玉木正之さんがスポーツライターになったきっかけとは?(2020/06/06 放送)
先週に引き続き、今週もスポーツ文化評論家の玉木正之さんにリモート収録でお話を伺いました。
1970年代の初頭、東京大学在学中から執筆活動を始め、日本で初めて“スポーツライター”と名乗ったという玉木さん。今年2月には著書『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』が発売となりました。
この本でも書かれているように玉木さんの実家は京都の電器屋さんで、1964年に開催された東京オリンピックの際には、近所の人たちがお店にカラーテレビを見るために集まってきたとか。
「小さい電器屋なんですけどね。50人くらい押し合いへし合いですよ。私はそこの長男坊ですから一番前のど真ん中の席に座ってましたね。カラーテレビが京都に3台しかなかったんですけども、そのうちの2台がなぜかウチにあって、そこで10月10日午後2時に開会式が始まったんですね」
「(当時のカラーテレビの値段は)24万円だったかな。初任給が8000円ぐらいでしょ。凄いですよね」「ほんで、小学校の低学年で(プロ野球の)長嶋vs金田の対決とかを見てたわけですよ」
そして玉木さんはスポーツライターとしての活動を始めたきっかけをこう振り返ってくれました。
「大学に行く気がなかったので、『GORO』っていう若者向けの雑誌で原稿を書き始めて。で、『週刊ポスト』でも書いてた時に、ある編集者が、何を専門にするか言ってくれって言ったんですよ。その方が仕事を頼みやすいからって。そしたらスポーツにしますって言っちゃったんですよね。それだけですよ」
「ただまぁ(スポーツは)好きだったし、いろいろ見てましたからね。だから良かったんでしょうけども。まぁ偶然みたいなもんですよ」
「ある意味、スポーツと政治とか、スポーツと経済とか、スポーツと社会とか、もっと言うならスポーツと宗教とか、スポーツと人種とか、くっつかないものってないですよね。だから、スポーツからいろんなものが見られるっていうことには、35歳過ぎた辺りで気づき始めましたね。面白いなって」
高校時代はバドミントンでインターハイに出場経験があるという玉木さんですが、『GORO』や『週刊ポスト』などでスポーツの取材を始めた頃は、いろいろな苦労もあったそうです。
「だって、野球を喋ってるのは野球の経験者ばっかりですよ。ほんで、陸上競技を喋ってるのは陸上競技の経験者ばっかりですよ。インタビューなんてあるでしょ。記者席に座ってるのは先輩ばっかりなんですよね。だから選手を呼ぶわけですよ。おい!とか言って。でも、私はそんなん関係ない人でしょ。なんにもできないわけですよ」
「だから、プロ野球の取材なんかに行ったらどれだけバカにされたか…。おまえ野球やってたのか?いや、やったことありませんとかって」
「そんな中で、ある評論家の方から、野球っていうのは見てる人の方が多いんだからお前の方が絶対に多くの人の味方になれるよ、って言われたのは大きかったですね。有本さんっていう人だったですけどね」
「あと、サッカーとかラグビーの場合は、戦術とか戦法とかそんなことよりもサッカーの歴史とかラグビーの歴史とかそっちにいったり…」
ラグビー界のレジェンド、平尾誠二さんとも交流があったという玉木さん。平尾さんの話題からスポーツのチームプレーについての話も聞くことができました。
「平尾さんと出会った時からね、ラグビーはチームプレーか?個人プレーか?っていう。これを5年間ぐらい彼とぎゃあぎゃあ喋りましたよ。そのうちチームプレーと団体プレーと個人プレーの違いがだんだんハッキリわかるようになって」
「チームプレーと団体プレーを一緒にしてる人が多いんですよね。サッカーとかラグビーのチームプレーっていうのは、一人ひとりが違うことをしないとチームにならないんですよね。だから基本的には、合宿で朝何時にみんなで起きて、朝何時に飯食って、朝何時に一緒にランニングして…っていうのは別にチームワークじゃなくて団体行動なんですよ。その違いがだんだんわかってきたらちょっと面白くなってきたんですよね」
