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21.01.14
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陸前高田 〜 10年の時を刻む、新たな地域の象徴とともに


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、

「陸前高田 〜 10年の時を刻む、新たな地域の象徴とともに」。

東日本大震災から間もなく10年、各地で復興事業が大詰めを迎えるなか、死者行方不明者約1800人、津波による被害世帯は全世帯の約半数、地震被害を併せると全世帯の99%が被害を受けた陸前高田市も、宅地造成が完了し、「高田松原津波復興祈念公園」などの施設も完成、復興事業が終盤を迎えています。

今回は、代々続く生業の再生と共に、地域の復興に尽力してきた、老舗醸造店の9代目と、生まれ変わった新しい陸前高田を巡ります。


まず最初に訪ねたのは、かさ上げされた高田地区の中心となるショッピングモール、「アバッセたかた」。ここで私たちを迎えてくれたのは、創業から200年を超える歴史を持つ老舗醸造店、「八木澤商店」9代目代表の河野通洋さんです。

◆◆

高橋 アバッセたかたと書いてありますがここはどういった場所になりますか。

河野 ここはもともと海辺にあった商業施設をここで再建させたんですけど、主に陸前高田市民が利用する普段使いする場所として、スーパーマーケットがあったりドラッグストアがあったり洋服店があったり、あとは本屋さんとかそういった所が集まっている商業施設です。それと図書館を併設させて、図書館の方でもカフェのものを買って持ち込んでくつろげるよう形になっています。木をふんだんに使ってあって、雰囲気もめちゃくちゃいいです。

高橋 住民の方は喜ばれたんじゃないですか。

河野 そうですね。だからしょっちゅういますよ誰かが。子供からお年寄りまでみんなそこで勉強したり、勉強という名を借りたデートをしたり。

高橋 もともとここは、震災以前はどういった場所だったんですか。

河野 ここは震災以前の地べたから10メートルかさ上げしているんです。ここは元々は市役所があった辺りですね。

高橋 海からもすぐ近い場ですが、10メートルかさ上げしていつここはできたんですか。

河野 3年前ですかね。ここが陸前高田の中では先行地域として始まって、今日ご案内する今泉というもともと八木澤商店があった場所がかさ上げが終わったので、それでかさ上げの方は完了です。


もともと市の中心地であった高田地区を、10メートルもの大規模なかさ上げをして市街地を再生。2017年に、スーパーやドラッグストア、カフェ、図書館が一体となったショッピングモール、「アバッセたかた」はオープンしました。当時はポツンとここ一軒だけでしたが、いま周辺に徐々に店が増えて、公園や交流施設もオープン。若い人が営むおしゃれな店などもありました。

宅地の造成や、こうした商業地、商業施設の再生が進む一方、金融機関や医療機関などの生活インフラはまだ整っているとはいえず、利用されている民有地にしてもこの高田地区で25%、今泉地区で19%、まだ空き地が多い状況で、人口は震災前に比べて2割減と、にぎわいの再生にはまだ課題が多いのが、陸前高田の現状です。

そんな陸前高田で、震災直後に“まちづくり会社”を立ち上げて、町の復興に取り組んできた一人が、河野通洋さんです。

かさ上げされた高田地区の一角で、現在の陸前高田について、お話を伺いました。




河野 ここはすぐ脇にBRTという、JRが廃線になったのでJRさんがやっているバスの駅があって、そのわきにアムウェイさんが市に寄贈した隈研吾さんが設計した建物があるんですけど。

高橋 木がふんだんに使われた立派な建物ですね。

河野 ここに子育て施設とか観光協会とかカフェとかそういうのが中に入っていて、陸前高田に来た人が陸前高田の木に触れるみたいな場所になっているところです。

高橋 その建物を背にして海側の方を今望んで見ると、本当にだだっ広い更地が広がっていてその向こう側に堤防があってその先が海という風景ですが。

河野 もともとここに街があったんですよね。駅もその辺だったんですけど、それがなくなって、それの半分が10メートルのかさ上げになって、今立っているところがですね。で、これから下のだだっ広いところは半分は農地になると思うんですけど、まだ決まってないですね。

高橋 そうですよね。震災前は町があって、人が住んでいたところがあって、でも今は住んではいけない地域になっているんですね。

河野 そうです。かさ上げしていないので住宅を建ててはいけないんですよこの下の場所は。だから運動公園だったり、運動公園もいま国営公園になっているので

高橋 左手に見えますけど、野球場みたいなフェンスがあるところですか。

河野 はい。あれは楽天の二軍の球場になっています。で、そっちにサッカーコートがあるんですけど、これも川崎フロンターレが半分スポンサーみたいな形で見てくれているサッカー場があるんですよ。陸前高田は本当に色んな団体とかいろんな地域の人たちに助けて頂いて成り立っているので、それでできた繋がりで今も子供達にサッカー教室をやって頂いたり野球教室をやって頂いている感じです。

