ナゼ、なぜ、何故橙愛

最終話

「梅井くんと柳葉くんにはしたことがあったから、今度は杉本くんに落書きしちゃった!」
「そーなの? あ……そっか。昨日1時間できなかったからなぁ……サボったわけではないんだけどね?」
おじさんが来たから、できなくなっちゃったんだもん。
月曜日の放課後、家路を2人でゆっくり歩いて帰る。
「……で、何を落書きしたの?」
「それはね……」
もったいぶる和羽(かずは)。
「いいじゃん、教えてよ!」
「んふふ、紅ほっぺだよ!」
「そうかぁ……」
つい想像する。
面白い……。
けど、そんなことを考えている暇はないんだ。
とりあえず、家に帰ったら勉強しなきゃ。
杉本くんもなっちゃったし、まだ大原くんと三井くんの落書きも消えてない。
勉強、頑張らなくちゃ……。
今日も何だか頑張れる気がする!
「よーし! 目標時間増やしちゃうぞー!」
「増やしちゃう?」
「うん! ……1時間だけだけど、増やして目標時間を5時間に変える!」
「分かったよ!……じゃあ、ばいばい、翔愛(とあ)」
「じゃーね、和羽」

「さぁて」
今日も、土曜日に友達から教えてもらった勉強法をやるつもりだ。
1度やったドリル。自分で書いた答えの部分にシールを貼って、再び解く。その上にまたシールを貼って……。これを繰り返せば、ドリルを解く時間がどんどん速くなって、難しい問題もだんだんとできるようになっていく。
今考えれば、なんでこんな単純な方法、思いつかなかったのだろうか。
少し恥ずかしかった。
でも、教えてもらって知ることができたわけだし、それを上手く利用していかなければ。

今夜は眠くならずに、できそうだ。

その日、翔愛は7時間勉強することができた。
落書きは、2個消える。

電気が消えた部屋にたくさん貼ってあるポスター。
窓からの少しの月明かりで照らしだされたポスターの杉本はほっぺが赤くなっている。
少し辛そうにそれを見つめる翔愛。
ふと視線を外し、ベッドに潜り、翔愛は考えた。
「あれ?」
ここ数日、頑張ってばかりで考えることを忘れていた。
もう1度、疑問に思う。
なんで和羽が落書きすると、本人たちにも同じように……?
その疑問は大きくなって大きくなって。
明日、絶対聞き出す。
聞き出してやる!
翔愛は瞳を閉じた。

席に着いている和羽の元へ、早歩きで駆け寄る翔愛。
「どうした? 翔愛」
「実は、聞きたいことがあって」
「何?」
「今日は、誰の落書きを2個消してくれたの?」
「そう、大原くんと、三井くんのを」
「そうかぁ。今夜も頑張らなくちゃなー」
「そーだね、頑張ってね!……それで、聞きたいことって何?」
「それ、なんだけど。前言ったこと、覚えてる?」
「何のこと?」
「和羽が落書きすると、それが本当に本人たちにもなっている、ってこと」
「あ、覚えてるよ?」
「それさ、しつこいようで悪いんだけど……。そういう風になるカラクリを和羽は知ってるでしょ?」
「えっ……」
「ねぇ? どーなの?」
「……知ってるよ、知ってる」
俯く和羽。
「そーかぁ……。やっぱ、知ってるのかぁ……」

「翔愛……。知りたくないの?」
「それは……知りたいけど、今は聞かない。今夜も頑張って勉強して、杉本くんの紅ほっぺを消したらまた聞くから。今度はちゃんと」
「……うん」
「と、いうことで!」
翔愛は明るく振る舞った。
そして、踊るように自分の席へ戻っていった。

翔愛の心と頭の中はだんだん変化していた。
「落書きを全部消すことができたら……」という考えは、前までは全くできなかった。
すぐに聞きたがったし、そうでなければ落ち着かなかった。
だが今は違う。
「自分で蒔いた種は自分で摘み取る」
『クエスチョンズ』の落書きの原因はもともと自分。
今まで勉強をサボりにサボってきた自分がいけないのだ
それなのに、自分勝手に「聞きたい」「教えて」とは言えなかった。
1週間前と今現在ではもう全くの別人だと、翔愛は自分でも思う。
このあと、諦めるということがなければ……。

「おっ、まだ夕飯まで時間があるから、ドリルの間違っていた所を解き直そう!」
家に帰った翔愛は夕飯後に何時間も続けて勉強を頑張るため、PM4:30から6:00までの1時間半勉強をしたあと、お風呂に入った。
そして夕飯まで時間があると知ると、再び勉強を始めた。

翔愛は“スキマ時間”を上手く利用できるようにもなった。 その時間がたとえたった10分、5分だったとしても、単語帳の確認などをする。
今回の“スキマ時間”は30分だった。
これで勉強時間は2時間。
翔愛はなんとしても落書きを消したかった。
それに、カラクリを知りたい気持ちももちろんある。
だけど、やっぱり一番の目的は元の『クエスチョンズ』に戻ってもらうこと。
そのためにも、頑張るんだ。

「和羽ぁーっ! 落書き、全部消したよ、昨日、6時間やったから!」
「あ、……そうだね、全部消えたね」
「だから……お願い。カラクリ、教えて?」
「……わかった」
しかし、その時、運悪くチャイムが鳴った。
「昼休みに、教えるから」
お互い頷きあって、2人は離れた。

