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コラム [ 2009年度以前 ]
2009年1月28日 「御坂山系・八ヶ岳にて 国内トレーニング開始」
ヒマラヤでのトレーニングを終え帰国。高所順応トレーニングとしてはまずまず。限られた日数の中で無駄なく行えたと思う。問題は体力面。アイランドピーク登頂後、山頂からそのままディンボチェ村まで下ったが、とてもくたびれた。14時間以上歩き続けていたので、まあ〜どうであれ疲れるものですが、懸念材料は回復力の低下。次の日にナムチェバザールまで下りましたが、嫌になっちゃった。スタミナを強化しないと「8000M峰の山頂から戻ってこられないぞ!」と春の遠征までに出来る限りコツコツとトレーニングを積まなければならない。永い時間を歩き続け、バテ慣れをしておかなければ、いざ本番で究極にバテたら足が上がらなくなるもの。

ヒマラヤから戻り平賀カメラマンとトレーニングを開始。1月25日、まずは富士山の麓、御坂山系からスタート。午前7時、河口湖の湖畔にある駐車場から登山開始。川口湖〜三ツ峠山〜天下茶屋〜御坂山〜黒岳〜新道峠〜大石公園を約11時間で歩いた。出来れば鬼ヶ岳まで進んで西湖にある「森の学校」まで下りたかったが時間オーバー。次回、もう一度リベンジすることにした。それにしても御坂山系を歩きながら富士山を眺めるのはなんとも贅沢。途中、太宰治が逗留していた天下茶屋でお蕎麦を頂いた。
そう、この天下茶屋で太宰治が「富士には 月見草が よく似合ふ」を詠んだと言われている。


天下茶屋で蕎麦を頂く
それにしても愛人と自殺未遂(この時は愛人(人妻)だけが死亡)。そして1948年玉川上水にて再び愛人と自殺を図り今度は目的を完遂させた太宰治。つまり二人の女性を死に導きながら、また薬物中毒も加わるわけで、よくもまあ〜それだけやっておきながらも社会的に抹殺されなかったものだとつくづく思うものです。

黒岳山頂の手前を登る
黒岳に登頂
破風山付近からの富士山
御坂山系から下山後、その日のうちに八ヶ岳、天狗岳の登山口にある渋御殿湯に移動。渋御殿湯は僕が最も好きな温泉宿。年に何度かこの渋御殿湯に籠り疲れを癒す。



1月26日、渋御殿湯〜天狗岳〜根石岳〜硫黄岳を縦走。硫黄岳から赤岳鉱泉に下る途中、腰までのラッセル(雪をかいて道を作る)となり、これが大変。左足がズボッと潜り、抜こうとして右足で立ち上がろうとすると、今度はその右足がズボッと潜る。もう最後は雪の中を泳ぐように進むしかない。縦走も終盤で気が抜けたのか、赤岳鉱泉に降りるルートを間違え、峰の松目方面へ下りてしまった。途中で気がついたものの腰までの雪道を引き返す気にもなれず、尾根から登山道の無い場所から無理やり下ってやろうとラッセルして下りていた。なにしろ雪の中を泳ぐようにして進んでいるために時間がかかって仕方がない。17時30分を過ぎ薄暗くなってきており、焦り始める。悪戦苦闘しながら下っていたら眼の前の雪や木が突然なくなっている。よくよく前方を確認したら目の前が崖。崖のほんの数メートル手前で気がつき、おそらく2メートルほど厚い雪の上に乗っかっているので、雪ごと我々の震動で流れてしまったらそのまま崖から落ちてしまう。その危機的状態に気がついていない平賀カメラマンが後方からドカドカと降りてきたので慌てて「淳、戻れ。ここから先は崖だ!」と声を上げた。二人して出来るだけ雪に振動を与えないように登り返すのだが、なんせこの雪だ。元の尾根に戻るのに2時間近くを必要としまた体力の消耗も激しかった。そして完全に真っ暗闇に。歩けなくなればビバーク(野宿)しかない。「おい、淳、お前ダウンジャケット持っているな。最悪、ビバークだ。ただ、死ぬことはないだろうから大丈夫」と根拠などどこにもないがとりあえずそう告げた。
天狗岳山頂までもう少し
天狗岳山頂にて 平賀カメラマンと

硫黄岳山頂にて・後ろは赤岳
硫黄岳付近でのラッセル
下り口を間違えた私の完全なるミス。「登り返す時の体力の消耗を思えば反対側の谷に下りオーレン小屋を目指そうと、冬は営業していないが確か避難小屋はあったよな」とオーレン小屋を目指し、長いラッセルが続いた。20時を過ぎた頃、ヘロヘロになりながらオーレン小屋に到着。避難小屋の入口は雪で覆われていて扉が開かなかったので、また二人して疲れてはいたがまだ体力が残っていたので夏沢鉱泉を目指しさらに下った。無事に 夏沢鉱泉に到着し山小屋で暖かいお茶に牛丼を頂いた時には心底ホッとした。渋御殿湯に戻ったのは確か23時頃。朝、渋御殿湯を出発してからざっと15時間。渋御殿湯のご主人、北澤惣一さんが車で迎えに来てくださった時には安堵感に包まれていたが、ご迷惑をおかけしてしまったと自分が情けなかった。反省とこれを教訓にしなければならないと胸に刻んでいた。

