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野口健さんがそれでも山に登るわけ  (2017/09/30 放送)

今週は、アルピニストの野口健さんをお迎えしました。

野口さんは、1973年8月21日生まれの現在44才。「植村直己さんが43才で遭難されたんですね。で、あの頃に映像とか観てると43才ってすっごく大人に見えたんですよ。だから直己さんの43才までは山に登りたいなと思ってきたら超えてしまったんですね」とおっしゃっていました。

お父様は外交官、お母様はエジプト人で、アメリカのボストンで生まれるとすぐにサウジアラビアへ行き、日本へは4才の時に帰ってきたとか。そして、小学校3年生でエジプトへ渡りますが、その後、ご両親が離婚してしまいます。

「僕の親父は東大を出て外務省入って、とんとんと行くわけじゃないですか。たぶん人生でずっと挫折をしたことがなかったんですよ。で、人生初めての挫折が、女房が男を作って、ましてや子供を作って家を出て行く…すると崩れるんですね。僕が小6の時に親父が飲んだくれになって。それで僕は親父に、親父は奥さんに捨てられた男、僕は母ちゃんに捨てられた息子、お互い捨てられたもん同士だからなんとかやっていこうね、って話をしてるんですね」

「これね、よくみんなが、なんでグレなかったの?って言うんですけど、親父が先にグレたんですよ。先にグレたモン勝ちで。たった二人じゃないですか、親父と僕で。考えたら子供時代けっこう大変でしたね。そりゃ山に登るよね。ハハハッ(笑)」


お父様はエジプトの後、イギリス、イタリア、イエメンを点々としたそうで、野口さんはイギリスの全寮制の学校に入学。そして、ケンカして相手にケガをさせてしまい、停学処分になっていた時に山に興味を持つきっかけがあったとか。

「ちょうど親父が仕事で日本にいたんですよ。で、日本に帰らされるんです。1ヶ月間停学ですから、自宅謹慎。家にいなきゃいけないんですよ。で、親父が、イライラして人をぶん殴ったお前が家にこもっててもロクなことはないから旅に行けと。学校辞めるのか続けるのかどういう生き方をするのか、自分の人生だから自分で決めろと。そういう時は旅がいいんだって言うんですよ」

「で、はぁ…とか思いながらしょうがないから旅に行ったんですね。京都に行って。なんで京都かわかんないんですけど、その時にふらっと入った本屋で、偶然パッと目に入ったのが『青春を山に賭けて』という植村直己さんの本だったんですね。山なんか登ったことない。でも、あれだけ本屋に本がある中でなんかピンと来たんですよ」

「あの本で一番僕が印象に残ったのは、直己さんもコンプレックスがあって、就職なかなかできないとか。で、日本を飛び出して世界中を放浪するんですよ。6年間ぐらい。いろんなところでアルバイトをしながら、山をコツコツコツコツ…誰にアピールするわけでもなくて、今自分にできることは何かな?ってことを一人でずっと積み重ねていくんですよ、コツコツ、地道に」

「で、そのコツコツをずっと積み重ねた結果、日本人で初めてエベレストとか、世界で初めて五大陸の最高峰っていう。“結果的”に繋がっていくんですよね。最初から大きな野心を抱くっていうよりも、今僕にできること。細かい積み重ねなんですよ。結果、世界的に何か大きな冒険に繋がっていくといった本だったんですよ。それを停学中に読んだんで、おっと思いましたね。こんな僕も、何かコツコツちっちゃなことを積み重ねていけば何かができるのかも、って思ったんですよね」


高1の冬休みに日本に帰国した野口さんは、社会人の山岳会に入会。人生初の登山は冬の富士山だったとか。

「これ、たぶん今の山岳会ならなかなかOKが出ない。けど、時代が時代で。あの時代は意外とみんな行け!みたいな、そういう時代だったので」

「冬の富士山は、氷になるんですよ。特に七合目、八合目から上はブルーアイスなんで、仮に山頂付近で転ぶと、だいたい六合目ぐらいまでは落ちるんですよ。もう止まんないです。氷の滑り台で。富士山は稜線とかないじゃないですか。で、岩とかもそんなに…まぁありますけど、冬になると雪で全部埋まってるので、もうほぼ何もないです」

「それが初めてだったんですよ。もう震えてね」「ゴーグルの中から見ている世界が、(小さい頃に映画『南極物語』で見た)あの南極大陸の世界なんですよ」「15才でしょ。とんでもない世界ですよ。ザイルを使って。全員大人。そうすると、子供なんだけど大人の世界なんですよね、命かけてるし。で、落ちたら死ぬじゃないですか。それは直感的にわかるんで」

そして、野口さんはその時「これは自分に向いてるな」と感じたそうです。

「感覚的な世界なんですよ。例えば山に行くと、音とかに凄い敏感で。風で体が煽られて落ちることあるので、ちょっとした音に耳がピクンと反応するこし。後はほっぺに当たる風の湿度、温度ってあるじゃないですか。これは凄い微妙なんですけど、これが敏感になりますね。ちょっと温度が上がって湿度がちょっと上がると、おっ雪降るぞ、とか」


野口さんが入った山岳会では平均すると毎年1人か2人の遭難者が出るそうで、登山家には次に遭難しそうな人が誰かなんとなくわかることもあるんだとか。

「今でも怖いです。僕はもうヒマラヤに55、6回行ってて、また12月からヒマラヤに帰りますけど、やっぱり毎回怖いですよね。ヒマラヤとかに行ってる登山家は、どっかでみんな心の中で止めたいと思いながら登ってるとこもあるんですよ」

それでもなぜ山に登るのかを尋ねると、野口さんはこんなふうに答えてくれました。

「日本は日本でいろいろ仕事があるから、ヒマラヤに行かなくたって食っていけるんですよ。だけど、なんでしょうね…日本にいる時っていうのはエネルギーを出すんですよ。ヒマラヤって日本から離れるじゃないですか。1ヶ月半、自分が生きることだけを考えればいいんです。日本にいるといろんなことをゴチャゴチャ考えますけど、ヒマラヤってシンプルに今日その日を生きることだけなんですよ、テーマが」

「ヒマラヤってホントに死を全身で感じるんですよね。で、死を感じると、人間って、怖いなぁ、死にたくないなぁ、こんなとこで死んでも寒いしなぁ、とか思うじゃないですか。で、死にたくない、死にたくないと思っていくと生きたいと思うじゃないですか」「死の世界の中に近付いていくと、その分だけ生に対する想いが強くなってね。その時に、あ、俺は生きてる、というふうに感じてしまうのかどうか…。ま、これは錯覚かも知れませんけどね」

「日本にいた頃に、あっち行こうと思ったのにちょっとズレたよな、っていうズレた部分をヒマラヤに行くと感じるんですよ。そこである程度修正できるんですよね。だから、ヒマラヤに行かなくなると、まったく自分がどうなるのかがわかんないんですよね。それも恐怖ですね(笑)。人生長いと飽きちゃうからね。飽きちゃうことが一番怖いじゃないですか…ねぇ?」

↓こちらは野口さんの写真集『ヒマラヤに捧ぐ』 
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来週も引き続き、野口健さんをお迎えします。お楽しみに!