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21.02.04
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までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち


全国各地の災害被災地の「今」と、その土地に暮らす人たちの取り組みや、地域の魅力をお伝えしていくプログラム、「Hand in Hand」。今回のテーマは、

『までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち』


~ダイジェスト動画はこちらから~


福島県の東部の町の復興の歩みと「今」を伝える、シリーズ、「あれから10年、復興が進む福島を行く」、今回はその飯舘村編。題して、『までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち』。ちなみに“までい”というのは、「手間暇を惜しまず」「心を込めて」「丁寧に」といった意味の言葉で、飯舘村の村民の気質を指す言葉でもあります。

かつてブランド牛の「飯舘牛」で知られた福島県飯舘村。東日本大震災のとき、地震の被害は軽微でしたが、原発事故の影響で、村の全域が計画的避難区域に指定され、全村避難に。酪農や畜産農家も、多くが離村とともに、廃業や他地域への移転を余儀なくされました。

2017年3月に一部地域を除いて避難指示は解除。現在3割弱の村民が村に戻るなど、復興への歩みが続いています。今回は、そんな飯舘村で畜産、そして酪農を再開した方に、お話を伺います。

まずは酪農を再開した方のお話です。


飯舘村には原発事故前、12軒の酪農家が乳牛を育てていましたが、全員が避難。ほかの地域で事業を続けるなどしていましたが、2019年、8年4カ月ぶりに、飯舘で酪農が再開しました。それが、原発事故で避難を余儀なくされた酪農家5人が福島市に立ち上げた復興牧場、「フェリスラテ」の“飯舘育成牧場”です。

復興牧場 フェリスラテ

「フェリスラテ」とは、スペイン語の「幸福」とイタリア語の「牛乳」を組み合わせた造語。現在およそ500頭の牛を育て、毎日15トンにおよぶ搾乳・生乳出荷しています。福島県では随一、そして東北でも5本の指に入るメガファームです。

現在は、飯舘育成牧場で、生後2カ月のホルスタインの雌牛を20カ月程度育成した後、福島市の牧場(本場)に移して搾乳をしています。

代表の田中一正さんは東京出身。酪農家を目指して2001年に飯舘村に入植。震災のあった2011年は、ちょうど就農10年目の年で、乳牛50頭を飼育し、牧場経営が軌道に乗ったころだったといいます。

震災当時、酪農家が直面した状況について、お話を伺いました。

◆◆

田中 震災起きて、当時ほかに11軒、飯館村に酪農家さんの仲間がいて、全村避難という指示を受けて、でも牛いるよね、どうするの?って。やっぱりびっくりして早く避難したいっていう人もいれば、そうじゃないと思ってる人、いろいろいたんですが、僕はどう私はどうっていうのはヤメにして、みんなが同じ方向向いて避難する、という形で取り組みましょうという話し合いをして、で、牛を処分したり、人に預けたり引き取ってもらったりして、私の場合は最後の子牛を、5月の中頃ですね、よそ様に預けて、達者でナ・・・で良いんですけど、まあはっきり言ってしまえば屠場に送るわけですよね、そうじゃない牛は。うちの場合はだいたい半分ぐらい屠場に出してるんですけれども、切ないよねっていうか、僕が避難するために犠牲になってるっていうのは。僕は常々、酪農っていう産業は牛と人間が共生していける、1日でも長く生きて1日でも多く牛乳を絞ってくれれば僕も儲かるっていう、お互い共に進んでいける牛と人間、それがすごく魅力的だと思うんですよ。なので、いろんな畜産ある中で酪農に魅力を持って続けてきてるっていうところやっぱそういうところにあって、罪悪感をずっと感じ続けながら生きてくんだろうなあっていう、うん。