渋御殿湯で癒される
25〜26日の二日間で26時間を歩いた。色々ありましたが、体はよく動いてくれた。春の遠征まで2か月を切った。一日一日を無駄なく過ごしたい。
2009年1月27日 野口健
ヒマラヤから戻り平賀カメラマンとトレーニングを開始。1月25日、まずは富士山の麓、御坂山系からスタート。午前7時、河口湖の湖畔にある駐車場から登山開始。川口湖〜三ツ峠山〜天下茶屋〜御坂山〜黒岳〜新道峠〜大石公園を約11時間で歩いた。出来れば鬼ヶ岳まで進んで西湖にある「森の学校」まで下りたかったが時間オーバー。次回、もう一度リベンジすることにした。それにしても御坂山系を歩きながら富士山を眺めるのはなんとも贅沢。途中、太宰治が逗留していた天下茶屋でお蕎麦を頂いた。
そう、この天下茶屋で太宰治が「富士には 月見草が よく似合ふ」を詠んだと言われている。
天下茶屋で蕎麦を頂く
それにしても愛人と自殺未遂(この時は愛人(人妻)だけが死亡)。そして1948年玉川上水にて再び愛人と自殺を図り今度は目的を完遂させた太宰治。つまり二人の女性を死に導きながら、また薬物中毒も加わるわけで、よくもまあ〜それだけやっておきながらも社会的に抹殺されなかったものだとつくづく思うものです。
黒岳山頂の手前を登る
黒岳に登頂
破風山付近からの富士山
御坂山系から下山後、その日のうちに八ヶ岳、天狗岳の登山口にある渋御殿湯に移動。渋御殿湯は僕が最も好きな温泉宿。年に何度かこの渋御殿湯に籠り疲れを癒す。
1月26日、渋御殿湯〜天狗岳〜根石岳〜硫黄岳を縦走。硫黄岳から赤岳鉱泉に下る途中、腰までのラッセル(雪をかいて道を作る)となり、これが大変。左足がズボッと潜り、抜こうとして右足で立ち上がろうとすると、今度はその右足がズボッと潜る。もう最後は雪の中を泳ぐように進むしかない。縦走も終盤で気が抜けたのか、赤岳鉱泉に降りるルートを間違え、峰の松目方面へ下りてしまった。途中で気がついたものの腰までの雪道を引き返す気にもなれず、尾根から登山道の無い場所から無理やり下ってやろうとラッセルして下りていた。なにしろ雪の中を泳ぐようにして進んでいるために時間がかかって仕方がない。17時30分を過ぎ薄暗くなってきており、焦り始める。悪戦苦闘しながら下っていたら眼の前の雪や木が突然なくなっている。よくよく前方を確認したら目の前が崖。崖のほんの数メートル手前で気がつき、おそらく2メートルほど厚い雪の上に乗っかっているので、雪ごと我々の震動で流れてしまったらそのまま崖から落ちてしまう。その危機的状態に気がついていない平賀カメラマンが後方からドカドカと降りてきたので慌てて「淳、戻れ。ここから先は崖だ!」と声を上げた。二人して出来るだけ雪に振動を与えないように登り返すのだが、なんせこの雪だ。元の尾根に戻るのに2時間近くを必要としまた体力の消耗も激しかった。そして完全に真っ暗闇に。歩けなくなればビバーク(野宿)しかない。「おい、淳、お前ダウンジャケット持っているな。最悪、ビバークだ。ただ、死ぬことはないだろうから大丈夫」と根拠などどこにもないがとりあえずそう告げた。
天狗岳山頂までもう少し
天狗岳山頂にて 平賀カメラマンと
硫黄岳山頂にて・後ろは赤岳
硫黄岳付近でのラッセル
下り口を間違えた私の完全なるミス。「登り返す時の体力の消耗を思えば反対側の谷に下りオーレン小屋を目指そうと、冬は営業していないが確か避難小屋はあったよな」とオーレン小屋を目指し、長いラッセルが続いた。20時を過ぎた頃、ヘロヘロになりながらオーレン小屋に到着。避難小屋の入口は雪で覆われていて扉が開かなかったので、また二人して疲れてはいたがまだ体力が残っていたので夏沢鉱泉を目指しさらに下った。無事に 夏沢鉱泉に到着し山小屋で暖かいお茶に牛丼を頂いた時には心底ホッとした。渋御殿湯に戻ったのは確か23時頃。朝、渋御殿湯を出発してからざっと15時間。渋御殿湯のご主人、北澤惣一さんが車で迎えに来てくださった時には安堵感に包まれていたが、ご迷惑をおかけしてしまったと自分が情けなかった。反省とこれを教訓にしなければならないと胸に刻んでいた。
渋御殿湯で癒される
25〜26日の二日間で26時間を歩いた。色々ありましたが、体はよく動いてくれた。春の遠征まで2か月を切った。一日一日を無駄なく過ごしたい。
2009年1月27日 野口健
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