「じゃあ、教えるね」
「うん……」
「実は……」
和羽は全てのカラクリを話し始めた。

和羽には、不思議な力があった。
“思いこませる力”が。
例えば、和羽が梅井に、鼻毛を伸ばしたくなるよう念ずると。本当に梅井自身、鼻毛を伸ばしたくなる。
そして、それだけではなく、さらに自分で「結構イケてるのではないか」と思いこませてしまう。逆に思いこみを消すこともできた。
思いこむのは本人だけで、他人が見れば「どうしてしまったのか」という疑問を抱いてしまう。他のメンバーももちろんそうだ。
でも、鼻毛を伸ばしたくなったのは梅井自身の考えであり、それは一人ひとりの個性であるので、それを潰してはならないとメンバー内の暗黙のルールがある。
だから、メンバーは誰一人として否定しない。
ただファンは別だ。
「おかしくないですか?」「ちょっと……変えてほしいかも」などと書かれたファンレターがすぐ送られてくる。
他のメンバーを始め、マネージャーらは極力それを見せないようにはしているのだが、やっぱり本人の耳にも入ってしまう。
その本人は「イケている」と思っていたものが否定されてしまったので、ショックは大きい。
だが反面、初めて気付くこともある。
──僕たちは、見た目だけで応援してくれる人ができたの?
──僕らはモデルではないのだから、本当は見た目なんてどうでもいいんではないのか?
──歌う仕事をしているのだから……。
この1週間で、全メンバーがそう思っていた。

 最初、翔愛は和羽の言っていることが信じられず、しばらく動けなかった。
でも、ここ1週間の『クエスチョンズ』のことを思い出すと本当だろうし、何より和羽の言葉だ……。

「和羽……。ありがとう」
「え、どうして?」
「だって、そんなすごい力を、あたしのために使ってくれたから……」
「ううん、そんなぁ……。逆に……翔愛、ごめんね」
「えっ、何が?」
「翔愛自身にこの力を使って、勉強をする、と思いこませてもよかったんだけど、それでは意味がないと考えて、『クエスチョンズ』にしたんだー。でも、翔愛が勉強をサボっちゃってメンバーが変わるの……実は楽しんじゃってた」
「そんなこと、どうでもいいんだよ。だって、サボっちゃったのはあたしだし、そんなことよりもあたしが得たモノの方が多いんだもん」
「そうなの?」
「うん。……それが何なのかは今はわからないけど、これから生活していくなかでこの得たモノは絶対に生きてくると思うの」
「うん」
「だから、和羽、ほんとにありがとう。……っあ!」
 お礼を言いながらも、翔愛には別の疑問が蘇った。
「なんで部屋のポスターにまで、落書きされちゃうの?」
 和羽は一瞬驚いて、すぐにまた笑顔に戻る。
「……んふふ、翔愛は『クエスチョンズ』のことが、ほんとうに大好きなんだね!」

それから半年後。
翔愛に桜が咲いた。
『おめでとー!』
「ありがとう!」
和羽は今東京にいる。
だから電話での報告だ。
「……そっちは?」
和羽が自分から話さないので、「もしかしたら……」とつい思いながら、翔愛は和羽の結果を恐る恐る聞いた。
その声は暗かった。
『……番号が、見当たらない……』
「え……」
『落ちちゃった……』
「嘘……」
翔愛は下を向いた。
だがその時だった。
『……ウソっ!』
「え?」
『んふふ、ウソだよ! あったよ、ちゃんと』
「なぁんだ……、ビックリした」
翔愛は苦笑いする。
あまりの衝撃で危うく、伝えようと思っていたことを忘れてしまうところだった。
「和羽?」
『ん、なーに?』
「ありがとう」
『えっ、何? 急に改まっちゃって』
「だって、こうやって今喜べているのは、和羽のおかげだし」
『そんなことないよ』
「んーん、全然ある!だって、ポスター作戦で勉強を必死にやった、あのたった一週間で、すごくたくさん得たモノがあったんだから」
『そうなの?』
「そうだよ! だってほら、勉強癖はもちろん付いたし、集中力も前より断然アップした。それだけじゃなくて、コツコツと何かを積み上げていくことの喜びも学んだし。夜にだって強くなれたんだよ!ほんとに、得たモノがすっごくあったんだから」
『そっか。……翔愛、すごく努力してたからね。カラクリを言ったあの日からはもうあの作戦が意味無いくらい、毎日たくさん勉強してたもんね』
「もう必死だったからね」
2人とも自然に笑顔が漏れる。

ありがとう、和羽。
ありがとう、大原くん、梅井くん、柳葉くん、三井くん、杉本くん。
あのとき、和羽が考えて『クエスチョンズ』のメンバーが体を張って再現してくれた落書きはあたしの、人生という名の世界を大きく変えてくれたんだ。
あの落書きがなければ、あたしは今ごろ……
考えるだけで、怖くなってくる。
救ってくれたのは和羽。
そして、『クエスチョンズ』のメンバー。
ほんとうにありがとう。

とつぜんあたしは“受験勉強”という一本道に放り込まれた。
あのときは不安で不安でしかたなかった。でもそんなとき
となりを見れば、
かならず傍には和羽がいた。
ずっといてくれたね。
はしることしか、あの時あたしはできなかった。
のんびり行くことだってできなかったし、
ラクなことも決して無かった。
クルシかった、正直。でもね?
がんばれって和羽が言ってくれたから。
きっとそれがすごく力になったんだよ。

あたしは今、心から堂々と言える。

和羽も『クエスチョンズ』も、大好きだよ。

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最終話ナゼ、なぜ、何故

蒼き賞
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