アシタのアタシきつね

第3話

手癖で着けたテレビがうるさい。
お腹の真ん中へんがキリキリする。
リビングの誰も座らない3つ目の椅子が邪魔。
抱きしめたクッションの柔軟剤の匂いが嫌。
イライラする。
夜の仕事で朝まで帰って来る筈のない母を、あたしは待ち続けていた。
しかし、黙っているのも退屈で、チャンネルを回してはみたけど、
ちょうど特番の時期で、ありきたりで意味のないつまらない番組が流れていた。
でも、そうだ。気付けば、今日は「世界が終わる最後の夜」。
なんかこう・・・何かしなきゃ。
ということで、あたしは片付けをすることにした。
あたしたちの死後、始末をしてくれる人たちの負担を少しでも軽減する為に。
でもまぁ、うちってそんなに散らかってない。
物が少ないから。
あたしは、リビングを見回してみる。
テレビと机と椅子、机の上にリモコンや爪切りなんかが散らばっているだけで、
あとは壊れた扇風機と、積み上げられた4、5冊のファッション雑誌ぐらいしか、
視界に入らない。
それでも、他にやることも無くて、ビニール紐を出してきて、
雑誌を結わえて押入れにしまう。
押入れにも、あまり物は入っていない。
一度も使っていない布団や枕、着古した子供服がダンボールに詰められている。
それと、上段には何故か梱包用のぷちぷちが大量にあって、
その隣に水玉模様の箱がある。
なんだろと思って、押入れから出して床に置く。
もともと母の部屋だったこの部屋には、未だに母のクローゼットなんかが置かれていて、
きっとこの箱も母の化粧品か何かだろう。
帰ってきたら訊いてみようかな。
フローリングの床に腰を下ろして、自分の部屋を見回す。
いつも開けっ放しのドアの向こうにリビングが見える。
あたしの部屋も、やはり片付ける程に物はなく、そこから続くリビングの景色は、
なんだか女の家とは思えない程に殺風景極まりない。

なんてゆーか、憂鬱になるほど暇。

暴走するしかない。
走って椅子にジャンプ、机の上に立つ。
奇声をあげてみる。
体の奥が震えるくらいの大声で。
母に届くくらい甲高く。
キャーでも、アーでもない奇声は、
あたしを媒体に、何も無い部屋に響いて、あたしの耳に入る。
なんてゆーか、灰色の混ざった青。
そんな声だった。
きっと、あたしの口から、体から純粋な青の声が出てきて、
部屋で跳ね返って、あたしの耳に届くうちに灰色が混じったんだと思う。
多分そう。
大分、息切れしてきて掠れてきたとき不意にエンジン音が耳を掠める。
静かで低いエンジン音。
あたしは、小さな期待を胸に網戸に駆け寄る。

おかあさん。

母が帰ってきた。
車のドアを閉める手には、スーパーの買い物袋。
それも沢山。
車の鍵を口に銜えて、母が家へと向かってくる。
あたしは急いで外に出る。

「よーいしょ、あー重かった」
玄関に座り込んだ母の額にうっすらと汗が浮かぶ。
「どうしたの、これ。仕事は?」
あ、いけない。
佐藤みたくなってしまった。
えーと。
……。
「おかえり」
あたしは、玄関で息をつく母に言う。
「ただいま」
母は、当たり前であるかのように返す。
玄関に座り込む母を置いてキッチンに向かう。
荷物は案外重くない。
買ってきた物は、惣菜と酒が多い。
というか、野菜などの材料にあたる物は見当たらない。
「瑠璃ー」
母は、まだ玄関。
「ビールー」
「かしこまりましたー」
あたしは、ぬるくなったビールを母に差し出す。
「サンキュ」
カシュと心地よい音がして、ビールを啜る。
「仕事終わりじゃなくてもビールは旨い!」

