2017.08
11

【学生コラム】次の“幸せ”を求めて

こんにちは 東京大学経済学部の3年の中條武です。
中条あやみさんとか中条きよしさんとか有名な方はたくさんいますが、
僕は中條って書いて、「ちゅうじょう」です(笑)

夏ですねー。
先日、図書館で本を借りようと夏休みになってから久しぶりに大学に行ったら、
キャンパスには大学生よりもオープンキャンパスに来た高校生の方が多かったです(笑)
気のせいかも知れませんが、キャンパス全体に若々しい雰囲気が立ち籠めて、
キャンパスの木々もテスト期間の時よりも鮮やかな気がしました。



実は僕も先日、母校の高校生と大学見学のためのキャンパスツアーを開催しました。
炎天下の中、キャンパスを練り歩いたのでへとへとになりました、、、
そんな自分を横目に、大学のキャンパスに心躍らせ、闊歩する高校生をみると自分も年を取ったなと、、、

あ、ちなみに僕、8/13が誕生日なので、プレゼント絶賛受付中です!(笑)


で、本題に戻すと
高校生とキャンパスツアーを回った後、
座談会と称して、高校生が受験勉強や大学生活について、僕たち大学生に質問する時間がありました。
僕は歩き回ってへとへとだったこともあり、自分はその時どんな質問があったかを、ほとんど忘れてしまったのですが、
一個だけ鮮明に覚えてる質問がありまして、

それが

「何故そんなに勉強していたのですか」

天才でもなんでもない僕は、受験期には毎日10時間は勉強していました。
確かに今考えると、毎日毎日、10時間も費やせるってすごいなと我ながら思ったりもするわけです。

で、「何故そんな勉強してたか」

そのまっすぐな質問に
「東大に行けば可能性が広がりそうだったから」みたいな、
ふわっとした月並みな回答は似合わない気がしたし、
「勉強が好きだったから」とか適当なうそをつくこともあれだったので、

「ちょっと待ってね」と時間をもらい、何秒か考えた後に僕は回答しました。

「勉強を頑張ることを善とする虚構の中にいたから、、かな、、、」

僕の母校は地方の高校で、その地域では進学校でした。
今になってこそ分かることですが、先生も生徒も、保護者だって、ほとんどの人間がその虚構の中を生きていました。
勉強して“いい大学に行く”ことが善という虚構。

その虚構の中にありながら、そのことに疑問を呈したその質問は、
まっすぐでありながらも震えていました。
虚構から逸脱するが故の不安から震えていたのかもしれません。



今、世界の多くの人が資本主義という虚構、
経済成長や貨幣を善とする虚構のなかを生きています。

もちろん、全ての国ではありませんが、
産業革命以降、この目に見えない虚構が、絶対的な価値規範になっています。



他国と比べる時はGDPを指標にし、
二人の男を比べる時は年収を指標にしたりしてきました。

震災以降の流れなのか、大人がカテゴライズした「ゆとり」「さとり」の文化の所以か、
昨今、「給与よりも休日を望む若者が増えた」「出世を望まない若者」を
ニュースで見聞きすることもありますが、
それでも僕たちが生きる社会では、
まだ強く、人々は資本主義の虚構の中にいると実感しています。

今まではそれでよかったかもしれません。

でも、近いうちにAIが社会に張り巡らされる日がやって来るでしょう。
そうしたらAIがあらゆる仕事をこなし、人は余暇をむさぼるだけになるかもしれません。
そんな世界、嫌だけど嫌じゃない。

その世界では年収って誰が決めるのでしょう?
または、年収という概念すらないかもしれません。
ではその世界では何が善とされるのか。
何に価値が置かれるのか。人々が求めるものは何か。
AIが来た後の世界では、どんな幸せが善とされるのか。


ヒントは待ってても得られるものではないかもしれないですね。

https://www.tfm.co.jp/fes/form/

(文責:東京大学 経済学部 3年 中條武)

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