講談とは

知花くらら(モデル)×神田京子(講談師)

2019

07.19

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講談とは耳で聞く連続ドラマ


モデルとしてだけではなく、最近では、雑誌や新聞で短歌エッセイを連載し、処女歌集も発表された知花さん。そして、神田さんは、都内の寄席に出演されたり、地方や海外での公演、他のジャンルとのコラボレーションなど、講談の可能性を広げる公演を積極的に続けています。

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神田
講談は七五調のリズムで、張り扇でパンパンと叩きながら話を紡いでいくという、なんでパンパンと叩くかと言うと寝ている人を起こすというんだけど、長いんですよ。
連続ドラマの元祖なんだよね。

知花
耳で聞く連続ドラマ。

神田
そうなんですよ。戦国時代の話しが多いんだけど、『難波戦記』も何十話もあるし、まぁとにかくいっぱい。

知花
ようはストーリーテリングでいいですか?

神田
そうですね。

知花
他の芸能、例えば、落語とはどう違うんですか?

神田
落語は、連続ドラマではなくて単発の一話完結が多い。後々は、連続性のものが明治以降に出てくるんだけど、元々は単発のもので最後にオチがあって笑いが主流。講談は必ず連続もので、「ここからがますます面白くなるところですがちょうど時間となりました。この続きはまた次回」となってテーマは笑いが主流ではない。物語の実を伝えるための要素として笑いは必要というスタンス。

知花
これは当時文字の読み書きができなかった人たちに向けて、娯楽だったんですか?

神田
娯楽になったのは江戸の後期。それまでは逆に言うと武士のたしなみみたいなところがあって読み書きできる方に士気を鼓舞するためにセミナーみたいな時代もあった。だんだん時代とともに文化文政年間になると完全に落語と交わるようになって、ネタの交換も始まるし、寄席というものができて、そこに登場する。


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講談との出会い


江戸時代にさかのぼる講談の歴史。明治時代にその人気は全盛期を迎えるものの戦後は、存続が危ぶまれるほど衰退していきました。


知花
講談にそこまで魅力を感じてきたのはなんだったんですか?

神田
私も出会ったのが講談だったってことかもしれない。くららちゃんが短歌に出会って、これと思ったのと同じことが20年前にあったと思うんだけれど、一つは二代目神田山陽という人に出会ってもう涙が止まらなくては、この人が伝えたいものを私も伝えたいと思って、21歳、22歳で入門したんですね、神田山陽は、講談が衰退しそう、昭和の半ばに20人しかいないって時に、復活させた一人なんですけど、この人も身を捨てて、燃え尽くして講談に全てを捧げた人って事が後から分かるんだけれども、89歳の高座を見た時に幕が開いただけだったんだけれど、そこに師匠が座っているだけなんだけど速攻涙が出ちゃたの。

知花
なんで?

神田
結局芸事もそうだし、その人の人生ってその人の生き様が最後に全て集約されるじゃない。

知花
そうですよね。

神田
師匠は普通におじいちゃんなんだけど赤ちゃんみたいキラキラしていたんですよ。技術とか講談いいだろうという雰囲気とかそういうのすら邪魔に思えるぐらい、89歳の師匠はそこにいるだけで、人を感動させる、きれいなもの持っていたのね。89歳の師匠に惚れて、当時、大学生の私は、そのまんま入門願い行っちゃったの、入門するのに師匠の年齢制限がある事知らなくて。

知花
入れないんですか?

神田
入れないんですよ。健康な師匠ではないといけないんです。60代70代ぐらいまでは皆さんをお取りになるんですけど、80過ぎたら「俺はね悪いけど、もう引退するから、自分の高座は現役だけど、弟子を育てるのを引退するから、悪いけど他にいって」と言うのが普通なんだけど師匠は嬉しかったみたいで、体調も良くて「じゃやってみたまえ」となって、今日突然きたから、京子だよという名前になって、

知花
(笑)。

神田
だじゃれかい!取って1年3ヶ月で亡くなるんだけど、その間、師匠はとったことで情熱燃やし尽くしてその後から寝たきりになってしまって

知花
(笑)。

神田
まわりの兄弟弟子たちはみんな大反対だったんだけど、まわりのそういう言葉は全く耳に入らなくて、師匠が死ぬまで私はそばにいるだけでいいんですっていう感じで、とにかく二代目山陽からのエキスをというだけ。

知花
すごいね、でも恋から始まったんですね、


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