2017.10
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参加レポート / 東洋大学 薩川拓也

今回未来授業では、松尾先生によるAI研究からの視点、山際先生によるゴリラ研究からみた視点、川村先生によるクリエイティブからの視点、などの様々な視点から「人工知能」を見ていくものとなりました。
しかし、今回お三方の授業を聞いて気づいたことがありました。それは、「人工知能」という一つの物を見ている過程で、三人ともまず「人間」を見ている…ということです。

たとえば、松尾先生の場合、人工知能の「知能」に着目していました。ですが、「知能」というものは動物には無く、機械にも無い、人間にしかないものとされています。では、この人間にしかない「知能」とは一体何なのでしょうか。松尾さんはこの知能を「予測能力」と結論づけていました。「予測能力」と聞いて「なんだそりゃ!」となるかもしれませんが、まったく難しい話ではありません。
もし目の前に食べられるかどうかわからないような「何か」があったとします。それが「食べられる!」とわかるには食べてみるしかありません。では、その時その何かを「リンゴ」という名前を付けたとき、目の前のリンゴを食べずとも食べられるものだ、と予測することができますよね。このことが松尾さんの「予測能力」です。難しいように見えて当たり前のことにも思えませんか?
一方、山際先生は「人間」ができることに「直観力・ひらめき」と話していました。人工知能にはデータをもとにしか動けませんが、人間は無茶なことでも直感的に動き、望みにかけて挑戦することが可能です。これも私たち人間が何も意識せずに行えている事ですよね。
2人の先生と同じように、川村先生も私たちが人間の意識していない部分の、「死・恋愛・金」が「人間」の唯一の部分と話していました。

このように3人の先生方はいろいろな視点から、私たち人間が「人間であるが故」に自然と行えているものを通して「人間」の部分、言い換えると人工知能の目指している「ゴール」を今回の授業で示してくれたと、感じました。
それを踏まえ、人間をゴール地点として人工知能を作るにあたって、そのゴール地点である「人間ができること」を理解することが、人工知能の発展にもつながるのではないかと考えました。たとえば、マラソンでもゴールがあることで、そこに向かって進む道ができ、そこへ目指して進む気力がでるというものですよね。しかし、「人間ができること」は3人の先生がそれぞれ別々なものを考えるように、1つが正解であると決められるものではないように感じます。
松尾先生も授業の中で「人とは何か、人間性とは何か、我々の目指す社会とは何か」を考えることが重要である、と話していました。私たちにできるのは常に人工知能の目指すような「人間」を考えつづけることにあると考えます。

東洋大学社会学部社会学科3年
薩川拓也

【東京会場】参加学生の声