高橋 じゃあそういう運動公園ができたということはスポーツツーリズムじゃないですけどスポーツをするために来る方もたくさん増えてきますかね。

河野 そうですね。いま若手の陸前高田の起業家というか団体のメンバーがパラスポーツの誘致をしようと。パラスポーツとeスポーツを融合させたものの誘致をしようということで、陸前高田市として、ブラインドサッカーとか車椅子バスケットとか、そういうふうな競技の合宿とか、あとは大会を市として受け入れます、ウェルカムですという風にしているので、ここだけ見えるとこだけじゃなくて、広田半島のほうに野外活動センターという施設もあって、もともと震災記念公園があった場所というのは野外活動センターというスポーツ合宿の施設だったんですよ。

高橋 じゃあもともと盛んだったんですね。

河野 陸前高田は陸の孤島と言われていましたから、スポーツ合宿のメッカというか、遊びに行くところがないんですよ。でスポーツ合宿がきつくて逃げ出そうと思っても逃げ出せないんです(笑)。なので東北にある大学とか高校の部活をやっていたメンバーは、陸前高田は地獄のイメージしかないはずです(笑)。

高橋 そこにeスポーツも入ってくるのはすごいですね。

河野 そうですね。eスポーツすごいですよね。すごいですね・・・というほど自分はeスポーツを分かってなくて、まるでわかったように喋ってますけど、テレビゲームだろと言ったら「もうだめだねおっさんで」と言われましたけど。

高橋 じゃあそういうのを推進している人達は若い人が多いんですね。何歳くらいの方が多いんですか。

河野 30代20代ですね。Iターン Uターンのメンバーです。そのメンバーが去年、日本最大の花火大会を開催したり・・・

高橋 知らなかった方が多いと思うんですが、日本最大の花火大会が行われたんですね。

河野 陸前高田でやったんです。“日本最大”というのは他はやってないからというのもあるんですけどね(笑)。

高橋 でもすごい数が上がったんですよね。

河野 そうですね1時間で1万発以上上がったので、それは規模的にはすごかったです。でそのメンバーも震災後陸前高田のために何とかしようと入ってきてNPOを立ち上げたりしてきたメンバーなので、すごい苦労してきているんですよ。このコロナで例えば外から修学旅行の誘致を何千人ぶん用意していたのが全てキャンセルになるので、その売り上げたるや億になりますからね。それが0になるとか。あとは大学生とかを招いて新しい起業家を育成するプログラムChange Maker Study Programといったものを組んでいるのも、これも何百人といたのが全部キャンセルになると。そういう中で、ふつうだったら陸前高田に縁もゆかりもない人が多いですから、逃げ帰ろうと思えば帰れるんです。でも諦めないんですよね。諦めない。それで何かやらなきゃと言ってやったのかこの間の花火大会ですから。

高橋 被災地って人口流出の問題だったり高齢化の問題があるじゃないですか。もちろん陸前高田にもあると思うんですけど、そんな中で諦めない若い力が動いているってものすごいパワーになるんじゃないですか。

河野 自分は若手の代表のつもりでいたんですけど10年前は30代でしたから。30代の時は若手の代表でいられたんですけど、ややもうおっさん、ややじゃないですねがっつりおっさんになっているので、ちょっと寂しいなと思って(笑)


高橋 すごい木がふんだんに使ってあるモダンな建物ですね。

河野 これはですね12月17日にオープンしたばっかりの発酵パークCAMOCYです。ここは陸前高田の今泉という町でもともと八木澤商店があった場所なんですね。で八木澤商店の向かいも味噌醤油屋、裏も味噌醤油屋だったんです。発酵食品を作る時に小麦を炒ったり大豆を蒸したりお米を蒸したり、そういう香り、あとお醤油の火入れをしたりという風なことで、発酵食品を作っている音か香りとか温度とかそういう風な事ってすごく大事だったんです。ただ震災で99%この街は壊滅してしまって、で9年経ってやっとこの街は嵩上げが終わったので、その間に半分の人たちはこの街から離れて別な場所に住んでしまったので、そういう意味でいうとこの町でまた発酵の音とか香りがしてきたら、どうしても外に出なきゃいけない理由で出てしまった人たちがいい香りがするとかいい音がするなとか、祭りの時だけは戻ってきてもそういうふうなことを感じられるようなことで、発酵をテーマにした商業施設を地元の仲間たち7社と一緒に作りました。



