母親の存在

桐島かれん(モデル)×内田也哉子(文筆家)

2022

05.27

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桐島さんのお母様といえば、作家の桐島洋子さん。そして、内田さんのお母様は、3年前に亡くなった樹木希林さん。その型破りで、自分らしい生き方は、多くの女性達に勇気を与えていますが、お二人にとって、お母様の存在は、どのようなものだったのでしょうか。

母親に認めてもらう



内田
お母さまも本当に好奇心が旺盛な方で。

桐島
私よりもバイタリティーがあるし、知性の塊、歩く百科事典みたい人だし、インテリジェンスは足元にも及ばない。

内田
かれんさんでさえも。

桐島
全然。好きなように生きていましたね。世間体なんか気にしたって世間はあなたのために何もやってくれないからと言ったけど。

内田
名言。ほんとなのよね。でも私たちはつい世間体を気にしてしまうのよね。

桐島
特に私は子供の頃、すごい気にしていた。

内田
え! ほんと! 必然的に人目が集まってしまうから。

桐島
洋子さんは友達が遊びに来て、「おばさん何か、飲み物ちょうだい」とか言うと、「おばさまではなく洋子さんとお呼びなさい。そして、飲み物は冷蔵庫にありますからセルフサービス」とか言うタイプの人だから。

内田
でもそれは一番正しいやり方だけどね。私は、逆に放任な母に育てられた自分が子どもに色々やってあげたくなっちゃう。一番下の子は、12歳になったけど、「mammy、Let me live my life 僕の人生を生きさせて」と言われる。

桐島
也哉ちゃん、子どもたちのことを気にかけている。

内田
それが意味ないの。母が生きていた時は通りすがりに「早く子どもたちを家の外に出しなさい」と言うので、12歳から、長男は、スイス、長女はイギリスへと手放したわけよ。うちは2世帯住宅で20年前に家を建てたけど、その時に母が半分お金を出すからと乗り出してきて、私はあなたたちにお世話してもらいたいわけでも一緒に住みたいわけでもない。孫たちに老人と暮らすことはなんぞやを、豊かなジェネレーションの層を見せるためだけに一緒に住むのだと、不思議な2世帯生活が始まった。

桐島
孫たちにとってすごくいい存在。いつも学校の送り迎えもしていたし。

内田
でも、孫たちは、バーバが怖くて懐かないの。何か言ったりするわけではないけど、みんな、赤ちゃんの時、母が家の中に登場すると母の視線を感じて、子どもたちが後ろ向くの。後ずさるの。「見ないで、バーバ」と言うのが口癖でそうすると母がゲラゲラ笑って「この子たちは私が威圧感があるのがこの年齢でわかっているのね、最高」と言って、そんなに和気藹々した感じではなかった。洋子さんは?

桐島
まったく興味ないし。名前も覚えないし。会話が成立しないの。せっかく洋子さんのような素敵な女性がいるので、孫たちにいい影響を与えてほしいから、うちにご飯に来て、交流して色々教えてもらいたいけど、会話ゼロ。旅行にも連れて行っても子どもたちも怖くて近寄らないし、母は子供を無視。興味ないし。

内田
私も大人になってから母といっぱい深い話ができた。かれんさんもそうでしょ?

桐島
そうね。大人になればね。

内田
認めてもらえて初めて、会話になる。


両親を見送って



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桐島
也哉ちゃん、一気に1年間でお父さんお母様を亡くされて。

内田
そうだね。半年おきだったからね。

桐島
それまでママとパパに振り回された人生だったけど、いなくなった時に、也哉ちゃんはどうなってしまうのだろうと思ったけど、どういう感じ?

内田
突然、立て続けだった時は、もう何が何だかわからなくて、忙しさで気持ちが紛れていたけど、その後、どっと身体にいろんな病気の症状として出て、やっぱり心と体は当たり前だけど表裏一体で、心が壊れて傷ついているから、もう少しちゃんと自分が心地いいひと時を作っていけば体も立て直せるかなと思って、だましだまし、いろんな良いとされることを挑戦したら、なんとなく今戻った。でもようやく今、他界して3年ちょっと経つけど3年過ぎたぐらいで私はここからちゃんと一人で歩いて行けるとまだ確信とまではいかないけど、気配がしてきて、でも、それまではかなり引きずったね。心の中で。それなりにやらなきゃいけないことをやっていた風だけど自分に自問自答したら、ちょっと不安定だったな。でも今思うのはやっぱりいろんな影響を両親から受けすぎたから、重荷もあれば宝物もあったし、それをここからは自分の中で、金を川で探すではないけど、ざるに、砂利も何も入っているのを濾していって、もしかしたら、小さいけどキラッとしたものが残っているのかと作業をしていくのかな。もっと、生前、父のことを知りたかったし、裕也っていう人の魅力を直に感じたかったけど、今となっては果たせないから、まだご両親がご存命だったら、恥ずかしいとか、忙しいとかいろんな気持ち全部差し置いて、真っ先にお茶飲むだけでもいいし、物理的に自分で歩み寄らないとそういうひと時はもてない。今でも後悔はたくさんあって、自分からどんどん接近していけばよかったのだけど、自分の中の恐れとか、不安とかに勝てなかった。その代わり、母はべったりではなかったし、晩年は私がイギリスに住んでいて遠距離でほとんどちょっとしか会ってなかったけど、そういう短い時間の中で何か濃い一時をもてたと思うから、親が老いていくのは当然のことだし、いつかもちろん離れ離れなる。かれんさんのお母様が、元気でいらっしゃるから羨ましい。

桐島
でももう母も85歳だから。

内田
すごいなぁ。


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