パートナーである牛たちを処分しなければならなかった無念さは、消えることはない、当時を振り返ってそう話す田中さんですが、その後も福島県や山形県で酪農に関わる仕事を続け、2012年、福島市に復興牧場第一弾となる「ミネロファーム」を開設。その後2014年にはより規模の大きい「フェリスラテ」を、酪農仲間とともに開設し、そして2019年、ついに飯舘村に育成牧場を開いたわけですが、一旦は避難せざるを得なかった飯舘で酪農を再開する、その思いの背景にあるものとは何なんでしょうか。

◆◆

田中 やっぱり飯舘で一生かけて自分のやりたいことやって骨を埋めようっていう、それよりも何よりもやっぱり山形にいったん避難して、それで福島に戻ってきた最大の理由でもあるんですけれども、避難した我々っていうのは一回リセットかかったようなもんなので。まあ、割り切ればある程度は良しっていうところはあるんですけれど、いちばんやっぱりあのとき大変だったのは、避難指示が出ない距離の酪農家さんなんですよね。牛乳は出荷できないし、目と鼻の先は避難地域になってるし、心の中不安でいっぱいだったと思うし。やっぱり、そういう人等ともう1回苦楽を共にしたいよね、お互いやっぱり切ない思いをしたり苦労してるのってのは、もうこれ言わなくてもわかる話なので。やっぱそういう人等ともう一度、いつの日か、肩並べて酒の一つも飲みたいよねっていう、そしてやっぱり今までやってきたことを継続しようっていう。

高橋 今後、飯舘での事業展開っていうか、こういう風になってくといいなみたいな展望ってありますか?

田中 フェリスラテとしては6次化もやっぱり手掛けたいよねと。たとえば飯舘の道の駅とかで、ブラウンスイスとかいうちょっと毛色の違うような牛を飯舘で飼って、アイスクリームとかの乳製品、加工品なんかを、うまく提供できればなっていう。もっとオープンにして誰が見てもデタラメなことしてないねっていう、顔の見えるような、そういう生産を手がけて、村の貢献をしたいよねっていうか、自分たちのやりたいことが結局村にとって、なんぼかでも貢献になってくれればありがたいよねって言う感じで。


フェリスラテの飯舘育成牧場では、与える飼料や飼育環境を厳重に管理して、若い乳牛を育て、福島市の牧場へ移し、原乳を生産しています。そして原乳の放射性物質については厳しい基準値が設けられ、登録検査機関などが検査、安全を確認して出荷。これまで基準値を超えたことは一度もありません。

“いつかは6次化商品も手掛けたい”という代表の田中さん、丹精込めて育てた牛たちから絞った「フェリスラテ」の牛乳から作るアイスクリームやソフトクリーム、ヨーグルトなど、味わえる日を楽しみにしています。

かわっては飯舘村の看板名産品「飯舘牛」の再開に取り組む、畜産農家さんのお話です。


2019年、飯舘村で育てた肉用牛の出荷を、8年7か月ぶりに実現させたのが、肥育農家・小林稔さんです。

◆◆

小林 原発の事故で全てが駄目になった時は、せめて牛をどっかでできないかと思って、避難できる場所を探したと。肥育牛を宮城に持っていって、繁殖(の牛)はまだこちらもいたんです。23年に牛を連れてって、24年から喜多方に行って、酒米作りを始めたんです。これは飯舘の起こし酒の復活そのために。そもそも戻れるのかなっていう方が大きかったから。まさかああいう形で除染をすると思わなかったからね。土を剥ぎ取るなんてのは。だから戻ってくるのはすぐ決めましたけど、全て住宅とか解体してしまったから、家を作ったり牛舎を作ったり、避難解除と同時に戻るってことなかったですけど1年2年経って、ここに来たっていうことです。


震災前は230軒あった育牛農家は、現在、繁殖農家が8軒再開。子牛を育てて出荷するまで育てる肥育農家は、震災後では小林さんが初めてでした。再開にあたり、放射能汚染の可能性を排除するため牛舎は建て替え、牛に飲ませる水はボーリングして地下水を使っている。さらに隣家の敷地の林も、木の葉がエサに混じらないよう許可を得て伐採。さまざまな苦難を乗り越え、そうして2019年に、飯舘村で育てた肉用牛の出荷を再開しました。ただ今でも苦労は絶えないといいます。