そのまま、あたしたちはテーブルに着いて一息いれる。
「瑠璃、最後の晩餐」
不意にとてもにこやかな顔で母が言う。
「最後の晩餐がお惣菜?」
「食べれるだけ幸せってもんよ」
まぁ、いいや。
とりあえず食べるもんもある。
飲むもんもある。
目の前に母がいる。
それだけで幸せってもんよ。
「あ、そーいや」
水玉ボックスの存在を思い出す。
「あんたの化粧箱、押入れの中にあったよ」
あたしが部屋から一抱えほどの箱を持ってくると、
「あぁ、それ。中見てみ」
母は頬杖をついたまま口と眼だけ動かして言う。
乗っかっただけの蓋を外すと、
まず、あのセピア色の写真に写っていた男と同じ人が目に飛び込む。
「あっ」
お父さん。と言う前に、
「あたしの旦那」
にやりと不敵に母が言う。
なにやら、色々入っているが、
どうやらアルバムや日記やら父との「思い出」のようだ。
あたしは、セピアの写真を机の引き出しからあさってくる。
その写真は、1年前と変わらず色褪せていて口を大きく開けて挑発していた。
「ほら、これ」
あたしは、写真を差し出す。
母が手を伸ばすも写真はすり抜けて空を切る。
「あっ」
2人同時に小さく声を上げる。
あたしは、少し可笑しくて母の顔を見る。

一瞬。
ほんの一瞬、母の内に影を見た気がした。

母は床に落ちた写真を手に取り、語りだす。
「瑠璃が生まれる、ちょっと前。あたしが撮ったのよ」
再び見た母の眼に父への懐かしさと優しさを感じ取る。
「中指立ててるでしょ?」
写真の中の父は、「母」に向けて中指を立てている。
「これね、あんたに対してなんだよ」
は?
「え、なんであたしなん!?」
「羨ましかったって」
「いや、全然意味わかんないし」
「あたしと、ずっと一緒に居られて、独占できて」
あたしは思わず笑ってしまう。
「子供かっ!」って。
「あたしは、あの人が大好きだったなぁ。瑠璃は?」
「よく解んない。逢ったこともないし。でも良い人だと思う」
あたしは子供っぽい人って好き、何か犬みたいで。
そっか、と母は呟く。
「やっぱ瑠璃は、あたしによく似てる。……にも」
最後の方は聞き取れなかった。
でも多分、父の名前だろう。
そして、沈黙する。
母は、缶チューハイを開け一気飲み。
あたしは、すぐ酔ってしまうから開けるだけ。
母は、見ているのかいないのか、ぼぉーっとしていて、
あたしは、焦点の定まらない目で写真を見つめる。
変化なく滞りもなく過ぎてゆく母との時間―。

やがて惣菜をひとしきり食べ終えて、チューハイを飲んでいると沈黙が破られる。
「瑠璃、あたしが好きか?」
母は酔った様な口調で言った。
「……まぁね」
あたしは、ちびちびと飲んでいたチューハイを手に言った。
「あたしは嫌い、あんたのこと」
「なんで?」
「見てて腹立つ」
それから母は、あたしの優柔不断なこととか、嫌味なこととか、
挙句の果てに顔のことまで言い始めた。
「なんなん?なんで、そんなことゆわれなきゃいけないの?!」
あたしも酒が入ってきたからだろうか、熱くなって言い返す。
「あんたはね、変人よ。へんじん」
「あんたが、そうやって生んだんでしょうが!」
好きで生まれてきた訳じゃない。
「あーやだやだ。そうやって人の所為。あんたみたいな子だったら生まなきゃ良かったわぁ。子は親を選ぶって言うけど、なんでもっと良い子が来なかったかねぇ」
溜息をつく母に段々と怒りが込み上げてくる。
「あたしだって、あんたんとこなんて嫌だよ!金も無い、父も居ない、あんたは水商売!」
ほんの少し、母は、苦しいような、寂しいような顔をする。
「親に向かって、その口の利き方は何!?」
「出た、常套句。養ってます、親です。それが何?」
「はぁ?ふざけんな、お前なんか死ねっ!」
そうやって大人は逃げる。
みんな同じだ。
母も。
「死ぬわ!明日、てめぇと一緒に!」
「んじゃぁ殺してやるわ!」
「おぅ!やってみ。いつぞや父さん殺したみたいに。やってみ!」
母の顔は、みるみる紅潮する。
それでもあたしは止まらない。
「誰がてめぇなんかに世話になるかよ、独りで生きてけるわ!いまさら親面してんじゃねぇよ、ババァ!水商売!死ねっ」
母も負けじと声を張り上げる。
「生まれなきゃ良かったのに!腐った性格してっから、友達居ないの!!」
思わずあたしは、あのセピア色の写真を突き出す。
「だから、逃げられんの!!」
刹那。
写真をむしり取って、破り捨てる。
「あんたは、あたしが産んだんだからあたしの物なの!でも要らねぇ!!」
物。
物、物、物、物、もの、モノ、物っ!!!
「出てけっ!独りで生きてみろ!!帰ってくんな!!!」
あたしは怒り狂った「所有者」の眼を見ることなく、
黙って背を向けて、リビングを出て玄関へと向かう。
所有者は、呪いの言葉を叫び続ける。
酒を一気に飲み干した様で、グラスを勢いよく机に打ち付ける音が響く。
その音はまるで、あたしの手から滑り落ちたあの電話の音に、よく似ていた。
あたしは、家を後にする。
深夜1時過ぎ―。
夜の闇は、怒りに蝕まれることなく冷たかった。

