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TOKYO FM

相馬市の文房具屋さん「文泉社」羽柴さんの10年。

ON AIR REPORT / 2021.03.09 update
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今週のTOKYO FMは「LOVE&HOPE」と題して、 あの大震災を風化させないためにどんなことが出来るか? リスナーのみなさんと一緒に考えながら、 各番組で特集しています。

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LOVEちゃんは当時14歳の相馬市の中学生と出会ったことをきっかけに、震災後、音楽イベント「今日ここにいるという事」通称「今日ここライブ」を2012年から開催してきました。このイベントは、相馬市の全小学校の、新1年生たちに、ささやかな贈り物として“文房具”を贈る、というイベントだったんですが、6年間続けることが出来て、その後も「今日ここライブ」は相馬市で開催をしてきました。今日は、その、文房具を購入させて頂いた縁で繋がった相馬市の文房具屋「文泉社」を営んでいる、羽柴こずえさん。

羽柴家にはお子さんもいてお姉ちゃんは震災当時3歳、弟は0歳2ヶ月。震災当時、小さなお子さんがいるこずえさんはどんなふうに過ごされていたのか、「親御さん目線での防災」についてお電話で伺いました。

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LOVE:当時は小さいお子さんもいらして大変だったのでは?
羽柴さん:当時は、自宅のアパートの1階で被災したんです。それで物が散乱していましたし、赤ちゃんを抱っこしながら片付けはできないので、避難所はまだ開設されていなかったので、市内の私の実家に行きました。実家の方に行ったんですが、テレビもひっくり返ってましたし、津波がきたことも全然知らなかったんです。全く情報もなく、その夜携帯を見たら津波がきていたことも、原発の事故のことも知ったので、2〜3日経ってから千葉県の主人の妹のところに避難しました。

LOVE:相馬市はその後避難所は開設されたと思うんですが、お子さんを連れて避難所に行くチョイスってなかなか難しいんですって?
羽柴さん:どうしても赤ちゃんの泣き声とか気にしてしまって、すぐに避難先に行くというのが思いつかなかったんです。どうしても身近なところに頼りにして親戚に身を寄せるのが私の頭の中にありました。

LOVE:関東の皆さんも備える時には、すぐに「避難所」なのか「親戚の家」なのかチョイスはいくつか持っておくといいということですね。
羽柴さん:そうですね。日頃から考えておくとすごく助かると思います。

LOVE:ちなみに、2ヶ月の赤ちゃんを抱えて震災を経験した時に、感じたのはどんなことですか?
羽柴さん:私は、完全ミルクだったので(完ミ)、買い置きは1缶くらいはあったんですが、不安で不安で仕方なくて、水とミルクとオムツを買い求めようと思って、ドラックストアに並んだんですけど、まず開かないんです。なので、どうしようかなと思って、産婦人科を回ったり、保健センターで1日分のミルクをいただいたりしてとにかくその日をやり過ごしてました。ビニール袋に小さいスプーンで1杯、2杯と計っていただいて「1日どれくらい飲みますか?」って聞かれて、その分しかいただけないんです。しょうがないですね。

LOVE:今、ミルクで育てているお母さんたちは普段のストックにもなりますから、水とミルクとオムツは・・・どのくらい用意しておけばいいか。難しいですよね?
羽柴さん:そうですね。ミルクはちょっと大きくなるとミルクの質も変わってくるんですけども、先を見て大きくなった時のミルクでも構わないんです。その時ちょっと助産婦さんにも聞いたんですけど、乳幼児用でなくても1歳児くらいのミルクでも構わないので、手に入れられるものは手に入れてくださいと助言をいただいたんです。いずれ飲むものでしたら、先を見て少し大きくなった時のミルクを用意しておくのも手だと思います。すごく不安なので、私は半年分くらいは用意します。オムツは、大きくなるのも早いので先を見て大きいものはサイズも合わないかもしれないですが、余分に用意しておいたほうがいいと思います。

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LOVE:10年経って、この前2月13日に大きな余震がありました。ご無事で何よりでしたが、とはいえ、今回もだいぶ大きかったので、お家やお店も大変でしたよね。
羽柴さん:揺れの感じ方が10年前と同じでしたね。今はもう10歳になる下の子は寝ていたんです。それで布団をかぶって、頭を守っていました。上の子は当時は3歳で今は13歳なんですが、お風呂に入っていたんです。お風呂の風呂蓋を頭にのせたんですが、滑っておっこちゃったのでしょうがないから桶をかぶっていたと言っていました。