◆◆

小林 すべて、水は当然こうやって地下水を掘って、配合飼料・エサも買ってますから大丈夫。あとは稲わらとか牧草も検体を取って測っている。それで何の問題もない。NDですから。安全にはかなり注意しています。

高橋 生育してお肉になったものだけではなくて、その食べる飼料から何から、全てチェックしたものを与えてるんだよっていうことは、すごく知ってほしいなって思います。

小林 そこらへんの意識は格段に違います。安全なものを牛に与えて、安全な牛肉を作るというこの気持ちね。やっぱり責任というものはちょっと重いかなと。失敗できませんから。こっちで牛を始めてから、取材は一切受けなかったです。初出荷するまで下手にマスコミに出て宣伝して、もしダメだったら、俺一人だけの問題じゃなく全体のイメージになるからね。

高橋 重いものを背負ってらっしゃった・・・

小林 若い人はこういうリスクを負えないと思うんですね。俺らの年代だからできる話であって、俺らが今できる事やってれば、あとに続く人たちも何かは考えてくれるかなーっていう淡い期待があってやってる部分もあります。

高橋 初出荷っていうのは、

小林 郡山の市場に3頭持っていきました。評価は1頭がAの4で、あとはAの5で。キロ単価はちょっと安かったですね、他の県から比べると。それは、今でも同じですけど。でもまあ初めて飯舘で育てて出荷できたっていうだけで最初は満足してましたけど、これからはちょっとね、採算性の事も考えながらやらないと。後に続きませんからね。でもやっぱ故郷っていうのはね、特別なもんなんですよね。


「までいの村・飯舘で牛と生きることを選んだひとたち」。

黒や茶色、白黒、いろんな牛たちに会いましたが、酪農の田中さん、畜産の小林さん、それぞれ、ここまで苦労を重ねながら、飯舘での事業を再開して、さらに軌道に乗せるための努力を続けていました。

フェリスラテの原乳、小林さんが育てる肉用牛は、いずれも農協を通じて、「福島県産」として出荷されています。いつか「フェリスラテ」の6次化商品であったり、「飯舘牛」というブランド牛であったり、その名前が私たちの目にふれる形で、店頭などに並ぶ日を心待ちにしたいと思います。

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ここでプレゼントのお知らせです。今回は、飯舘村「ニコニコ菅野農園」が作った、“和製ブルーベリー”と呼ばれる果実、「ナツハゼ」を使った「里山の黒真珠」シリーズから、アイスクリーム(6個入り)を、3名の方にプレゼントします。


ご希望の方は、このホームページのメールフォームからご応募ください。応募の際、下記のクイズにお答え頂きます。メールに答えの番号を書き添えたうえ、「なつはぜアイス希望」と書いて、ご応募ください。

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【問題】

Q:今回取材した小林稔さんをはじめ、福島県内の畜産農家の方が手塩にかけて育てた黒毛和牛を「福島牛」といいます。その福島牛の脂にも多く含まれることで、肉のうま味の決め手になっていると言われる脂肪酸は次のどれでしょうか。

A:①オレイン酸
  ②イノシン酸
  ③グルタミン酸
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ヒントは復興庁のサイト「タブレット先生の『福島の今』」にある「おいしい福島」をご覧ください。

また番組の感想や!本日ご紹介した、飯舘村の皆さんへの応援メッセージもお待ちしています。頂いた応援メッセージの一部は、復興庁の〔Hand in Hand レポート〕でも、個人情報を伏せてご紹介させて頂きます。是非たくさんのエールをお待ちしています。

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次回の「Hand in Hand」は、「10年の時を刻む、新たな復興の象徴とともに」。「復興祈念公園~祈りの帆」や、「気仙沼湾横断境」が間もなく完成する、宮城県気仙沼市からのレポートをお届けします。次回もぜひ聴いてください。

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