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田中雅美さんが3度のオリンピック出場を振り返る  (2019/09/28 放送)

先週に引き続き、今週もスポーツコメンテーターの田中雅美さんをお迎えしました。

田中さんは96年のアトランタ五輪で高校3年生にしてオリンピック初出場。100メートルと200メートルの平泳ぎに出場し、200メートルでは5位入賞を果たします。

「ただ、その前のオリンピックでは金メダリストが日本から生まれてますから…もちろん充実感はあったんですけど、やっぱりメダリストはカッコよかったです…」「実はアトランタ・オリンピックの競泳はすっごく注目されたんですけど、メダルはゼロだったんです。獲れなかったんですよ。世間的にも物凄く叩かれましてね」

そして、その翌年に中央大学に進学した田中さん。実は当時の中央大学には女子の水泳部がなかったそうですが、それでも中央大学を選んだのにはこんな理由があったそうです。

「元々ちょっと繋がりがあって。中大の水泳部の練習に参加させてもらってたことが多々ありまして…」「世界と戦うにはもっともっとハードな練習とかをしなきゃいけないという中で、当時、中央大学の男子部っていうのはすっごい日本の中でも強くて、学生選手権で何連覇もしてたんですよね。で、科学的トレーニングを導入している最先端だと言われていて。もうそこしか考えなかったです」

田中さんは中央大学時代を振り返ってこう話してくれました。

「それがですね、実は1年目はぜんぜん結果が出なくて。田中は大学に行ったら終わったな、みたいな新聞記事があったりとかしたんですけど、2年生になった時に後輩が入ってきてくれまして。それが中村 真衣、源 純夏。シドニーのリレーメンバーです」

「そして、もう一人忘れちゃいけないのが、私が3年になった時に平泳ぎの磯田順子というアスリートが入ってきてくれて。その4人のメンバーは全員がシドニー代表になるんですけど、この4人でトレーニングできたっていうことが自分にとってはもの凄く充実していました」


田中さんがシドニー・オリンピックの代表選考レースに挑んだのは大学4年生の時。

「その時は私、水泳人生で一番の“ゾーン”に入りまして。凄い記録が伸びまして、100メートルと200メートルの両種目でスタート台に立てばすべて日本記録。全部ですね。予選も準決勝も決勝も全部日本記録出したんですよね」

見事に2度目のオリンピック出場を決めた田中さんですが、シドニー五輪では予選をピークにどんどん調子が悪くなっていったとか…。

「練習中から全然いい泳ぎができなくて。毎回練習で泣いてましたね。うまく泳げなくて。あの期間は辛かったですね。もうメダル獲得は確実!って言われて選ばれてるので…」

そんな中で迎えたシドニー・オリンピック本番。田中さんは100メートルと200メートルでメダルを逃したものの、400メートルのメドレーリレーで銅メダルに輝きます。

「ホントにそこで救われました。個人のレースでは獲れなくて、もう水泳やめようって思ったんですけど、もう1個残ってるのがリレーで。そこで仲間の支えでメダルを獲らせてもらって表彰台に立って…もう感謝しかないですね」

「大西順子さんっていうバタフライのメンバーがいたんですけど、彼女に『私たちだったら絶対に獲れるから。大丈夫!自身を持って泳ぎな!』って声をかけられて、その言葉でレースに向かえたので。気持ちを切り替えてレースに向かえたっていうのはありました」

「嬉しかったですね。もうホントに救われました。どん底から引き上げてもらった感じでしたね。もしお互いにコミュニケーションが上手くとれてなかったら、その言葉がなかったら、不安のままスタートしてたら…ドイツが4位だったんですけど、ドイツとの差が0.16秒。もしチームワークが乱れてたら獲れなかったかもしれないし」


シドニー・オリンピックの翌年、2001年に大学を卒業した田中さん。卒業後は水泳をやめようと思ったそうですが、2004年のアテネ五輪で3度目のオリンピックに挑戦します。

「当時は大学を卒業しても水泳を続けるっていう選手はそんなに多くなかったんですよね。自分もそうかなと思ってたんですけど、日本に帰ってきたらいろんな方がお手紙をくれたり、声をかけてくださって。そんな言葉をいっぱい頂いたから、もう1回やってみようかなって思えたんですよね」

「その当時オファーしてくださったマネージメント会社にお世話になって。で、アメリカに行きました。自分のメンタルの弱さに向き合うっていうのもあったし…世間の目だったり期待感というものから少し開放されて、自分らしく水泳に向き合う時間っていうのは必要でした」

25才で迎えたアテネ・オリンピックでは、再び100メートルと200メートルの平泳ぎ、400メートルのメドレーリレーに出場した田中さん。200メートルではメダルまであと1歩の4位に入賞しました。

「もちろんメダルは欲しかったですね。3位の選手との差が100分の5秒だったんですよね。0.05秒…」

「やりきったと思いました」「あの時の4位があったから、今、選手たちに…。もちろんメダルを獲ることは凄いんだけど、それ以前に努力している姿をどう伝えればいいのかとか、そういう目線で見られるようになったのはあの経験があったからかなと思います」


田中さんの水泳人生においては同世代の仲間やライバルたちの存在が非常に大きかったようです。

「自分が幸運だったなと思うのは、世代にも恵まれたし、モチベーション高く持てたのも仲間のおかげだったし。あと、(岩崎)恭子ちゃんがいたことによって目標がずっとあったっていうのも頑張りきれた理由です」

彼女たちとは今も交流があり、岩崎恭子さんや中村真衣さんなどを含むメンバーで食事に行ったりもするとか。

「変わらないですね、20年たっても」「負けても自分が記録的に至らなかっただけで、相手に何を思うってことがほとんどないですね。なので仲がいい」「苦しいことを同じようにやってきてるから、良き理解者でもあるから…」

「私がシドニーの時に、恭子ちゃんがすでに現役を引退して報道としてシドニーにいらっしゃってて。で、記録が出なかった時に一番最初に恭子ちゃんを探したんですよね。会った瞬間にもうボロボロ泣いちゃって。で、その時に恭子ちゃんが『大丈夫。まだレース残ってるんだからもう1つそこだけ集中して頑張れ』っていうふうに言ってくれたのを凄く覚えています」

「辛さを知ってるっていうのが共通項なので、何年たっても…」「本気でやりきった人同士だから尊敬しあえるのもあると思います」


最後に田中さんはご自身にとっての挑戦についてこう話してくれました。

「前が良かったとは言いたくないと思っていて。よくアスリートは引退した後に、昔は輝いてたねとか、昔が…とか言う人っていると思うんですけど、とにかく常に今が最高の状態であるべきだと思ってるんで、挑戦とは“今を生きる”ってことですかね」

「挑戦し続けないとたぶん輝きが失われていくと思うので。挑戦によって人との出会いがあって、あとは結果が良い悪いじゃなくて経験は絶対的に積み重なると思うので。そうするとその人間の今っていうものが輝いていくし、可能性が広がっていくと思います」

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