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20.07.02
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西日本豪雨から2年、広島県の被災地をたずねて


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。

今週のテーマは、『西日本豪雨から2年、広島県の被災地をたずねて』

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「いま広島県坂町の小屋浦地区に来ています。広島市内から車でだいたい20分ぐらいのところですかね。走って来る途中、海も見えて、港も見えて、いま歩いているのは、ちょっと川の音が聞こえるかもしれないんですが、2年前の西日本豪雨の時に土砂が溢れた川ということで、2年経ってるんですけども、まだ護岸工事がされてますし、ちょっと先に歩いて行ったら家の横にまだブルーシートが張られているところもあったので、2年経ってももうちょっと時間がかかりそうなのかなという感じがします」



2018年6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に、広い範囲に被害をもたらした「平成30年7月豪雨」、別名「西日本豪雨」。その後も去年秋の台風被害など、大きな災害が続いて、西日本豪雨の被災地の復興状況、現在は報道されることも少なくなっていますが、あれから間もなく丸2年を迎えるということで、私たちは今回、とくに被害が大きかった広島県の坂町と、呉市安浦町の市原という集落を訪ねました。

まずは、2年前、町を流れる天地川上流の砂防ダムが崩壊、大規模な土石流が町をのみ込んだ、坂町の小屋浦地区。海と山に挟まれたのどかな集落。海岸線に国道と鉄道が走り、瀬戸内らしい風景が広がる町です。被災の爪痕は一見目立ちませんが、町を歩くと、更地になった宅地や、再建中の建物、また川幅10メートル程度の天地川も護岸工事が続いました。流量も少ないあの穏やかな小川に沿って、山から土石流が流れ込んだというのは、今はとても想像できません。


(2019年7月撮影)

そんな小屋浦地区で、昭和47年からご商売を続けている老舗のお好み焼き店が、現在76歳の福井昌子さんが営む、「福水」です。

2年前のあの日の様子など、福井さんにお話を伺いました。

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福井)2年前、私は寝ていて朝方だったですかね、何か冷たいなと思ったら水がずんずん来てて、ああっと思って2階上がった。冷蔵庫やテレビなんかみんな流されて、そこまで水が来たんですよ、そこに柱があるでしょ。

高橋)私の背ぐらいなんで160cmくらいですね。じゃあ今右側に鉄板が見えてますけど、鉄板とかも完全に?

福井)みんなダメ。でもこれ(鉄板)重たいからね、これは流されなかった。

高橋)ご家族は大丈夫だったんですか。

福井)家族は二人しかいないんです。主人は田舎に入っていて、私1人がいて災害にあって。私はボートで青年団が助けてくれたんです。はしごをつくってもらって。大変だったんですよ、本当。

高橋)どれくらいでお店再開されたんですか。

福井)3ヶ月。10月15日に開店したんです。忙しかったんです、ボランティアの人がいるでしょ?食べるところがないから結構忙しかった。

高橋)お店をやめようとは思わなかったんですか?

福井)この鉄板がなかったらやめようと思ったんです。もう50年やらせてもらってるんだから、これが潮時かなと思ったんですけど、どうもなかったから。鉄板があるんだからできるじゃないですか。じゃあ始めようかといって。それにみんなが「早くしろ、早くしろ」と言うから。それでしたんです。

高橋)小屋浦の復興状況とか“変化”ってどうですか?

福井)まだ空き地が多いでしょう?流れされてね。保育所は新しくなるけど保育所の前が氏神様でしょ?あそこの下、いまは更地だけど、みんな家があったんですよ。家があるところとないところとありますけど水の加減なんでしょうね。家がないから人もいないし。みんな仮設住宅に行くでしょう?昔みたいなことはないですね。不景気になりましたよ。まあもう年だし、座っててもぼちぼちボケない程度にしてるんですよ。でも昨日かおとといだったですかね、ボランティアの人が安佐南区から来て、その人が、「辞めたらいけんけえ」と言って、2〜3人連れてお好みを食べに来てくれたり協力してくれてますよ。ありがたいことです。

高橋)お母さんに会いに来るんでしょうね。

福井)ふふ。あとお好み焼きを食べにね。


そんな福井さんが一人で切り盛りする「福水」。タネを混ぜ込んで焼く、関西スタイルのあのお好み焼きとは違って、薄生地にミルフィーユみたいに具材を重ねて焼く「広島焼き」です。お店のメニューのなかでも“高い方”の「そば肉玉イカ天」でも650円。ワンコインのメニューも多くて、良心的というか、昭和の面影が残るような、庶民的なお店です。コテからそのまま頬張る「そば肉玉イカ天」、小躍りするほど美味しかったです。

坂町ではこの春に災害公営住宅が完成して、復旧復興はさらに一歩、前進しましたが、住民の減少や、今のコロナ禍の影響による人の往来の減少もあってか、人通りはまばらでした。顔ぶれの変わった地域を、どう再生し、活性化していくか。今なお課題は山積していると言われますが、それでも「福水」さんには、取材中にも注文の電話が鳴って、福井さんは忙しそうに焼き続けていました。

広島市街からも車で20分程度の坂町。ぜひ訪ねて、「福水」のお好み焼き、味わってみてください。ただし午後2時閉店です。


続いて私たちが訪ねたのは、広島県呉市安浦町の市原という集落です。


2年前の西日本豪雨で大規模な土石流、河川の氾濫が発生した、広島県呉市安浦町の市原地区。棚田の風景が広がり、“ホタルの里”としても知られる、のどかな集落です。訪れたとき、いくつかの田んぼには植えられた早苗が風に揺れ、オタマジャクシが元気に泳いでいました。ただしよく見ると積み上げられた土砂や重機、耕作をしてなくて雑草に埋もれた田んぼもありました。

