料理と編み物、その共通点と違い

平松洋子(作家、エッセイスト)×三國万里子(ニットデザイナー)

2022

10.28

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編み物は自分の感情を映す



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平松さんは、世界各地を旅し、食文化と暮らしをテーマに執筆。これまでに、『買えない味』、『サンドウィッチは銀座』、『父のビスコ』など数多くのエッセイを発表され、新聞や雑誌などでも広く執筆活動を行なっています。一方、3歳の時に編み物に出会い、多くの洋書から世界のニットの歴史とテクニックを学んだ三國さん。作品集やキットを発表されたり、手編みニットブランド「気仙沼ニッティング」や編み物キットブランド「Miknits」のデザイナーも務めています。

三國
平松さんのことは、20年以上前からのファンです。

平松
ありがとうございます。読んでくださっているんですか。

三國
はい、息子が生まれてからは、自分の読書の時間がなくなり、図書館に通うようになって、出会ったのが平松さんの本でした。その頃、仕事を辞めたもので本を買うお金もなくて、でも図書館に通って、少しずつまた自分の中に栄養を入れ始めたような時期で、その頃に出会えたのがとてもラッキーだった。そういう大事な作家の1人として平松さんがいます。

平松
ありがとうございます。私は裁縫や編み物がからっきし駄目で本当にひどいんですよ。娘が小さかった時に、保育園用に作らないといけなかったので、生地を買うところまでは楽しいんですよ。普段、行きつけない生地屋さんに行って、これかわいいなと思って、でも、その次にこれを自分で縫うんだと思った時に限りなく憂鬱になるんですね。小学生の時は家庭科が嫌いではなかったんですよ。だけれどもそれがやらなくちゃいけないものになった時に、自信がないものだから、ぐっと落ち込む。

三國
お料理とはどこが違うんでしょうか?うちの妹は、料理をする人間ですけれども、彼女も縫い物、編み物が全く駄目です。

平松
それは何か理由があるんですか?

三國
飽きっぽいですね。でも平松さんは違う気がする。

平松
ちょっと話がずれるかもしれないですけど、小学校の時に、ジャンボ編みが流行って、何が快感だったかというと目が大きいから、ザクザクいける。手を動かしていくとどんどん成果が一段一段ぐんぐんたまっていくあの感じが、気持ちよかった。

三國
リリアンも同じ感覚かもしれないですね。

平松
あれもやりました。編む行為が、楽しいものという感覚はずっと自分の中に残っているんですよね。でも、出来上がった時に自分の下手だったところや自分が面倒くさいと思ったところが全部、人にはわからないかもしれないけど、見えるじゃないですか。

三國
見えますね。

平松
裁縫もミシンも必ず下で絡まる。見えないところでガーッと絡まって、針がそこを押し切ろうとするから、折れたりして、自分の粗みたいな感情が出来上がったときに見える。編み物とか縫うものは、どこか端正な感じを要求されている。なんか向こうから”きっちりやれ”と言われている感じがするんですよね。


家庭の味



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三國
料理は、食べられるというゴールがありますでしょう。

平松
私、料理が失敗しても、失敗した味が結構好きですよ。

三國
私もそうですよ。

平松
娘がずいぶん前に結婚して、いないので、連れ合いと食べるでしょう。その時に美味しい時はそれで終わっちゃうけど、なんでこんなにまずくなったのかは、話題になる。朝ご飯の味噌汁のネギが繋がっている時とか油揚げがのれんみたいになって味噌汁の沼から上がってくるみたいな時は、ワッと苦笑いしながら、でも引き上げた時に、このネギの繋がり方が提灯みたいで面白いとか、うまくいかなかった時に意外と会話が弾むというか。

三國
私自分1人のお昼を作る時にわざとまずいと言うとあれですけど、夫のものを作る時とはまた別のテンションで作るそれが食べたいって感じがあるんですよ。料理は、いろんな自在なゴールを設定しやすいかもしれないですね。

平松
例えば、サンドイッチでもきちっと、耳を落としたのも美味しいかもしれないですけど、すごく乱暴にトーストしたものに半分にぐっと押し込んで、それを二つ折りにして食べるのがうちの味。


三國さん、初めてのエッセイ集『編めば編むほどわたしはわたしになっていった』を新潮社より、また、平松洋子さんの著書「いわしバターを自分で」は文春文庫より、それぞれ発売中です。

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