2021/05/30

ホラン千秋も大興奮! マニアが力説する“灯台の魅力”に「最高の男じゃないですか!」

DDP編集部

5月30日(日)の放送では、前回に引き続き、フリーペーパー「灯台どうだい?」編集長で灯台マニアの不動まゆうさんをゲストに迎え、お届けしました。

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(左から)ホラン千秋、不動まゆうさん

灯台の歴史に触れる

前回は、自身の“灯台愛”をたっぷりと語ってくれた不動さん。あらためて、「灯台は、日本の近代化を支えてくれた存在」と声を大にします。というのも、日本で最初に洋式灯台が点灯したのは1869(明治2)年だそうで、灯台が建てられたことによって、港が開港され海外からの船が行き来するようになり「日本が(海外の)新たな文化に触れた」と言います。

例えば、港町として有名な横浜や神戸などは「独特な文化を持っていますが、そこに文化が入ってきたのは灯台があってのこと。自分の地元に灯台がある人にとっては、その灯台が私たちの町や人々に“どんな影響を与えたんだろう?”と興味を持ってもらえると、また見え方が変わってくると思う」と熱く語ります。

灯台は航路標識として大きな役割を果たすだけに、かつて日本では灯台の維持管理や、きちんと点灯しているかを見張り番をする「灯台守(とうだいもり)」と呼ばれる職がありました。そんな歴史を不動さんが編集長を勤めるフリーペーパー「灯台どうだい?」でも発信しようと、かつて灯台守をしていた方にインタビューをしたことも。

そのなかでも一番印象に残っているエピソードは、灯台のレンズと光を発する部分の調子が急に悪くなってしまったときのこと。なんとか点灯はしたものの、レンズが回転しなかったため、灯台守が自身の手で一晩中レンズを回し続けたそう。

その話を聞いた不動さんは「『大変でしたね。でも事故などがなくてよかったですね』と言ったら、『港の漁師さんから「昨日、(灯台の明かりが)逆回りしていなかった?」って言われちゃった(笑)。そんなドジな灯台守は僕だけかもね』って、ほのぼのとする話をしてくださった」と振り返ります。

また、戦時中は日本の戦艦の動きを封じるために灯台が攻撃対象となることから「灯台守で殉職された方もすごく多かったそうです。そして、(灯台のすぐ近くに)家族で住み込まれていた方もいたため、小さな命が失われたこともあったそうで、涙なしには語れないようなエピソードもありました」と不動さん。

普段は大好きな灯台を前にテンションがあがり、ついはしゃいでしまうものの「一旦心を落ち着けて、“ここではいろんな思いをした人がいるはずだ”って想像をするようにしている」と話します。

灯台は「私の目的地」

これまで全国の灯台を見てきた不動さんが、特に惹かれるのは“離島の灯台”。「(その場所まで)簡単には行けないのと、離島は離島でも、無人島にある灯台って、普段はポツンと立っているから、それこそ“私が行って感謝の気持ちを伝えなきゃ”って思いになるんです」と熱弁します。

そして最後に、ホランが「不動さんにとって、灯台とは?」と質問を投げかけると「私の目的地」と即答します。「灯台は船を目的地に向かわせるために立っているものなのですが、私にとっては、その灯台自体が目的地。いつ行っても“その場所にいてくれる”という安心感が重要なんです」とその魅力を語ると、ホランは「最高の男じゃないですか(笑)! 変わることなくいつも受け止めてくれる。いい存在ですよね〜」と大興奮。

そんな返しに不動さんは笑顔をのぞかせ、あらためて「変わりゆく日本、私たちの生活を常にやさしく見守ってくれて光を灯してくれる、“動じないかっこよさ”があると思います!」と力説していました。

フリーペーパー「灯台どうだい?」


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