2014年03月23日
梶井基次郎
『桜の樹の下には』
 (ちくま日本文学)

梶井基次郎は、「檸檬」を書いた大正13年頃、結核による体調不良を起こしていました。昭和に入ると東京を離れ、療養のため伊豆の湯ヶ島に向かいます。そこには川端康成が滞在していて、彼の世話で逗留先を決めたとか。川端康成の囲碁の相手をしたり、「伊豆の踊り子」の校正を手伝ったりもしたそうです。それが「桜の樹の下には」を書く1年前のこと。噂になった宇野千代さんと知り合ったのもちょうどこの頃です。しかし「桜の樹の下には」を書いた頃は体の衰弱もひどく、毎日のように血痰をはいていたとか。苦しい中で書いた作品として読むとさらに伝わってくるものがあります。そして4年後の昭和7年3月24日、31歳の若さで亡くなっています。

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