クリエイションの原点

コシノジュンコ(デザイナー)×立川直樹(プロデューサー、ディレクター、音楽評論家)

2021

08.06

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カルチャーに囲まれた幼少期



ともに、10代から活動を始め、クリエイティブなキャリアを積んでいったおふたりが、過ごした特別な環境、さらには幼少時代について伺いました。

立川
ジュンコさんは、子供の頃からものを作りたかったのですか?

コシノ
作りたいというよりも、そういう環境だったんです。例の「カーネーション」で皆さんご存知ですけども、アトリエで育ったし、母の横で、嫌でも、すぐに手伝わされ、子供でも関係ないの。横にいる人を使うわけ。そういう環境でずっと育っているし、デザイナーになる憧れはないですよ。私は次女だから、家のことは手伝わなくていいし、自由だし、画家になりたかったから美大に行ってと考えていたのに、急に同じ方向になって、それはそれで運命的に良かったんですけどね。

立川
20歳過ぎの時は、まだ母が生きていたから「あなた、仕事がうまくいき始めて良かったわね。音楽、映画やアートしか興味ないから、社会生活を送れないじゃない」と言われて。うちがすごくよかったのは家族が音楽好きだったんですよ。音楽家ではないけど聞くのが好きで、レコードは、結構、高かったからお小遣いで買うのは大変だったけど、レコードは家で買うものだったので、いくらでも買えた。僕が毎月、銀座の山野楽器に家族を代表して、買いに行っていたわけ。小学6年生の時に山野楽器で音楽評論家の福田一郎さんがいたんですよ。その時の店長がうちで一番レコードを買っている小学生と紹介してくれて、そしたら、当時、レコード会社が白盤という、自分の会社でプレゼンテーションに使うレコードを作っていて、一か月後に行ったら、「この前、福田先生が来て、あの子が来たら、これをプレゼントしてくれ」と、15枚くらい白盤が入っていた。それで音楽評論家は、面白そうだなと思って、20歳過ぎて、音楽評論家の仕事をして、先生に会ったら「おー、やっぱりこっちにきたか!」と。

コシノ
音楽評論家という職業自体がいっぱい音楽を聞いて評論するのに、なんで20歳でできるの?

立川
私、すごい聞いたもん。逆にプロデューサーになりたかったんですよ。業界に近づくためにはバンドをやるのがいいと思って、17歳くらいから始めた。


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音楽の存在



コシノ
音楽はすごい錯覚の世界だろうけど、あるのと、ないのとは大違いじゃないですか。なかったら息ができない。

立川
ファッションショーも音楽ひとつで決まってしまうもんね。

コシノ
そう。パリコレを22年間やって、最初の頃は自分で音楽を決めていたの。洋服ができたけれども音楽が決まらなくて、いっぱい持ってきてくれるけど、どれを聞いてもピンとこなく、毎回それが一番悩みだったの。1週間ぐらいそればっかり。洋服よりも音楽の方が重要。音楽によってガラッと変わるんですよ。

立川
面白いのが、ハリウッドやヨーロッパ映画で、映画音楽は、スコアを書く人と思われたけど、今、ミュージック・スーパーバイザーというクレジットがあって、監督がこういうところにはこんな感じの音楽が欲しいと言うと、選曲もやって、そのクリアランスを取るのが仕事になっているんです。

コシノ
その辺の感覚は、トータルで知っていないと、タイミングはわからないと思う。

立川
全ジャンルをね。ロックだけでもダメだし、クラシックだけでもダメだし、でも数ですよ。

コシノ
音楽は、大切ですよ。よく、車の中で音楽を聴きながら、外をパッと見ると、その音楽に合わせて、外の人が歩いてるように見えるの。

立川
その瞬間がわかるのは多分、クリエイティブの人のセンスですよ。


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