「ホントにみんなが揃ったチームプレーなんて、もうボートのエイトしかないなぁって思ってたんですよ。そしたら、ボートのエイトをやってる人から、いや、あれは全員違うことをやってるんだって言われて。オールは揃って漕ぐわけですよね。揃ってるように見えながら1番、2番、3番、4番がやってることは全部違うんだと。それを聞いた時は、うわぁ!って思いましたね(笑)」
「所詮は勝ち負けが最後にあって、それを中心にだけ考えていたら気づかないところですよね。気づきだしたらスポーツって面白いですよね」
玉木さんは、今回の著書『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』のために、いろいろな方に話を聞いたそうです。
「一番面白かったのは塚原(光男)さんかなぁ。体操の“ツカハラ跳び”の人、ムーンサルトを生んだ人です」
「どうしても解けない疑問があったんですよ。体操の競技を見ていると、誰かがムーンサルトをやると、みんなやるじゃないですか。ウサイン・ボルトが9秒57出してもみんな出さないじゃないですか。でも、体操は誰か一人が何かやったらみんなやるでしょ」
「あれはなんでなんですか?って聞いたら、塚原さんの答えが凄かったですよ。体操競技っていうのは人間にやれないことをやったことはない、人間にやれないことに挑戦したことが1回もない、やれることを“発見”するのが体操なんです、って」
1970年代の初頭、東京大学在学中から執筆活動を始め、日本で初めて“スポーツライター”と名乗ったという玉木さん。今年2月には著書『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』が発売となりました。
この本でも書かれているように玉木さんの実家は京都の電器屋さんで、1964年に開催された東京オリンピックの際には、近所の人たちがお店にカラーテレビを見るために集まってきたとか。
「小さい電器屋なんですけどね。50人くらい押し合いへし合いですよ。私はそこの長男坊ですから一番前のど真ん中の席に座ってましたね。カラーテレビが京都に3台しかなかったんですけども、そのうちの2台がなぜかウチにあって、そこで10月10日午後2時に開会式が始まったんですね」
「(当時のカラーテレビの値段は)24万円だったかな。初任給が8000円ぐらいでしょ。凄いですよね」「ほんで、小学校の低学年で(プロ野球の)長嶋vs金田の対決とかを見てたわけですよ」
そして玉木さんはスポーツライターとしての活動を始めたきっかけをこう振り返ってくれました。
「大学に行く気がなかったので、『GORO』っていう若者向けの雑誌で原稿を書き始めて。で、『週刊ポスト』でも書いてた時に、ある編集者が、何を専門にするか言ってくれって言ったんですよ。その方が仕事を頼みやすいからって。そしたらスポーツにしますって言っちゃったんですよね。それだけですよ」
「ただまぁ(スポーツは)好きだったし、いろいろ見てましたからね。だから良かったんでしょうけども。まぁ偶然みたいなもんですよ」
「ある意味、スポーツと政治とか、スポーツと経済とか、スポーツと社会とか、もっと言うならスポーツと宗教とか、スポーツと人種とか、くっつかないものってないですよね。だから、スポーツからいろんなものが見られるっていうことには、35歳過ぎた辺りで気づき始めましたね。面白いなって」
高校時代はバドミントンでインターハイに出場経験があるという玉木さんですが、『GORO』や『週刊ポスト』などでスポーツの取材を始めた頃は、いろいろな苦労もあったそうです。
「だって、野球を喋ってるのは野球の経験者ばっかりですよ。ほんで、陸上競技を喋ってるのは陸上競技の経験者ばっかりですよ。インタビューなんてあるでしょ。記者席に座ってるのは先輩ばっかりなんですよね。だから選手を呼ぶわけですよ。おい!とか言って。でも、私はそんなん関係ない人でしょ。なんにもできないわけですよ」
「だから、プロ野球の取材なんかに行ったらどれだけバカにされたか…。おまえ野球やってたのか?いや、やったことありませんとかって」
「そんな中で、ある評論家の方から、野球っていうのは見てる人の方が多いんだからお前の方が絶対に多くの人の味方になれるよ、って言われたのは大きかったですね。有本さんっていう人だったですけどね」
「あと、サッカーとかラグビーの場合は、戦術とか戦法とかそんなことよりもサッカーの歴史とかラグビーの歴史とかそっちにいったり…」
