未来新聞を書いてから1年。私の夢は変わりました。1年前、私は未来新聞で宇宙を学びたいと言っていました。しかし今は違います。人を助けるような仕事がしたいと思うようになりました。やはりそれは震災があった時、自分が本当に多くの人に助けられたという経験を持っていたことと、未来新聞を書いてからあの時のことを深く考えるようになったからです。
もしも、同じような震災などが私の周りに起きた時、私には何かできるのだろうか、また助けられるだけの存在になってしまわないだろうかと考えました。そして私が思いついたのは医療です。山形大学の工学部には、工学分野と基礎医学分野を共に学べる学科があり、将来は医療系の会社に就職することもできるようです。わずかでも人を助けられるような仕事をすることが私の目標です。悲しいことに復興はまだまだですが、被災地の人たちの思いは変わっていません。少しずつ、少しずつ、鉄道が復旧したり、道路の工事が進んだりしてるとは言いますが、避難者が多くいて、まだ仮設住宅で過ごしている人もいるんです。今被災地はめげることなく復興しようと踏ん張っています。そしてそれは時が経てば経つほど強くなっていくように感じます。今の現状を知ってほしいです。私はとても悔しいです。同じ県にいるはずなのに何も出来ないということがどうしようもなく辛いです。私の家はライフラインが一時停止しただけで、津波もきていません。それに、数日後には避難をしたためにもう家にはいませんでした。だから私には本当に津波などの被害にあった人たちの気持ちはわからないのかもしれないけど、わからないのならせめてわかる努力をしたいと思うのです。
そしてそれを忘れずに生きたいです。
先日卒業を迎えることができ、何事もなく無事に卒業を迎えられることを幸せに思います。夢が変わったように、これから私の考え方はどんどん変わると思います。大学や就職やたくさんの経験をすればするほどそれは確かに変わっていきます。しかし、私の根底にあるものは絶対に変わりません。あの時、たくさんの人から頂いた優しさのおかげで気づけたたくさんのこと、自分も優しさを持った人になろうと決意したこと、それらを忘れることはありません。大学を卒業したら、宮城に戻り、自分の故郷のために、未来のためにできることをしていきたいです。