創業から200年を超える歴史を持つ老舗醸造店、「八木澤商店」の9代目代表、河野通洋さんが次に私たちを案内してくださったのは、「陸前高田 発酵パーク CAMOCY」です。

もともと醸造業がさかんだった今泉地区に出来た、「発酵」をテーマにした施設で、発酵定食、発酵デリ、パン、チョコレート、クラフトビールなど、発酵なしには作れないものが勢ぞろいしています。女子には間違いなくテンション↑場所です。

訪ねたのはオープン翌日の12月18日、しかもお昼時だったので、館内はたくさんの方で賑わっていましたが、中をちょっと覗いてみました。

◆◆

高橋 このパンの香り、そとまで来てました。

河野 このパン屋さん、あのおじさんが全体の社長でもあります。自動車学校の校長先生です。パンを作っている人達は東京とかからUターンとか完全にこちらに移住してきた職人の人たちです。若い女性のスタッフばっかりですけど。

高橋 入って左手にパン屋さんがあって、そして奥に来たら・・・かわいい木の机がいっぱい並んでてあって、皆さんご飯食べていますし、いろんなお店がありますね。楽しそう。定食もありますね。

河野 ここがうちのお店で、発酵をテーマにした「発酵食堂やぎさわ」と言って、いろんな発酵食品を炊きたてのご飯にのせて食べていただくお店です。

高橋 美味しそうですね。メニューを見ていたら豚ロースのもろみ焼きご飯とか南部鳥のステーキご飯、塩麹鮭のはらこ飯とか・・・!

河野 ちなみにこのはらこの醤油も全部うちのものです。この南部鳥のステーキも三升漬といって東北の辛い調味料とイタリアのバルサミコを合わせたものをソースにしているので、新しい発酵食品の可能性を提供しています。

高橋 発酵食品を使った定食みたいな感じですよね。しかし今日もずっと観光課の方にお話を聞いているような感じで来てしまいましたが、お味噌とお醤油を作っていらっしゃって、震災前はもちろんお店をやっていらしたんですよね。

河野 店舗はありましたけど飲食店はやってませんでした。さっきの「アバッセたかた」に開いたカフェというのは、もともとこういうのをやりたかったんですけど、ここに至るまでにやっぱり軽飲食をやろうということでトレーニングを積んで、で、今回本格的に和食のお店を出そうと。和食の基本は発酵食品なんです。



そういって河野さんが指さしたのは「かつお節」。お出汁はもちろん、味噌も醤油もそう、日本の味には、“発酵”が欠かせないんですね。あとチョコレートだったりパンだったり、発酵食品の奥深さを知ることも出来るのが、この「CAMOCY」です。

そんな「CAMOCY」をひと通り見学して、引き続き、河野さんのお話です。

◆◆

河野 昨日オープンだったんですけど、ものすごい人が入って、ほぼ地元の人なんです。おじいちゃんおばあちゃんが多いです。おじいちゃんおばあちゃんの目が子供の目になっているんですよ。

高橋 だからそれってさっきおっしゃっていましたが、震災前の発酵の記憶というのが蘇ったりするのかもしれないですね。

河野 その顔を見ていたら本当に嬉しかったですね。

高橋 震災後にできた新しいテーマパークとか商業施設って、県外からの方が楽しいものが多かったりするイメージがあるんですが、地元の方も外からの人も一緒にワイワイ楽しめる場所って素敵ですね。

河野 地元の人が「おらが村にはCAMOCYがあるんだぞ」みたいなね、それが何より大事なんですよ。昨日はそういう話でしたずっと。

高橋 しかもこの建物でこれだけ楽しいと思ったけど、これで終わりじゃなくてオーガニックパークがこれからできていくと。

河野 そうです。うちの味噌工場も3月に完成する予定なので、そういうのも見えたり、うちの向かいにあった味噌工場はCAMOCYの向かいに今あります

高橋 そうですよね。また本業を忘れてしまって観光課の方にお話を聞いているつもりになっていましたが、本当に元々は味噌や醤油を作られていて、震災で全て流されてしまったんですよね。

河野 そうですね。工場が二つあって、それが全部流されて、震災の翌年にお醤油を作る工場を隣の一関市に建てさせていただいて、そこでお醤油とか醤油の加工品の醸造をやってきて、陸前高田の人たちに、“八木澤商店、陸前高田じゃないところに工場を建てやがって”みたいな所があったんです、正直言って。で、ずっと待ってたんですよ。このもともと自分たちの工場があった所が建てられるようになるのを。で、念願の9年目にして、かさ上げが終わって建てていい状態となったので、ようやくここで自社の仕込みができるなと。

