歌舞伎の世界に生まれて

友利新(医師)×片岡京子(女優)

2021

10.29

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先輩たちからの教え



日本の伝統芸能の一つであり、長い歴史の中から生まれた歌舞伎。親から子へ、師匠から弟子へと伝統が受け継がれていく世界ですが、そんな環境の中で育った片岡さん。やはり、小さい頃から演じることは、身近にあったのでしょうか。

友利
歌舞伎の家に生まれて、今は、女優さんですが、もともと芸事には興味があったのですか?

片岡
きっかけらしいきっかけは、実はあまりなくて、小さい頃、幼稚園に入る前からですかね、やっぱり周りの方々に「女優さんにならないの?」とか「大きくなったらやっぱり女優さんになるでしょう?」とか当たり前のように言われていたんですね。女優さんがどういうものか分からない時からすり込みされて、自分は歌舞伎の世界には行けませんから、女優の道に進むのかなと漠然とは思っていたのが積み重なって、父や兄とは違うけど、何かを演じる道に行くとは思っていましたね。本当にたまたま恵まれていたのが、すぐに舞台の仕事をコンスタントにやらせていただくようになった時に共演させて頂いた先輩方が本当に偉大で、特にものすごく影響を受けたのが、もう亡くなってしまわれたんですけども平幹二朗さん。

友利
そんなすごい方と!

片岡
本当にすごい方ですし、他の皆さんもベテランの方ばかりで、稽古場でも食い入るように平さんをずっと拝見して、いろいろとアドバイスをしてくださったりもするんですけども、平さんのお稽古や舞台にかけるエネルギーや情熱、妥協しない点。あと大スターで大ベテランでいらっしゃるのにお勉強する姿勢とか、若い人たちからも何かを吸収する姿勢を学びました。平さん以外の先輩の俳優さんからは、昔はこうだったんだよという昔話を聞くのがすごく好きで、本当に偉大な先輩方のおかげと言っても過言ではないぐらいいろいろ教えていただく形になりましたね。

友利
私は俳優さんや女優さんの仕事も現場も知らないんですが、今、京子さんのお話を聞くと、いろんな方がアドヴァイスしてくれるのがすごく意外なのと、多分、京子さんのお人柄と言うか、大先輩に話を聞きに行く姿勢を見て、皆さんが、共感され、助けようみたいな感じになってくれたのかなと話し聞いて思いました。

片岡
今でこそDVDとか記録として映像が残っていたりするんですけど、私が小さい頃は、父が家で台本を広げて、ぶつぶつ台本やセリフを覚えたりする時代で、諸先輩方のところに伺って、教えていただくことが主流だったんですね。今でも若い歌舞伎の俳優さんが、父のところにお稽古してくださいと言って、自宅に来ることは結構あるんですけど、それが多分もしかしたら私の中では当たり前のようになっていてどんどん聞きに行きましたね。


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歌舞伎一家の家庭での様子



片岡さんのお父様といえば、歌舞伎役者で人間国宝の片岡仁左衛門さん。350年続く大名跡の十五代目、そして、現代歌舞伎の第一人者として、長きにわたって舞台に立ち続けています。

友利
普通のお家とはやっぱり違うので、伝統的な歌舞伎のお家に生まれる事は私たちには、想像がつかないですが、お父さんっていうイメージですか?それとも俳優さんと言うか、役者さんの先輩というイメージですか?

片岡
小さい頃はもちろんお父さんが主流、パパ!

友利
パパ!

片岡
ちょっとイメージと違うけど、なぜか、パパとママで、あまり家にいないお父さんと、母はそれを支える人というイメージがすごく強くて、お父さんは、パパだけども歌舞伎をやっている人と言うか、やっぱり歌舞伎俳優の父が、一人で歌舞伎をやっているわけではなくて、気づいた時には兄もお稽古をしていましたし、母はもうとにかく父がつつがなく舞台に立てるよう、それをスムーズに行えるように生活を回している人みたい感じですかね。下手したら子供よりもまず父や父の世界を最優先にしているところがあって、私たちもそれを見て、聞いて、育っているので父の歌舞伎生活が第一という感覚ですかね。普通のお父さんというよりも、歌舞伎をしている歌舞伎役者のお父さんというのがセットみたいな感じですかね。

友利
お着物や日本の伝統文化に小さい頃から接しているので、京子さんに初めてお会いした時に所作と言うんですかね、私は沖縄出身で同じ日本ですが、着物の文化も違いますし、四季も沖縄にはないので、そういうことが全くわからないまま、お嫁に行ってしまい、ちょっとどこかでコンプレックスというか、言葉の使い方だったりとか物腰の柔らかさだったりとか、憧れを感じているところがあります。

片岡
3人兄弟で、本当にバタバタ、ワーワー、ギャーギャーだったと思うんですよ。

友利
イメージだと、お着物をパリッと着たお父様とその横にお母様がいて、みんなで「ご機嫌よう」みたいな感じ。

片岡
そういうことにしておこうかなあ(笑)。まず、父がほとんど家にいなく、母もやっぱり劇場に出かけることが多かったんですね。お手伝いさんがいてくれたんですけども、母も家に帰ってきて、ご飯の支度をして、子供たちはわーと食べてテレビを見て、本当にもう昭和の家庭だったと思うんですよ。そんな美しい時間は流れてなかったと思います(笑)

友利
美しい誤解を解かないでください(笑)


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