ラグビー界のレジェンド、平尾誠二さんとも交流があったという玉木さん。平尾さんの話題からスポーツのチームプレーについての話も聞くことができました。
「平尾さんと出会った時からね、ラグビーはチームプレーか?個人プレーか?っていう。これを5年間ぐらい彼とぎゃあぎゃあ喋りましたよ。そのうちチームプレーと団体プレーと個人プレーの違いがだんだんハッキリわかるようになって」
「チームプレーと団体プレーを一緒にしてる人が多いんですよね。サッカーとかラグビーのチームプレーっていうのは、一人ひとりが違うことをしないとチームにならないんですよね。だから基本的には、合宿で朝何時にみんなで起きて、朝何時に飯食って、朝何時に一緒にランニングして…っていうのは別にチームワークじゃなくて団体行動なんですよ。その違いがだんだんわかってきたらちょっと面白くなってきたんですよね」
「ホントにみんなが揃ったチームプレーなんて、もうボートのエイトしかないなぁって思ってたんですよ。そしたら、ボートのエイトをやってる人から、いや、あれは全員違うことをやってるんだって言われて。オールは揃って漕ぐわけですよね。揃ってるように見えながら1番、2番、3番、4番がやってることは全部違うんだと。それを聞いた時は、うわぁ!って思いましたね(笑)」
「所詮は勝ち負けが最後にあって、それを中心にだけ考えていたら気づかないところですよね。気づきだしたらスポーツって面白いですよね」
玉木さんは、今回の著書『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』のために、いろいろな方に話を聞いたそうです。
「一番面白かったのは塚原(光男)さんかなぁ。体操の“ツカハラ跳び”の人、ムーンサルトを生んだ人です」
「どうしても解けない疑問があったんですよ。体操の競技を見ていると、誰かがムーンサルトをやると、みんなやるじゃないですか。ウサイン・ボルトが9秒57出してもみんな出さないじゃないですか。でも、体操は誰か一人が何かやったらみんなやるでしょ」
「あれはなんでなんですか?って聞いたら、塚原さんの答えが凄かったですよ。体操競技っていうのは人間にやれないことをやったことはない、人間にやれないことに挑戦したことが1回もない、やれることを“発見”するのが体操なんです、って」
「誰かが(最初に)やりますね。そしたら周りの人がそれを見て、足がここ、頭がここ、腰がここ…こういうふうにすればできるんだってわかるわけですよ。だから人間のできることの発見だと。塚原さんが僕に言ったのは、だから貴方も月面宙返りはできるんですよ!って(笑)」
さらに玉木さんはこんなこともおっしゃっていました。
「ウサイン・ボルトっていう男がいて、身長が1メートル90ちょっとですよね。あのでっかい体で長い足で、足をこんなふうに動かしたら(100メートル)9秒57になるということかもしれないですよね。それを“発見”したのかもしれないですよね」
「要するに、人間にはできなかったことをウサイン・ボルトができるようになった!っていうんではなくて、あの体格とあの筋肉の量とあの運動神経だったらこれはできることだったと」「野球からラグビーからサッカーから何もかも、みんなできることを“発見”していってる」
「人間のできることを発見する、これを塚原さんに聞いてから、私自身、物凄くスポーツの見方が変わりましたね」
最後に玉木さんはご自身にとっての挑戦についてこんなことを話してくれました。
「挑戦っていうのは自分にやれることを一生懸命やることやと思うんですよ。要するに、自分にやれることを発見したら一生懸命できるし、それを一生懸命やったら十分だと思いますよ」
「自分にやれることをまずはっきりしなきゃいけない。だから自分を使いこなしたら結構おっきいことができると思いますね」「挑戦とは自分を使いこなすこと…いいですね。こっちの方がいいな。自分の取扱説明書、それは自分で書かなきゃいけないですからね」
番組では、そんな玉木さんの挑戦に関するメッセージを色紙に書いて頂きました!こちらを1名様にプレゼントします。このホームページのメッセージフォームから「玉木正之さんの色紙希望」と書いてご応募ください!