来月で東日本大震災から15年です。
復興の歩みはいまどこまで進んでいるのか。
そして、私たちは次の災害にどう備えるのか。
『あの日から15年 それぞれの復興』と題してお伝えします。
2週にわたってお届けした
宮城県気仙沼にある水産加工会社『斉吉商店』の斉藤和枝(さいとうかずえ)さん気仙沼の復興の大きな力となったのが、ボランティアや移住者の存在だったと斉藤さんは話していました。
その一人が、東京生まれ東京育ちの根岸えまさん。
東日本大震災のボランティアをきっかけに気仙沼に移住し、
今は漁師の担い手育成事業=若い担い手を育て育てています。
根岸さんは学生ボランティアとして入った時の事を思い出しながら
気仙沼の印象をこう話してくれました。
街はモノクロ、色がない街。がれきの山、半壊した建物。ただ人がカラフルに見えた。みんな前を向いていて、こっからどうしていくか津波があった事はしょうがないから、これからどうやって漁を回復させるか、事業を再開させるのか街を復活させるのかとか、仕事を作っていくのかって、みんな前を向いていてなんて強いんだと思いましたね。衝撃的で・・初めてであったかっこいい大人の背中がこの町の人だった。
気仙沼の人達の魅力を感じた根岸さんは、
本当にこの街に必要な事ってなんだろうと深く考えるようになりました。
そこで、実際に住んでみないとわからない、
大学を1年間休学して、気仙沼に住む事を決断。
被災地に住んで気が付いた事とはどんな事だったのでしょうか?
物とかではなくて、この街の良さをどれだけ引き出すかとか、地元の人にとって当たり前に思っている事を再認識、再発見する事が自分たちの役割なんだなっていう風に思いましたね。私たち、外の人間からしたら、本当に一つ一つのごはんにしても、行事にしても、文化にしても全部が面白くて、なんかそれが外の人たちが入る事で大切にしていこうという流れを作りたいなっていう風に思った。私が、大学生の時から漁師さんがかっこいいって言っているのも結構そういう意識もあって、この気仙沼の人にとったら漁師さんなんているもいる当たり前に見えるけど、でも私たち東京の人達から見ると漁師さんの生き様ってめちゃめちゃかっこいい。
気仙沼住む人たちが街の魅力を改めて
認識するきっかけにも繋がったとう事ですね。
根岸さんは、東京で就職先が決まっていたものの、移住を決断。
現在は、漁師の魅力を発信する活動を勢力的に行っています。
気仙沼の魚市場からすぐの所にある『鶴亀の湯、鶴亀食堂』
朝の水揚げを終えた漁師さんが朝食を食べ、
銭湯に入って疲れをいやす場所を根岸さんや
水産加工会社『斉吉商店』の斉藤和枝さん達が力を合わせて復活させました。
移住してから様々な事業にチャレンジしている根岸さん。
『気仙沼』は以外にも移住者を受け入れる文化が元々あったと話します
よそ者に対してウエルカムだと思います。遠洋マグロ船に乗っている人も多いので、
よそものになった気持ちがわかると思うんですよね。よそ者になった経験があるから、文化が違ってもそういう人達を受け入れる土壌があると思います。海から世界に繋がっているというかよそ者を受け入れる心づもりができているというか抵抗がないのかなと
『あの日から15年 それぞれの復興』
来週は、根岸えまさんが現在手掛けている、
漁師の担い手育成事業についてお伝えします。