新時代の家族のあり方

林真理子(作家)×柴田陽子(ブランドプロデューサー)

2021

09.10

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作家の仕事



長年の林さんのファンでもある柴田さんが感銘を受けたのが、林さんの最新作「小説8050」。80代の親がひきこもり状態にある50代の子の生活を支える社会問題、「8050問題」や学校のいじめの問題に果敢に向き合った作品です。

不登校、引きこもり、8050問題をやりましょうと言ったんですけど、8050だとちょっと悲惨すぎて、苦しかったです。裁判シーンは書きたかったのですが、大変でした。

柴田
素晴らしかったですよ。

弁護士さんについてもらって、柴田さんもそうだと思うけど、初めてのことや、知らないことだと聞かないといけないじゃないですか。レクチャーがうまく頭に入ってこない時は、本当に辛いんですよ。

柴田
うちの社員の子供さんも小学校5年生の不登校と中学2年生の不登校のお子さんがいますね。

結構いるんだよね。

柴田
本当に身近な問題で、でも登場人物の選ぶ言葉や行動、全部手に取るように分かるから、何で林さんはここまでのことが分かるんだろうと思って。

作家は、一人でお芝居をしてるみたいな感じで、その人になりきってるから、セリフが出るんですけど、「不機嫌な果実」を書いてる時、難しいのは、男の人から口説かれる美人で強気の女の人にならないといけない。でも、男の人がどう口説いてくるのかわからない、だからそれはさすがに取材しました。私はめちゃくちゃいい女、二人きりで会えば口説かれる、そんな女よと思って書かないと書けないからね、それは大変ですよ。

柴田
私たち40代くらい中心の女性経営者の友達といつも話してると、この話、林さんに聞いてもらいたいと言ってて、「SEX AND THE CITY」よりおもしろい。

ぜひ、今度聞かせてくださいよ。

柴田
私もホテル、ジムや病院、街を作る仕事が多いのですが、人からすごいインスピレーションを受けています。素敵な人が歩いてると、その人の生活や素敵なホテルとの付き合いとか妄想の世界に入って、それが、林さんは、一冊の本という形でなるんですけど、私は一冊の企画書になるんですよね。


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自立していないと幸せにはなれない



林さんが新潮社から発表された『小説8050』は「引きこもり100万人時代」といわれる現実を突きつけると同時に家族の再生物語にもなっていますが、林さんは、この小説を書き終えて、家族のあり方について心境の変化があったようです。

私『小説8050』を書いて、家族は役割が終わってたら、解散してもいいと思うようになってきて、うちの娘が今年から社会人だけど、親の役割が済んで、そんなに気が合わなかったら解散してもいいと思うんだけどダメかしら?

柴田
いいと思いますし、当たり前になっていますよね。うちの子どもたちの周りにも離婚した本当のお父さんとも仲がいいし、今のママのパートナーとも仲がいい女の子に「お父さんが2人いるってどうなの?」と聞くと「すごいラッキーで私の事を真剣に考えてくれるパパが2人もいて嬉しい」と言っていたり、人は人間関係の中で必要とされ、豊かさや自分の存在価値が芽生えてくるものだからもっと自由になって、自由を出来る強さと最低限の勤勉、勤労を身につけてれば、後は自由にやるのがやっぱり豊かですよね。

やっぱり女性もちゃんと経済力を身につけるのも基本中の基本で、解散する時もお金がないとできないですし。

柴田
だから私も子どもを産むのは、すばらしいけれども、やっぱり休んだらだめ、絶対に自立していないと幸せにはなれないという風になりました。私が育てたいのは物心ともに自立をして、味方と仲間の多い人生を歩んで欲しいと社員に言ってるんです。

素晴らしいです。

柴田
その上では好きな人がいたらその人と恋愛するのが一度きりの人生の豊かだし、子どもは責任があるから育てる義務があるけれども、だから結婚しないといけないとかでもないですしね。

そうですね。結婚しなくても今の世の中、いいんじゃないの。そういう偏見もなくなってるし。でも自由になるには、お金も必要だし、自分がある程度の知的な集団の中に入ってないと理解も得られないと思うんですよ。やっぱり世の中は想像力がない人たちの集団がすごく一定量あって、

柴田
一定どころじゃないですよ。多くは想像力がないですよね。

そういうところに入ってしまうと、結婚しないで子どもを産んでとか言われてしまうんだけど、ある程度の想像力が働く、知的な集団の中で生きてる限りは、何の問題もないと思うんです。

柴田
子どもたちには、積極的に人と交わって、そこからたくさんの感想を持って、自分の心で一個一個解釈して育っていってほしいですよね。

可愛らしいお子さんがいていいですね。私の知っている女性の経営者はだいたい結婚してないか結婚しててもお子さんがいないのね。それくらい大変だったってことだね。

柴田
私の場合は自営業で自分がサラリーマンでないですから、子どもを産む日まで働いて、産んで3日後に仕事してましたよ。パレスホテルのプロジェクトの間に2人産んだんですけど、パレスの社長からは「君はインフルエンザよりも復帰が早い」と言われまして、

でもベビーシッターさんに頼んだでしょ?

柴田
ほとんどベビーシッターはおらずに私の義理の母が毎週月曜日、私の母が木曜日、5時ぐらいに来て食事を作り、ご飯を食べさせて、お風呂も入り、寝かしつけまで、コロナの時まで7年8年ずっとやってくれてました。私の家の鍵は開けてはいけない引き出しありませんをコンセプトに、社員からバーバ達からみんな持ってて、子供たちは、そういうたくさんの人に育ててもらっています。


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