高橋 10年って感慨深いんじゃないですか。

河野 そうですねやっぱり嬉しいですよね。で、すぐ近くにこのCAMOCYがあって、もう一つもともとうちの工場の裏にあった「大肝入屋敷」という茅葺き屋根の400年続く座敷があったんですよ。それも再建することに決まって、我々地元の人間たちは“大庄屋”と言っていたんですけど、まわりに味噌醤油屋の土蔵の蔵が多かったのは、実はその大肝入屋敷を火災から守るためだったんですよ。庄屋さんたちのまとめ役が大肝入屋敷でなので、それがシンボルだったんです、今泉の。その建物が戻ってくるというのは、我々にとってはシンボルが戻る。資料館に今度はなるので、震災後亡くなってしまったこの地域のお年寄りの人たちのいろんなコメントとか動画で残っていたりするので、“この街はこういう街だったんだよ”と言うのを聞くことができると。じゃあまたそういう町に戻していこうということになるんですよね。そういう風なことを地元の子供たちが触れられたり、ここに見に来た子供たちが津波のことだけを学ぶんじゃなくて、防災のことだけを学ぶんじゃなくて、発酵のこととか微生物のこととかオーガニックのこととか、オーガニックは土作りも全部微生物ですから、そういう風なものと共生しながらいかに多様性に富んだ持続可能な街をつくるか、それも楽しみながらね。で、花火大会をやるやつもいるeSportsをやる奴もいるでしょ、微生物みたいに多種多様なんですよ(笑)。

さっき途中で邪魔しに来たパン屋のヒゲのおじさんはここの代表取締役なんですよ。自動車学校の校長先生。一緒に“まちづくり会社”を震災の年に立ち上げたんですね。「なつかしい未来創造」という起業家を生み出すための会社を立ち上げて、10年で解散するというふうな、株式会社なのに当初から解散すると言っている会社ってないと思うんですけど、10年で雇用を生み出して、新しい価値を50社生み出して500人の雇用を生むということが目標だったんですけど、その集大成がここなんですよ。年寄りから若い人たちまでみんなさっきやり取りしたのでもわかるように家族みたいな感じがするじゃないですか。自分は家族だと思っていたんですけど、そういうふうな関係性が小さい町だからこそ出来上がっていて、それがとても素敵だし、時々喧嘩をしたり仲直りをしたりで、一緒にお酒を飲んで、そういうふうなことを10年前に実は描いていたんですよ。もう絵にしていたんですこれを。

高橋 10年前は全部流されちゃった一番しんどい時ですよね。その時にも描いていたんですね。なんで描けたんですか。

河野 自分たちのビジョンとして、この街をこうしていきたいねというのが震災前からあったからです。持続可能な社会をどうやって作るかと、我々中小企業の経営者が集まって。震災前のスローガンはこの町で一社も潰すなと。解雇者を一人も出すなと。それくらい地域が衰退していたので、子供たちに希望を持たせるような活動をするというのが我々のスローガンだったんですよ。良い町にするんだって。世界に誇れるような街にするんだという風なことを言っていて、津波でザバっとだったんです。仲間はたくさん亡くなりましたけど、震災の一週間目で、“10年後、世界から賞賛されるような街になります”というのをテレビの生中継で発信をして、ものすごい自分は叩かれたんですけど、その時思い描けていたのが今この形にほぼなっています。


震災前から、過疎の問題に直面するなか、小さい町ならではの魅力づくりを考えていたという河野さん。震災後は家業の再生とともに、若い世代を地域につなぎとめるため、事業を打ち出したり、学校をたずねて子供たちに地域の魅力を伝えるなどの活動を続けてきました。そして今・・・

“おっさん扱いされて寂しい〜”と河野さんは話していましたけど、その顔はどこまでも嬉しそうでした。

「Hand in Hand」、今日は「陸前高田〜10年の時を刻む、新たな地域の象徴とともに」。復興事業が大詰めを迎えている陸前高田市を、1人の住民として愛し、市民目線での復興に取り組んできた、老舗醸造店「八木澤商店」の9代目代表、河野通洋さんのご案内で巡りました。

広田湾の海の幸はもちろん、発酵パークCAMOCY、そして全国有数の規模に育てたいという花火大会をはじめ若い人たちが次々と打ち出す企画など、陸前高田には今、楽しみのタネがたくさん芽吹いています。コロナ禍が落ち着いた折には、ぜひ陸前高田に足を運んでください。


来週の「Hand in Hand」は、「10年の時を刻む、新たな地域の象徴とともに」の、南三陸町編です。去年、震災復興祈念公園の全体と、そこへつながる中橋が開通した南三陸町を、震災当時、中学生だった町の青年と巡ります。来週もぜひ聴いてください♪

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