて生きてるわけです。価値観のない人間はいないんですよね。例えば、蛇を見て「気持ち悪い」と言うのも価値観です。「良心」と言うとちょっと高尚な感じがしちゃうけれども。
だから、どんな人間の意識も、必ず価値観と切り離せない形で存在してるという、具体的な人間の見方というものがあった。それに対して、17世紀ぐらいから出てきた、ある種の“科学的な見方”というもの、あるいは“法律的な見方”と言ってもいいですね。つまり、“意識を持った人間”という、非常に抽象的な存在を前提するようになった、ということじゃないかなと思います。

茂木:極めてエキサイティングですね!

國分:ありがとうございます(笑)!

茂木:我々は今、現在進行形の歴史の中にいるわけですから、今後もそういう概念の分離とか精緻化ということが起こるんでしょうか。

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國分:起こるんじゃないですかね。
そして、例えば今、茂木さんが仰ったChatGPTとかというのは、「これはすごいものだ!」と思ってると言うよりは、本当に哲学的に面白い問題をたくさん出してくれてるんですよね。

茂木:おお! 例えば?

國分:例えば、あれはものすごい嘘をついたりするじゃないですか(笑)。「ああいう仕方で言語を喋っていると、何で人間っぽく思えてしまうんだろう?」と。人間とは全然違いますよね。あれは要するに、言葉の用法を、猛烈な情報をディープラーニングと言うか、ビッグデータとして集めることで、インターネットの中で使っている言葉のノリに合わせることができてるわけですよね。「ノリに合わせてるだけで、なんでこんなに人間っぽく思えるんだろう?」という(笑)。すごく人間っぽく喋るのを見た時に、ちょっとびっくりしましたね。ちょっと気持ち悪かったです(笑)。

茂木:そうですよね。何か嫌ですよね(笑)。

──國分功一郎さんの『夢・挑戦』

茂木:この番組のテーマは『夢と挑戦』なんですが、哲学者・國分功一郎さんにとって、『夢・挑戦』は何でしょうか?

國分:僕は、ずっと具体的に考えようとして捉えてきたもの…つまり、「これをやりたいな」と思ったら、「どういうふうにするとできるだろうか」、「そしてそれができるようになっているというのは、どういう状態だろうか」、「どこに行くと、それについて手がかりが得られるだろうか」とか。だから『夢・挑戦』と言うと、なんかすごい我武者羅にやるようなイメージが付き纏いやすいと思うんだけど、その“我武者羅にやる”ということも、やっぱり色んな具体的な状況の中で、きちんと情報を入れてやらないと、うまくいかないと思うんですよね。
だから、我武者羅に、しかし具体的なことを考えながら、情報を大切にしながらやるっていう、それが僕にとってはずっと『夢と挑戦』でしたね。今学者をやっているのも、ある種夢があって、挑戦して、それになったということなのかも知れないんですけど。どちらかと言うと、そうやって色々「どうすればそれになれるかな?」ということを、考えながらやってきたと思います。

茂木:いつも具体的に、何か取り組んでいるものがあって。

國分:そうです。具体的というのが大事ですね。

茂木:今、直近で、具体的に取り組んでらっしゃることはありますか?

國分:一生懸命取り組んでるのは、庭木の剪定かな?

茂木:(笑)。でも、そこからまた哲学が生まれるかもしれませんね。

國分:生まれます。もう植物を触ってると、本当に生まれますね。

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國分功一郎 (@lethal_notion)さん 公式アカウント / X(旧Twitter)


國分功一郎 哲学研究室 公式サイト


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