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20.04.02
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家族と過ごした大熊町からのレポート 木村紀夫さんの今


福島県双葉郡大熊町 木村紀夫さん。ご自宅は、大熊町の帰還困難区域の中にあります。震災・原発事故によって自宅のある土地への立ち入りが制限される中、木村さんはこの9年、ずっと避難先から大熊町に通い続けてきました。理由は、津波で失った次女・汐凪(ゆうな)ちゃんを探すため。そして、幼い汐凪ちゃんが過ごした証でもあるこの土地を守っていきたいという想いがあるからです。


「ここは福島第一原発から南に3キロちょっとの海岸沿い。帰還困難区域でもありますし、さらに中間貯蔵施設のエリアの中にあります。実は今、汐凪はまだ2割ぐらいしか見つかっていないんですね。それで、この辺にいる可能性もあるのでお願いだからちょっとここはいじらないでくれとお願いをしているんです。」

2011年3月11日。大熊町を襲った津波により木村さんの自宅は流され、木村さんの父・王太郎さん、妻・深雪さん、次女・汐凪ちゃんが犠牲となりました。翌日、大熊町は避難指示が出され、津波を逃れた母親と長女とともに行方不明の家族を残し、大熊を離れるという選択を余儀なくされたといいます。

その後も木村さんは帰還困難区域の自宅付近を捜索し続け、そして2016年の年末、自宅の近くに積み置かれた瓦礫の山から、汐凪ちゃんの遺骨の一部を発見。原発事故から5年余り。この時木村さんは51歳になっていました。

そこから3年が経った今年、2020年2月。番組は汐凪ちゃんが発見された現場を木村さんに案内していただきました。


「ここです…この土手の下あたりから見つかったんです。震災の年の5月下旬、2週間ぐらいここで自衛隊が片付けと捜索をやったんです。片付けといっても瓦礫を持ち出して処分するのではなく、何か所かに山にしておいたんですね。ここがその一か所で。そこから遺骨の一部が見つかったと言う。だから想像でしかないんだけど、自衛隊に気がつかれずにがれきと一緒に運ばれて、その間にバラバラになっちゃったのかなと思っているんですけど。(ここで遺体の2割が見つかった?)そうです。だから残りがどうなっちゃったのか。
ただ見つからないというのは残念な反面、これから次につなげていくという意味では、汐凪から「ここに戻ってきてね」と言われているような気がして。汐凪は人が好きだったので、たくさん人が来てくれるような、慰霊の場所みたいにできれば良いなと思っています。ある意味1000年先にここで津波があるときに、慰霊碑が役に立つ時が来るかもしれないし。」

2016年時点で、大熊町で唯一の行方不明者だった汐凪ちゃんはこうして発見されましたが、木村さんはいまも田畑や海岸沿いなどで捜索を続けています。


「汐凪は全部は見つかっていないので、このへんの田んぼの捜索ですね。海岸沿いは歩くくらいしか、目視ぐらいしかできないですね。いまはもう防潮堤を作るためにもとあった壊れた防潮堤を撤去しているんですが、もしかするとその体の一部がそこにある可能性もあるし、その可能性があるテトラポットの上に防潮堤を作るということに対して、いまのこの状況の中で異を唱えられるのは俺しかいないような気がするんですよ。9年経つんだから、そういうこともぜひ考えて欲しいなと思って。
たぶん全て汐凪が見つかっても気持ちは整理されないと思います。ほっとするとは思うんですが、起きた事は変わらないし。だけどそれで元気になるとか気持ちが変わっていくというのはないと思います。でも俺の中では、この場所をある意味、汐凪のお墓と考れば全部、それで整理がつくような感じです。だから余計にここをいじる、造成するという状況にはできれば持っていきたくない。」

いまも汐凪ちゃんを発見できる可能性のある、大熊町の自宅周辺の土地。木村さんはそこを「汐凪のお墓みたいなもの」と考えています。この場所は、放射性廃棄物の中間貯蔵施設の建設地になっていますが、土地の明け渡しをめぐる問題はいまも続いています。


「たぶん3人が犠牲になっていなかったらおれも大熊に戻ってくることはなかったかもしれないですね。ただね、こういう状況になったので、ある意味これからも大熊と関わって行かなきゃならないし、外の人に見てもらうこともやりたいんですよ。ある意味 特殊なところじゃないですか、ここって。津波と原発事故があって。世界中どこを探してもここしかないと思うんですよ。それはある意味、原発って今の世の中の象徴みたいなもので、便利な反面そういう危うさもある。それを知らずにその中で生きるよりも、知ってその中で生きていく方が、じゃあ自分もちょっと節電してみようとか、そういうところにつながるような気がするので、そういう学びというか提案ができる場所に、復興公園も含めて、できれば良いなと個人的には思っています。」

木村さんは、長女が東京に進学、独り立ちしたことを機に、避難先だった長野県を離れ、より大熊に通いやすい福島県いわき市に移転しました。


「仮の住まいは、いわき市です。中古の住宅、一軒家を購入しました。ただ8年ぐらい誰も住んでいなかったので電気はそのまま購入せず。電気はないです。ソーラーパネル1枚。必要のないものをどんどん省いていけば別に何の問題もないですよ。生きていく上では。今の自然エネルギー自体、この辺もそうだけれどもソーラーパネルがいっぱい並べられていて、山をわざわざ崩してそこに並べているところが結構あって、それが本当に良いのか? パネルが将来、30年後ぐらいに全部ゴミになったときにそれを処分できるのか、再利用できるのかというと、それはまだできない状況だという中で、それも原発の最後と一緒みたいな感じがして。それは違うなって。最初に考えなきゃならないのは、いまそれは本当に必要なんですかというところから考えなきゃならないなと思い始めて、今の住まいがあります。それはある意味、これから何をやっていこうかなというような中で、やらなきゃいけないことをいろいろ汐凪に用意してもらっているような気がする。余計なことしやがって(笑)と思う反面、やらなきゃなとも思うし。それが、いま生きている意味になっているんだよね。」

木村さんの大熊の自宅周辺は、中間貯蔵施設の「緑地緩衝地帯」になる話だそう。そこで木村さんは政府に対して、復興公園にするという案をこれから提案したいと話しています。

震災当時45歳だった木村さんは、今年54歳になります。





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