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中澤佑二さんがJリーガーになるまでの紆余曲折を振り返る!  (2020/07/25 放送)

今週は、サッカー元日本代表の中澤佑二さんをお迎えしました。

安室奈美恵さんの大ファンだという中澤さんは、1978年2月25日生まれの現在42歳。1999年からJリーグで活躍し、2019年1月に引退を発表しました。

「安室奈美恵さんが2018年に引退したので、僕も2018年と言ってはいるんですけどね。正式には2019年の1月なんですけど(笑)」

子供の頃に友達に誘われたことがきっかけでサッカーを始めたという中澤さん。初めてプロになることを意識したのは、93年にスタートしたJリーグだったとか。

「高校受験の時に、翌年にJリーグが出来ますっていうのを聞いて、初めてプロになりたいって思ったのはそここなんですよね。それまでは全然サッカーでご飯を食べていきたいとは思ってなかったんですよ。なんとなくサッカーの仕事に就けたらなぁ…ぐらいだったんですけど、そこから初めて“プロ”っていう目標が出来ました」


中澤さんの高校は埼玉県でベスト16ぐらいのレベルだったそうで、すぐにJリーグ入りとはいかず、高校卒業後はブラジルに留学します。

「高校で活躍をしてスカウトされるっていうのが一番理想的だったんですけど、それが叶わなかったとき用の道がブラジルで…」

「ブラジルは、サッカーで一番強い国って当時僕の中で勝手に決めてたので、その強い国のフォワードを止めれば、世界一のディフェンダーになれるんじゃないかな、っていう目標を持ってブラジルに行きました」

ブラジルでは1年間プレーしたという中澤さんですが、最初の3ヶ月は「正直しんどかった」とか。

「留学というか、いちおう正式なメンバーとして登録はしてもらえたんですけども、日本人っていうのでブラジルの人からするとあまりイメージが良くないらしいんですよね。お金を払ってサッカーしに来るのは日本人だけだ、みたいな」

「ブラジルですと、サッカーっていうのはお金を稼ぐものだ、っていうイメージなんですよ。だから日本人はおかしいって。そんな奴らが来るようなところじゃない、みたいな感じなんですよね」

「半年過ぎてからは言葉も急に喋れるようになりましたし…」


中澤さんは当時、中田英寿さんや中村俊輔さんといった世代の近いスター選手たちに対してはこう思っていたそうです。

「他人は他人、自分は自分。下手くそだから俺は自分の道を突き進むしかない、って思ってたんで。もう見てる暇もなかったですね。要するに、そういった人たちは別世界の人間だと」

「自分のレベルはホントに低くて、他所を見ている暇もないぐらい自分のことで手一杯だったので。それが今思えば良かったなと思います」

「中途半端に上手かったら、たぶん練習もそこまで頑張ってないと思いますし、何かあっても、いや、アイツがさ…とか、監督がさ…とか、たぶん何かのせいにして練習をしなかったり、試合でちょっと適当にやった、みたいなことがあった可能性がありますよね」

『下手くそ』というタイトルの本も出している中澤さん。自分のことを下手だと思っていてもプロになるのを諦めなかった理由をこう話してくれました。

「僕が自分自身で決めた目標だったんで、最後まで自分の中で責任を取ろうって思ってたんですよ。で、よく親父に、自分で言ったことは最後までやれ、って言われてたんで、たぶんその教えもあったと思います。だから、できないことは言わないんですよ、僕。今でも」


中澤さんのブラジル留学は結局、ビザ切れで帰国している間に他の選手にポジションを取られたことで終了し、その後は1年ほど母校の高校で練習させてもらっていたとか。そして、母校がヴェルディ川崎のユースチームと行った練習試合にも出場することになったそうです。

「本来ですと高校生の試合なんですけども、僕はハタチだったんで、2つ歳を騙して高3っていうことで試合に出まして。で、そのヴェルディのユースチームに試合で勝つんですね、僕のチームが」

その試合で活躍して「凄い高校3年生がいるぞ!」と注目を集め、ヴェルディのユースチームに誘われたという中澤さん。しかし、実はハタチだということを告げると「ハタチならいらない」と言われてしまったとか。

「でも、これがチャンスだと思ったんで、もう練習生でも何でもいいんでとにかく練習に混ぜてもらえませんか?って言ったら、じゃあまあ練習生だったらいいかな、みたいな。で、ヴェルディの練習生として練習ができるようになったんですよね」


そんな経緯でヴェルディの練習に参加するようになった中澤さん。実は98年の段階でクビだと言われていたそうですが、99年にヴェルディの新監督のおかげで状況が一転し、プロ契約を勝ち取ります。

「その監督が、187cmあるんだったらとりあえず人数合わせで置いときゃいいんじゃない?っていうので契約してくれたんですよ。僕のプレーは一切見てないんです。ただ187センチっていうだけで選んでくれたんです」

プロになった当初はなかなか使ってもらえなかったという中澤さんですが、やがて出場の機会が巡ってきます。

「僕のデビュー戦はセレッソ大阪戦だったんですけども、相手のツートップが180cm超えだったんですよ。背が大きくて。で、とりあえず中澤使ってみよう、ダメだったら前半で交代しちゃえ、みたいな」

「いきなり、お前スタメンね、って言われたんで、えっ?って。前日まで僕2軍で別で練習してたんですけど…みたいな(笑)。急に1軍ですか?みたいな」

それでもその試合をきっかけにレギュラーの座を掴み、99年のJリーグ新人王に輝くほどの活躍を見せた中澤さん。ただ、ご本人はヴェルディにいた3年間についてこうおっしゃっていました。

「ずっと監督に怒られてたんですよ、お前は下手だ、つって。お前はもうヘディングだけしてりゃいい、みたいな。で、チームメイトからもずっと怒られてたんで」「自分でも試合に出てるのが不思議なぐらい怒られてましたね」


2002年にヴェルディから横浜F・マリノスに移籍し、それからは引退までF・マリノス一筋の中澤さん。移籍後に岡田武史監督に出会ったことが大きな転機だったようです。

「僕はずっと下手くそだっていうことがコンプレックスだったんですけども、岡田さんは、もういいよと。お前下手なんだからいいじゃないか。でも、ヘディングは強いだろ?って。ヘディングを磨いてJリーグで一番になっちゃえば全然いいんだよ。だから失敗することを気にすんじゃねえと。ただしヘディングで負けたら許さねえぞ、みたいな」

「岡田さんは、凄いフランクな感じで。ズバッと言うんですよ。でも、その後のフォローがちゃんとしてて」

「ちゃんと練習を頑張ってると、岡田さんは試合で使ってくれるんですよ。練習で頑張んないと絶対に使わないんですけど。なので、下手でも1個武器を持ってればお前はそれで充分だと。だからそこで僕は急激にサッカーが楽しくなったなっていうのはありましたね」

来週も引き続き、中澤佑二さんをお迎えします!
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