LOVE:みんなちゃんと自分の身を守る行動が取れたんですね!
羽柴さん:おかげさまで、やっぱり10年間それはいい続けていたのでしっかりやれていたのですごく安心しました。

LOVE:この10年間、どんなことをお子さんと繰り返し話してきましたか?
羽柴さん:地震の恐ろしさと、原発ですよね。原発のことも勉強したりとか、この2種類なんですけど、まず地震については、小さな地震でもクッションや枕で頭を守ること。あとは、外ではガラスやブロック塀から離れること。この2つを言い聞かせてきました。あとは、10年前は原発の事故もありましたので、この10年間で放射性物質とか防災について一緒に勉強してきたので、身についていると思います。

LOVE:息子さんは当時のこと覚えていないですよね。
羽柴さん:そうなんです。それで10年間色々防災について勉強はしてきているんですけど、先月の地震で「まさかこんな大きい地震だとは思わなかった」と言われました。その子が上着とスリッパと水とお菓子を全部袋に入れて、枕元においていち早く寝ていました。笑

LOVE:そこなんですよね!私たちは関東に暮らしていて、避難訓練を日常的にやっているわけではないと思うです。だから意識がある方とない方の差が出てきてしまっている10年でもあるなと思うんです。そんな中で子供達が、寝る前に自分で用意をしているのは見習いたいです。教えてこられた親御さんや先生たちの努力の賜物だと思います。そして、ALL-TIME BESTのスタッフの中にもお母さんがいて、先日の地震の時も東京も揺れたんです。あの時は夜で、1歳のお子さんと2人きりだったそうなんですが「一歩も動けなかった」というお母さんがいて。10年前の3月11日は午後2時46分。お昼だったんですよね。揺れた瞬間、お母さんがどんな行動したのか知りたいという。
羽柴さん:まずは、私は、一歩も動かないほうがいいような気がするんです。というのは、下の子は生後2ヶ月でお風呂に入れていたんです。それで実家の母が来てくれていて、お風呂に赤ちゃんを抱っこしてお風呂に使った瞬間にグラっと来まして。もう、そんな時は何もできないんですよね。落っことしたらいけないなと思っていて。首とお尻を抱っこして掴みながら揺れることしかできないし、例えば、それでお風呂場を出てしまったら、棚のものは崩れるし、食器棚は倒れるし、逆に危ないと思うんですね。一瞬子供を守って自分は怪我をしてでも、子供を守ろうって気になってしまうんですけど、自分も怪我をしないようにしないと守れないじゃないですか。なので、やはり日頃からタンスはL字型の金具で壁に固定していたりとか、部屋にクッションをお子さんの個数だけおいていただいて、頭に乗せる癖をつけておくとかなんとなくそういうのを頭に置いておくといいと思います。

LOVE:子供達の成長を見ていてどんな風に思いますか?
羽柴さん:10年前の震災で全て変わってしまったので、そこから学ぶものもたくさんあったと思いますし、本当ならば必要ないことかもしれなんですけど、放射性物質のこととかも会話で出てくるようになっているので、もう普通にすくすくと育って元気な姿ではあるので、とても安心している感じです。

LOVE:羽柴家の皆さんは「笑顔で生きる」というのを大事な言葉にしているんですよね!
羽柴さん:10年前は主人の母が避難を助けてくれたんですけど、私は10年前にはすごく動揺してちょっと泣いてしまったんです。
心も不安で泣いてしまったんですけど、主人の母が「そんなことではダメだ」って私を叱ってくれまして、こういう時にこそは母心が強くいないとダメだよってことを言われ、この10年色々過ごすうちに「そうだな」と思いまして。3年前に義理母はなくなったんですが、やはり亡くなる前も「笑顔で過ごしていた方が絶対に得だから」って言い残して逝ってしまったんです。なので、どんな時も笑顔でいることは励みにもなりますので、災害の時にでもやっぱり無理にとは言えないんですけど、心を強く持たれた方が、助かるような気がします。

LOVE:引き続き相馬に行くたびに、文泉社の文房具を買い足しながら、娘さんと息子さんの成長を楽しみに親戚気分で伺いたいと思います。貴重なお話をありがとうございます!

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