高齢化が進む農家。被災を機に離農してしまったり、それが集落の過疎化を加速させたりといったことも、いま各地で課題となっています。この市原地区ではどうか。

呉市まちづくりサポーターで、安浦町観光協会専務理事の、山田賢一さんに、お話を伺いました。

◆◆

山田)2年前ちょうど山の谷筋が土砂崩れでそこの谷筋が全部埋まりました。目の前にある田んぼも全部埋まっていました。まっ茶色です。その先にダムがあるんですが、ダムの堰堤も山側の所の道路が全部壊れたりして、自治会長さんが村がなくなると当時叫んじゃったんです。

高橋)今目の前の景色は棚田が綺麗ですし そのお城の守りもすごく綺麗ですしそんな災害があったなんて分からなくなっているかなと思うんですがちょっと脇に目をやると土嚢がまだ積んである場所があったり重機がある場所もあったりしますね

山田)まだまだ田んぼの整備とか水路の整備が出きてないところがあるんで、それは残った人らが相談しながらどうやって行くか県や市と相談して今田植えをして、それからほとんどがもうできないと言って田植えを止めている人が多いです。70歳以上がほとんどですから、後を継ぐ人がいれば直してちゃんとしていきたいけど、もう都会に行って帰ってこないというところはもうこのままでいいと。

高橋)もともとこの地区というのはそういった災害がある地域だったんですか

山田)いやここは小さい崩れはあってもあれだけ埋まるようなことはまずない、いちばん安全な場所です。それだから余計みんなここの市原がやられたというのはびっくりしたんです。これもやっぱり昔の生活で言うと、山に入って落ち葉を拾ったり、色々山を手入れしながら生活をしてきたから、山がそんなに荒れないんですよね。だけど今はそういう生活もしなくなって、ガスとか電気とかでぜんぶ調理できたり色々するでしょう。そうなってくると薪とか落ち葉なんかを拾わなくてもいいし、わざわざ山菜を取りに行っておかずにしようという人もだんだん少なくなるし、ちょっと先ではたけのこがいっぱい取れたけど、たけのこもいいかといって、だから竹やぶが多くなったりする。そうすると山の土が浅くなって、土砂が流れやすくなる。そういう山の自然のことが巡り巡ってそういう災害を起こしているんですよね。一旦人間が手を入れたところは、人間が手を入れながら生活していかないと、やっぱり土砂崩れの原因を作ったり、治水なんかができなくなったりするんで、そういう循環する大きな課題があるんですよね。色んな意味で気持ちを持ち替えて、避難場所とかそういうところは見直していって、県とか市に言って、こういうところを直してくれとか、そういう手当は一生懸命皆と相談しながら、いま現在進めている状況です。見直しをしていかないと今までとは雨の降り方が違ってきてるし、だからこの下に行くとダムがあるんだけど、ダムができたのも治水と利水を兼ねたダムを昭和50年の初めに完成させたんだけど、そのダムも通用しなかったというようなことがあるんでね。


(写真:安浦町まちづくり協議会提供)

山田)それからだんだみんな高齢化で、動けると思っても動けないんですよ。そうすると手っ取り早く垂直移動しかないんですよね。2階に避難する。そして道路は寸断されるから、車が動けないということがありますので、避難するんだったらレベル2とか、早いうちに避難場所へ行っておかないといけない。そういうところはだいぶ考え方が変わってきたんじゃないかなと思います。

高橋)2年が経って、見た目では復興が進んでいるようにも見えますが、復興状況は実際のところまだまだといった感じですか?

山田)見えるところは綺麗になっているんです。だけど砂防がまだできてないという地区もあるし、川も堰堤が直っていないとか、なかなかが難しいんですよ。どこも工事ばっかりで業者がいないので進めたくても進めない。だいたい7割くらいかなという感じです。ここの地区の自治会長さんとちょっと話をしても、半分ぐらいの人がいなくなったそうなんです。それで自治会長が何とかしようと言って、いま頑張っておられます。呉も西で行くと天応から安浦が一番東の端なんですよ。これだけ面積が広くなると合併して俯瞰で呉市全体を見て行くの 必要なんだけど、今は地域ごとでいろんなことを考えて手を打っていきましょうと。それぞれの地域でいろんな話し合いを今している段階です。


市原地区。西日本豪雨の前は、24世帯のうち23世帯が農家。現在、自宅に戻っているのは半数以下で、農業を再開しているのは数世帯ということ。いま集落存続のため、圃場整備やバス路線など交通整備の話し合いが行われていますが、具体的な方針はまだ示されていません。

もともと災害の少なかった集落に起こった土砂災害。例のない降雨量など気象状況の変化だけでなく、“人が手を入れた山を放置したこと”が原因になっている面もある、というお話が印象的でした。

森と棚田の緑のグラデーションに蛍が飛び交い、カエルや鳥や虫の声が響く、夢のようにのどかな集落。古民家をカフェや宿などにして開放すれば、多くの人が足を運ぶと思います!なんて話も、山田さんと交わしながら。

あれから2年。広島をはじめ、西日本豪雨で被災した町は、まだ復興の途上にあります。

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来週は、広島取材の後編。コロナ禍の影響で今は観光面で大打撃を受けていますが、来週の後編では、広島県呉市の風光明媚な島、倉橋島からのレポートをお届けします。来週もぜひ聴いてください。

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