あたしは、果てなき道をゆく。

なんて、格好の良いことは言えない。
しいて言うなら「夢遊病であるかのように彷徨う」だ。
あー、嫌になっちゃう。
奇声を出したくなる。
無性に叫びたくなる。
母を殴りたい、母の嫌がることをしたい。
母を「殺したい」と。
あの時、純粋に思った。
でも、そうしなかった。
出来なかった。
何か、あの口喧嘩には違和感が残る。
酔う前、母とあたしは似てると言った。
なのに、酔ってそんな娘を貶しめ始める。
意味わかんねぇ…。
意味わかんねぇからー。
どっちやねんっ!みたいな。
でも…でもさ。

言い過ぎた。

素直にごめんなさい。
って感じ。
キッカケは、あの人だったとはいえ。
頭に血が昇ってたとはいえ。 養って、保護して、見守ってきた親に対しての言葉じゃなかったな。
つって物分りの良い子を演じてみる。
それでも、さっきの怒りはすっ飛んでいた。
きっとビル風が吹いてきて気持ち良かったからだ、と思う。
謝ろうかな。
謝ってやろうかな?
正直言って行くとこもないし、まだそんなに遠くに来てないし。
ううん。
言い訳じゃないよ。
あたし、偉い子。
ってゆーか、多分あたしのせいで死んじゃう母に、
これ以上、苦労掛けたくないなってだけで。
あたしに対して吐いた毒は、きっと今まで溜めてた分なんだ。

ごめんね、おかあさん。

ただ、それだけ。
あたしの頬っぺたには、またしても、あの忌まわしい塩水が伝っていて、
「さすが、悲劇のヒロイン」と思った。
ほんと、いい演技してるよ。
名女優になれたのは良いけど、こんなんじゃ母のとこに戻れない。
しばらく、あたしは泣き歩く。
水分、塩分共に無駄に漏出。

結局、約2時間程(正確な時間はわかんない)泣き歩き回って、うちに向かう。
足が張って、瞼も張って、顔がカピカピする。
泣いてるとこを見られたくなかったから帰らなかったのに、
これじゃまるで、「めっちゃ泣きました」
って言ってるよーなもん。
あたしは、わざとらしく肩を落とす。
ガックシ。
帰ったら、まずごめんなさいを言おう。
そんで、いつ死ぬか訊いてみよ。
夜は明けてないけど、朝はすぐ傍にいる。
あたしに、「死」をプレゼントする為に準備してる。
空を見上げる。
見納めになる月は、やや欠けていて、まるで埋まらない心みたい。
あたしの中で二度と輝かない星は、霞んで僅かな光しか見えない。
熱を持たない暗闇は、あたしを包むと同時に、世界の終わりを彩る。

家に着く。
扉を開ける。
何故か、心臓が暴れる。

……?

気配がする。
予感がする。
母のものでないもの。
生温く異質な何か。
あたしの知らない何か。

「あっ」
心は空白によって支配され、占拠される。
あたしは小さく震えた。

「オンブルローズ」の香りが鼻を掠めた―。

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第3話アシタのアタシ

蒼き賞
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